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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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消えた宛先と封じた証人

しばらく不定期更新で進みます。

朝の霧が窓ガラスに細かな水滴を作っていた。


 昨夜書いた覚え書きを引き出しから出して、机の上に広げた。アルヴィン・ケロウ。確認申請。削除された宛先。別封の本文。ルーファスとの接点。付属施設への移動の可能性。


 文字を追いながら、一度だけ目を閉じた。


 三年。


 アルヴィンが何かを誰かに伝えようとして、その記録が書き換えられた。それから三年が経っていた。


 窓の外は白く霞んでいた。霧の中に、石畳の輪郭だけがうっすらと見えた。


 シリルへの手紙を書いた。内容は短く、グレゴールの証言の要点だけを記した。ルーファスとアルヴィンが書庫で接触していた可能性。五年前から書庫に通い続けていたという事実。手紙を封じて、グレゴールに渡した。


「急ぎの届け先があります」


「承知いたしました」


 それだけで、グレゴールは玄関の方へ消えた。返事を待つ間、もう一度覚え書きを読んだ。



 昼前に、シリルから返信が来た。


 今日の午後、場所を指定された。昨日とは別の市場だった。


 指定された時刻に着いた。香辛料の匂いが漂う路地で、シリルが荷物を持って立っていた。見た目は買い物客と変わらない。それでも目が合った瞬間、シリルは少し視線を左へ動かした。


 路地の奥へ進んだ。声が届かない位置まで離れてから、シリルが言った。


「グレゴールの証言を受けて、調べた」


「分かりましたか」


「補助承認者欄に記録された人物が特定できた」


 心臓が一拍、重く鳴った。


「誰ですか」


「エドワード・ラインホルト」


 聞き覚えのある名前だった。一瞬考えて、思い出した。


「副局長の」


「現副局長だ。三年前の十月の時点では、まだ次席の立場だった。承認者として署名する権限が発生したのはその後だが——署名された書類の日付と、その時点での彼の実質的な権限の範囲が一致する」


「実質的な」


「局内には、名目上の権限と実質的な決裁経路が一致しない場合がある。ラインホルトは三年前から現在まで、特定の書類ラインを掌握していた。今回見つかったのも、そのライン上の書類だった」


 沈黙が落ちた。市場の奥から、誰かの笑い声が流れてきた。


 ラインホルト副局長。密室事件の調査に関与していた人物。シリルの上司の、さらに上位にいる存在。


「アルヴィン・ケロウの宛先を削除した可能性があるということですか」


「状況証拠の段階だ。だが、変更が入った書類のラインと、ラインホルトの決裁経路が重なる」


「別封の中身は」


「まだ開けられない。申請に時間がかかる上、申請記録がラインホルトのラインに流れる可能性がある」


「施設の記録は」


 シリルが少し間を置いた。


「第三補助施設の在籍記録を、別の経路で確認できた」


「アルヴィンは」


「アルヴィン・ケロウの名前はある」


 声が止まった。


「生きているということですか」


「少なくとも、記録の上では在籍が継続されている。三年前の十月から、現在まで」


 三年。


 その言葉が空中に残った。市場の喧騒は続いていたが、耳に届かなくなった。石畳の上に積み重なった三年間の重さが、足元から滲んでくるような感覚があった。アルヴィンにとっての三年。外から見れば何も変わらない施設の記録が、一人の人間の時間を隠していた。


「一人ですか」


「いや」シリルが視線を落とした。「もう一名いる。ベルナルド・クレイスという名前だ。査察部門に在籍していた人物で、三年前に同時期に記録から消えている」


「ベルナルド・クレイスは、どういう人物ですか」


「査察書類の正規の担当者だった。ランゲとヴァン・テルフが操作した査察書類を、正規の手順で処理していた立場にある」


 正規の担当者。


「見ていた、ということですか。書類が操作されているのを」


「あるいは、操作に気づいて動こうとした。二人が同時期に施設に移されたとすれば、どちらかが動いたか、両方が動こうとしたか、どちらかだ」


 アルヴィンとベルナルド。一人は内部通報を試みた。もう一人は正規の担当者として操作を知っていた可能性がある。二人が同じ施設に、三年間。


「施設に向かうことはできますか」


 シリルが顔を上げた。


「できる。捜査の現場確認として入る形が一つある」


「手続きが要りますか」


「通常なら要る。だが今回はそれを通せない。局内に情報が流れれば、動きを察知される」


「ならば」


「非公式に入る方法がある。ただし——」


 シリルが少し止まった。


「一人では動けない。信頼できる外部の人間が、必要になる」


 外部の人間。


 シリルが視線をこちらに向けた。何も言わなかった。市場の喧騒が遠くなった。


「同行させてください」


「施設の内部に入れば、記録に残る」


「構いません」


 シリルが短く息を吐いた。


「公爵家の名が通れば、施設の管理者は断りにくくなる。令嬢という立場を、利用する形になる」


「それで構いません」


 また沈黙があった。今度は長かった。シリルが石畳を見て、それから顔を上げた。


「信用しているか、と聞きたいですか」


「聞こうとしていました」


「ある」


 それだけだった。説明もなく、理由の付記もなかった。一語の答えが、路地の石壁に吸われて消えた。


 受け取った。



 帰り際、馬車に乗る前にもう一度聞いた。


「三年間、アルヴィン・ケロウとベルナルド・クレイスの存在を知っていた人間がいたということですか」


「ある。少なくとも、記録を維持し続けた人間がいる」


「そのうちの一人が、ラインホルトの可能性が高い」


「そう見ている」


「なぜ、今まで手を打たなかったんでしょう」


 シリルが一拍置いた。


「生かしておく方が、何らかの意味を持つからだ。二人が持っている情報を封じたまま保管しておく理由がある」


「外に出てきたとしても、信用されないように準備しておく」


「その一つとして、三年という時間がある」


 三年。施設の中に封じていれば、出てきた時点で証言の信用が失われる。辞職扱い、在籍記録の削除——外形だけを整えて、時間を盾にする。それが目的だったとすれば、丁寧な仕事だった。


 馬車が来た。


「明後日の午前、施設に向かう」


「分かりました」


 扉が閉まった。石畳の音が規則的に響いた。霧はまだ晴れていなかった。白い空の下で、馬の息が白く散った。



 屋敷に戻ると、グレゴールが玄関に立っていた。


「グレゴール、少し聞かせてください」


 書斎に入った。グレゴールが正面に立った。


「ルーファス様が最後に書庫に通ったのは、いつ頃のことですか」


「三ヶ月ほど前だと聞いております。西塔の一件の前です」


「その頃、様子に変化はありましたか」


 グレゴールがわずかに間を置いた。老いた目が、どこかを見ていた。


「いつもより、少し口数が少なくなっておられました。書庫の件については、以前から一人で抱えておられたことが多かったので——変化というほどではなかったかもしれませんが」


「一人で、ということですね」


「誰かに話せる内容ではなかったと思います。公爵家の名が書類に使われているとなれば、屋敷の人間に相談できるはずがない。ルーファス様は、三年間、それを抱えて書庫に通っておられた」


 三年間。


 グレゴールの言葉の中にも、同じ時間があった。アルヴィンが施設の中に封じられて三年。ルーファスが写しを抱えて書庫に通い続けて三年。どちらも、同じ時間を別々の場所で過ごしていた。


「アルヴィン・ケロウとルーファスが書庫で話していたとしたら、どういう内容だったと思いますか」


 グレゴールが少し目を細めた。


「ルーファス様は、誰かに確認を求めておられたと思います。自分の見たものが本当に正しいのか。確かめてくれる誰かを、ずっと探しておられた」


「アルヴィンがその相手だった」


「可能性はあると思います」


 アルヴィンが確認申請を出したのは、誰かに確認を求めたからだ。宛先を削除された。アルヴィンが封じられた。ルーファスは写しを手放さなかった。二人がそれぞれ求めていたものが、まだ別封の中にある。


「ありがとうございます」


 グレゴールが深く頭を下げた。扉の前で止まって、振り返った。


「ルーファス様は——最後まで、正しいと信じたものを手放しませんでした」


 それだけ言って、出ていった。



 机の上に、また覚え書きを広げた。


 エドワード・ラインホルト。補助承認者。三年前の書類ライン。書類変更の決裁経路と一致。


 アルヴィン・ケロウ。第三補助施設。三年間の在籍継続。


 ベルナルド・クレイス。査察書類の正規担当者。同施設、同期間。


 明後日、施設へ向かう。二人に会えるかどうか、まだ分からない。管理者がどこまで把握しているか、分からない。ラインホルトに情報が流れるかどうか、分からない。


 分からないことの方が、まだ多かった。


 ペンを止めた。


 三年前、アルヴィンが宛先を書いた。その人物が誰だったのか、知りたかった。信頼できる誰か——それが誰であったとしても、今は届かない場所にいる。ルーファスは写しを作った。誰かに見せるためでなくても、手放さなかった。


 今、覚え書きを書いているのは、私だ。


 届けるために書いている。明後日、その先へ進むために。


 窓の外では霧がまだ残っていた。夜の縁が青くなり始めて、石畳の上で光が静かに消えていった。

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