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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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苔の色

しばらく不定期更新で進みます。

夜が深くなっても、紙は机の上にあった。


 七枚と、今日書き加えた一枚。合計八枚。インクが乾いて、文字が静かに並んでいた。


 封鎖、という言葉を見つめた。


 密室の封鎖魔法と、記憶の封鎖術式。使われた言葉が同じだった。外から封じて、内側を見えなくする。密室は空間を封じた。記憶の封鎖は、思考の空間を封じる。


 外周収束技法。訓練を受けた者だけが持つ知識。三十七名。


 ケロウの記憶を封じた者と、密室を作った者が同じ訓練を受けている可能性があった。あるいは同一人物だった。両方を実行できる技術を持つ者が、局の中にいる。


 窓の外で風が鳴った。



 夜半過ぎに、扉を叩く音がした。


 グレゴールではなかった。音の強さが違う。


「どうぞ」


 扉が開いた。若い使用人が立っていた。折りたたんだ紙を両手で持っていた。


「捜査官様から、お手紙が届いております」


 受け取った。封を開けた。シリルの字で三行あった。


 *ケロウの移送先が確定した。西区のハーネット通り十二番。局の術士が明朝から封鎖術式の解除を試みる。同行するか。*


 紙の下に一行だけ追加があった。


 *判断はあなたに任せる。*


 使用人がまだ立っていた。


「返事を」


「はい」


 新しい紙に二文字だけ書いた。


 *行きます。*



 翌朝、馬車でハーネット通りへ向かった。シリルが先に来ていた。建物の前の石畳に立って、外套の前を合わせていた。朝の光が低い角度から差していて、影が長く伸びていた。


「来ましたね」


「来ました」


「中に入る前に一つ」


 シリルが声を落とした。


「今日、術士が作業を行う間、何かを感じ取ったとしても——それをすぐに口にしないでください。集中が切れます」


「分かりました」


「あなたの異能が何を拾うか、予測できない。ただ、術式の解除中は干渉を最小にしたい」


「了解です」


 建物に入った。廊下が狭く、石の壁が冷たかった。案内された部屋は小さく、窓が一つだけあった。鎧戸が閉められていて、光が細く差し込んでいた。


 ベッドにケロウが横たわっていた。


 四十代か、もう少し上か。白髪が混じった短い髪。顔は穏やかに見えた。目が閉じていた。眠っているように見えたが、呼吸が浅かった。眠っているのではなく、眠らされている——体がそう言っていた。


 部屋の隅に、術士らしき男が立っていた。五十代。白い外套。両手を胸の前で組み、目を閉じて何かに集中していた。


 ケロウの側に立った。手を伸ばした。触れる直前で止めた。シリルを見た。シリルが小さく首を振った。


 触れない。見るだけ。


 ケロウの顔を見た。閉じた目の下に、何かが圧迫されているような緊張があった。意識の内側に何かが詰まっていて、それが外に出られない感じ。鍵をかけられた引き出しに、入り切らない書類が押し込まれているような。


 離れた。壁に背中をつけた。


 封鎖術式というものが目には見えなかった。だがケロウの体の周辺に何かが満ちている感じはあった。重い空気ではなく、整えられた静止。乱してはいけない均衡のようなもの。



 二時間ほどで、術士が一度息を吐いた。


「最初の層が剥がれました」


「何層ありますか」


 シリルが問いた。


「三層以上、と見ています。構造が複雑です。単純な封じではない。各層が互いに支え合っている。一つを解除すれば次が強化される仕組みになっています」


「全て解除するのに」


「今日中には無理です。数日かかる」


 シリルが視線をケロウに向けた。


「意識は戻りますか」


「層が剥がれるにつれて、意識が近くなってくる可能性はあります。ただ——」


 術士が外套の裾を整えた。


「封じた目的が記憶であれば、意識が戻っても言葉が出ない段階はあります。何かを思い出しても、それを表現する経路が閉じられていることがある」


 言葉が出ない。表現する経路が閉じられている。


 聞きながら、別のことを考えていた。


 封じた者は、ケロウが意識を取り戻すことを想定していたはずだ。意識が戻ること自体は防がなかった。記憶を封じた。言葉を封じた。表現を封じた。しかし体は残した。


 なぜ生かしたのか。


 局長の言葉が戻ってきた。*消すと証拠になる。*生かして封じた。ケロウを消すことで、ケロウが知っていた何かが注目を集めるリスクがあった。だから封じることで沈黙させながら、生かしておくことにした。


 それは、ケロウが封じられた後も価値を持つということだった。交渉材料として。あるいは——後で使うために。



 術士が部屋を出た。休息が必要だと言った。


 シリルと二人になった。


「一つ確認させてください」


 シリルが振り向いた。


「ケロウの手に触れることは、許可されますか」


「今は術士の許可が必要です」


「分かりました」


 シリルが扉に向かおうとした。その前に問いを足した。


「触れなくても、分かることはありますか」


 シリルの目が少し変わった。


「試してみます」


 ケロウに近づいた。ベッドの端に立った。触れない。触れずに、ただ近くに立った。


 異能というものが何かを確認したことは、まだ数えるほどしかなかった。読心と呼ぶのは正確ではない、と思っていた。感情の流れのようなもの、あるいは人の状態が持つ温度のようなもの——それが近くにいると触れてくる。


 ケロウの側に立った。


 最初は何もなかった。


 それから、波のように何かが来た。


 感情ではなかった。色でもなかった。形に近いもの。閉じ込められた何かが壁に当たって跳ね返っている、その振動のようなもの。


 恐怖ではなかった。焦燥でもなかった。


 残っているのは、悔恨だった。何かをやり残した。間に合わなかった。届けるべきものが届かなかった。


 その悔恨が、封じられた内側でまだ動いていた。意識が眠っていても、記憶が封じられていても、その感情だけが消えずに残っていた。


 離れた。


「どうでしたか」


 シリルが静かに問いた。


「悔恨、です」


「悔恨」


「やり残した、という感じ。届けようとした何かが届かなかった——その残響」


 シリルが目を細めた。


「届けようとした」


「手紙、ではないかと思います。あるいは報告。何かを誰かに伝えようとして、それが間に合わなかった」


 アンブロス。


 三年前に手紙を出した秘書。その後消息が途絶えた。ケロウが届けようとした相手が、アンブロスだった可能性があるのか。あるいは逆に——アンブロスが届けようとしていた先へ、ケロウが動こうとしていたのか。


「アンブロスという名前に、ケロウが反応したことはありますか」


「接点を確認したことはない」


「調べる価値があると思います」


 シリルが短く言った。


「分かった」



 ハーネット通りを出た。外は昼に近い時間になっていた。光が強くなっていた。


「ケロウが届けようとしていたものが分かれば」


 歩きながら言った。シリルが並んで歩いた。


「封じた目的が明確になります。封じた者にとって、何が危険だったのかが分かる」


「その危険が、補助承認者欄の名前と重なる」


「そう思います」


 石畳の上を歩いた。人が行き交っていた。普通の昼間だった。


「訓練記録の照合は、今どこまで絞れていますか」


 シリルが足を止めなかった。


「三十七名のうち、補助承認者として書類に関わりえた立場の者は十二名に絞られた。その十二名の中から、三年前の査察期間に対象書類に接触できた者を特定中です」


「何名になりますか」


「今日の段階で、五名」


 五名。


「その五名の中に、ケロウと接点がある者は」


「調査中です」


 馬車が待っていた。シリルが扉を開けた。


「今夜、局から連絡が来る可能性があります」


「分かりました」


 馬車に乗った。シリルが乗らなかった。


「私は局に戻ります。また連絡します」


「はい」


 扉が閉まった。馬車が動き始めた。



 帰り道、ケロウの残響を繰り返した。


 悔恨。届かなかった何か。手紙。報告。証拠。台帳の写し。


 アンブロスが三年前に手紙を出した。手紙の宛先は不明だった。ケロウが三年後に封じられた。封じられる前、ケロウは何かを届けようとしていた。


 線がつながりそうで、まだ一点だけ空白があった。その空白の名前が、補助承認者欄にあった。



 屋敷に戻った。グレゴールが出迎えなかった。


 珍しかった。玄関で使用人が外套を受け取った。


「グレゴールは」


「朝から、書庫におられます」


 書庫。


 屋敷の書庫は一階の奥にあった。普段グレゴールが管理していた場所だった。古い文書が保管されていた。


 階段を上がらずに、廊下を奥に向かった。書庫の扉の前に立った。中から音が聞こえた。紙をめくる音。何かを探している音。


 扉を叩いた。


「入ります」


 返事を待たずに開けた。


 グレゴールが棚の前に立っていた。古い封書を両手に持っていた。目が上がった。驚いた顔だったが、一瞬だけだった。


「……お戻りでしたか」


「何を探しているのですか」


 老執事が手の中の封書を見た。


「三年前の書類です」


 三年前。


「アンブロスのものですか」


 グレゴールの手が止まった。


「……はい」


 答えが来た。昨夜とは違う速さで来た。


「見つかりましたか」


「まだです。あるはずなのです。確かにここに」


「グレゴール」


 棚に近づいた。老執事と並んで立った。


「昨夜、知らないとおっしゃいました」


「……はい」


「今朝から書庫を探しています」


 グレゴールが封書を棚に戻した。どこかを見た。棚の一点。


「補助承認者欄の名前を知らないのは本当です」


「でも」


「アンブロスが、三年前に一通の写しを残しておりました。査察に関わるものでした。私には見せませんでしたが——ここに保管したと言っておりました」


「それが見当たらない」


「今朝から探しています。他の書類は全てある。あの一通だけがない」


 沈黙が落ちた。


 書庫の空気は埃っぽく、静かだった。グレゴールが老いた手を棚に置いた。指が木の表面を触れた。


「誰かが持ち出しました」


 断言ではなかった。だが、諦めの形をした確信だった。


「いつ気がつきましたか」


「昨夜、あなたにアンブロスの消息を問われて——確認しようと思いました。今朝、書庫に来て」


 グレゴールが振り返った。目に、昨夜なかったものがあった。


「レティシア様」


「はい」


「私が補助承認者欄の名前を知らないのは、本当です。しかし——アンブロスの写しに何が書いてあったか、断片は聞いております」


 断片。


「聞かせてもらえますか」


 老執事が一度目を閉じた。


「……三年前の査察書類に、補助の承認印を押した者の名前がありました。アンブロスがそれを写しに残した理由は——その名前が、本来その立場に就けない者のものだったからです」


「本来就けない者」


「死亡したとされていた者の名前が、補助承認者として書類に残っていた、と」


 部屋の温度が変わった気がした。


 死亡したとされていた者。死んでいるはずの者の名前が、査察書類の承認印に押されていた。


「その名前を、アンブロスはあなたに話しましたか」


「話しませんでした。知れば私が危険になると言って」


 グレゴールが窓の方を向いた。光が差していた。


「アンブロスは三年前に、その名前を誰かに届けようとしていました。手紙を出した。ですが——返事が来ませんでした。それ以来、アンブロスの消息が途絶えました」


 手紙。届かなかった。


 ケロウの残響と同じ形をしていた。届けようとした何かが届かなかった。その悔恨だけが残っていた。


「グレゴール」


「はい」


「アンブロスが手紙を出した宛先を、知っていますか」


 老執事が長い間を置いた。


「……捜査局、ではありませんでした」


 捜査局ではなかった。


「では」


「王家の直轄に関わる、ある人物、と聞きました。それ以上は」


 王家の直轄。


 線が、また一歩動いた。補助承認者欄の名前は、死亡したとされていた者のものだった。その事実を知ったアンブロスは、局ではなく王家側の誰かに届けようとした。届かなかった。そしてアンブロスは消えた。


「ありがとうございます」


 書庫を出た。廊下を歩いた。



 部屋に戻った。机の前に座った。紙を一枚取った。


 書いた。


 *補助承認者欄の名前——死亡したとされていた者。三年前、書類の上に生きていた。*


 その下に書いた。


 *アンブロスの宛先——局ではない。王家の直轄。届かなかった。*


 その下に書いた。


 *ケロウの悔恨——届けようとした何かが届かなかった。*


 三つの線が並んだ。


 アンブロスが写しに記録した名前を、誰かが書庫から持ち出した。書庫に自由に入れる者。屋敷に出入りできる者。グレゴールが今朝書庫を探すまで、誰も気づかなかった。


 今日まで気づかなかった、ということが一つの答えを示していた。この屋敷の内側に、何かが動いていた。


 窓の外で空が夕方に変わり始めていた。


 次に開くべき扉が、かたちを取り始めていた。追うべき標的は二つになっていた。死亡したとされながら書類に名前を残した者。そしてアンブロスの写しを持ち出した者。どちらかを引けば、もう一方もついてくる可能性があった。


 シリルからの連絡を待ちながら、紙に最後の一行を書いた。


 *書庫から消えた写し——持ち出した者が、今もこの屋敷の近くにいる。*

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