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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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郊外の証人

しばらく不定期更新で進みます。

三日目の朝、手紙が届いた。


 封筒に差出人の名前はなかった。印章だけがあった。鑑識局の紋章とも官吏の印とも違う、単純な線と円だけの記号だった。折り畳まれた紙を広げると、番地が書いてあった。王都の外縁部から馬車で半刻ほど、農村に近い区画の地名だった。その下に短い一行。


「今日の午後。同行するか」


 印章の意味を考えた。シリルだと思った。他に番地を書いてよこす人間に心当たりがなかった。


 時刻を確認した。昼前に出れば間に合う計算だった。



 馬車を頼んだのは十時過ぎだった。


 街道から外れた道に入ると、石畳が砂利に変わった。車輪の振動が変わった。窓の外に低い生け垣が続いた。石を積み上げただけの塀が見えた。木立が道沿いに並んでいた。葉が出始めていた。薄い緑だった。


 シリルはすでに道の端に立っていた。馬車から降りると振り返った。


「来たか」


「番地しかなかったので、少し手間取りました」


「地名が分かれば十分だと思った」


 建物を見た。石造りの平屋だった。窓が小さく、植え込みが手入れされていた。煙突から薄く煙が出ていた。人のいる気配だった。


「テスラは確認しましたか」


「今日が初めて来る」


「在宅かどうかも分からずに」


「来てみれば分かる」


 門の前まで歩いた。呼び鈴がなかった。シリルが扉を三度叩いた。


 間があった。風が生け垣を揺らした。農作業の音が遠くから届いた。


 扉が開いた。



 出てきたのは老人だった。白い髪を後ろに撫でつけ、背が低く、目が細かった。こちらを見た。シリルを見た。それからもう一度こちらを見た。


「どなたですか」


「書架の台帳で、お名前を拝見しました。フィンレイ・アンブロスという方の参照番号に、承認者の記録として」


 老人の顔が変わった。細い目が一瞬だけ広くなった。また細くなった。扉をもう少し引いた。外に目を向けた。街道の方を。道に人影がないことを確かめてから、後ろに下がった。


「中へ」


 声が低かった。擦れていた。



 室内は薄暗かった。窓が小さかった。蝋燭が一本灯いていた。棚のない部屋だった。本が床に積み上げられていた。古い紙の匂いがした。埃と黴が混ざり合った、長い時間換気されていない場所の匂いだった。


 椅子が三つあった。机に紙が広げてあった。


 老人が一つに座った。残りの二つに向かって顎を引いた。


 向かいに座った。シリルが横に座った。


「エドウィン・テスラさんですか」


「そうだ」


「アンブロスと同じ書架に通っていたと聞きました」


 テスラが手を膝の上で組んだ。皺の深い手だった。


「三年ほどな。退職する前の話だ」


「退職後も、書架に入れましたか」


「名目の上はアンブロスの番号を借りる形で。書類に名前が残るだけだった」


「どなたの手続きのために」


 テスラが黙った。


 室内の空気が動いた。蝋燭の炎は揺れなかった。ただ、黙りの重さが部屋の隅まで広がっていくような感覚があった。


「経緯がある」


 老人が組んだ手を見た。


「書架に通っていた頃、若い男と顔を合わせることがあった。アンブロスと話しているのを何度か見た。書架では名前を問わない。それが礼儀だ。だからその男の名前は知らなかった」


「どんな人物でしたか」


「二十代の前半か半ばに見えた。背が高かった。外套が良い生地だった。身分のある家の人間だと思った」


「その男が、あなたに声をかけてきましたか」


「書架の廊下で、人がいない時間を見計らって来た。アンブロスから聞いたと言った。書類の手続きを継続させてほしいと言った。アンブロスが体を悪くしていて、書架に通えなくなりそうだと」


「手続きの内容は」


「査察関係の書類だと言った。内容の詳細は話さなかった。承認の名前が要るというだけだった」


「それで承諾した」


「後で後悔した」


 老人が目を落とした。


「番号を使われた書類の中に、私が承認した覚えのない内容のものがあった。気づいたのは、退職の前の最後の頃だった。私の名前で動いた書類が、私の知らないところに存在していた」


 背筋を何かが走った。


「偽署名が使われましたか」


 テスラが顔を上げた。老人の目が何かを確かめるようにこちらを見た。


「どこでそれを」


「推測です。アンブロスが書類ごと持ち出したという話を聞きました。その書類の中に、番号を使った記録があった。あなたの番号が使われて、あなたの知らない書類が動いた。そういう流れかと思いました」


 シリルが手帳に書き込む手を止めた。こちらを一度見た。続きを促す顔ではなかった。答えを聞く顔だった。


 テスラが長い時間をかけて息を吸った。吐いた。


「分からない。私には書類の全体が見えていなかった。番号だけ貸した格好だったから、何に使われたかを確かめる手段がなかった。退職してからも同じだった。書架への出入りが止まった後は、何も見えなくなった」


「若い男の名前を、後から知ることはできましたか」


「できなかった。退職の頃には書架に来なくなっていた。消えていた」



「アンブロスから連絡が来たことはありますか」


 シリルが口を開いた。


 テスラが顔を向けた。


「三年前に、手紙が一通来た」


 老人が立ち上がった。本が積み上げられた壁の一角に向かった。床に置かれた小箱を開けた。紙を取り出した。戻ってきた。テーブルに置いた。


「会いたいと書いてあった。日付と場所が書いてあった。王都の外縁部、西側の区画だった」


「行きましたか」


「行かなかった」


 蝋燭の火がわずかに揺れた。


「行けば、私もアンブロスと同じことになると思った」


 老人が手紙を見た。テーブルの上の、自分で置いた紙を。


「書架に関わった人間が一人死んだ後に、次に関わりのある人間が呼び出される。それがどういう意味を持つか、考えれば分かった」


 胃の奥で何かが固まる感触があった。


 テスラは正しかった。行かないことで生き延びた。三年間、ここに隠れて、口座に触れず、誰にも話さず、それでここにいる。その判断は間違いではなかった。


 ただ、その判断のせいで、アンブロスが渡したかったものは渡されなかった。


「それで、王都を出た」


「手紙が来た翌々日には出た。ここにいれば、見つかりにくいと思った」


「見つかりにくかったですか」


 テスラが少し顔を上げた。


「あなた方が来た」


 老人の声に感情はなかった。責めてもいなかった。ただ確認するように言った。


「その手紙を、見せていただけますか」


 テスラがテーブルの紙を滑らせた。


 受け取った。


 古い紙だった。三年前のものだった。几帳面な文字だった。書記が書く文字だと思った。手の震えがない、均質な字だった。日付が書いてあった。場所が書いてあった。西区の、倉庫街に近い広場の名前だった。時刻が書いてあった。夕刻の鐘の後、と。


 一行だけあった。「持っているものを渡したい」


 渡したかったものがある。しかし受け取る人間が来なかった。その後、アンブロスは半年で死んだ。


「この場所に、あなたが行かなかったとすれば——誰かが代わりに行った可能性はありますか」


 テスラが首を振った。


「分からない。私にはその場所に関わる人間が他にいなかった。アンブロスが指定したのだから、アンブロス自身が来るつもりだったと思う。私が行かなければ、アンブロスが来て、待って、帰っただけだ」


「あるいは、若い男に同じような手紙が届いた可能性は」


「あるいはな」


 老人が炎を見た。


「その男がアンブロスとまだ連絡を取っていたとすれば、同じような手紙が届いていたかもしれない。私には確かめる方法がない」


 手紙を裏返した。何もなかった。表に戻した。テスラに返した。



 建物を出ると、風があった。


 来た時より強かった。葉が揺れた。砂利を踏んで門まで歩いた。


「手紙の場所を調べられますか」


「西区の倉庫街近くだ。三年前に、その広場周辺で何かがあったかどうか、記録を当たれる」


「当日の鐘の後、アンブロスがそこにいた可能性がある」


「目撃記録は残っていないかもしれない。ただ、倉庫街は出入りの管理がある。記録が薄くても、何かが出るかもしれない」


 街道まで戻った。馬車を呼んだ。


 待つ間、シリルが手帳を広げた。テスラの話の要点を書き留めていた。片眼鏡の奥に目を凝らす顔だった。考えるときに目が細くなる、と気づいたのは今日が初めてだった。最初から知っていたような気がしたが、気のせいだったかもしれなかった。


「テスラは三年間、何も動かなかった」


「隠れていたから」


「受け取るべきものを受け取らず、知っていることを誰にも言わなかった。それで生きた」


 シリルが手帳を閉じた。こちらを見た。


「若い男の身元を、書架の出入り記録で調べられますか」


「書架の管理部門に当たれば、出入りの記録が残っているかもしれない。テスラが通っていた時期が分かったから、年代を絞れる」


「五年から八年前の間」


「そういうことだ」


 馬車が来た。



 帰り道は窓の外を見ていた。


 夕方の光が低く入ってきた。傾いた光だった。生け垣が後ろに流れた。木立が流れた。石の塀が流れた。王都の外壁が見えてくると、日が沈み始めた。城門が夕日を受けた。赤かった。


「若い男がアンブロスの手紙の指定場所に行ったとすれば——手帳を受け取ったかもしれない」


「あるいは、受け取った後に処分した」


「処分したとすれば、処分した記録か、処分せずにいる理由があるはずです。手帳の中身が何かを証明するものだとすれば、捨てられない」


「なぜ」


「証明になるから、です。自分を守るために使える何かが手帳の中にある。捨ててしまえば、その価値が消える」


 シリルが外を見た。


「台帳の承認記録に若い男の名前が載っているとすれば、その男も証明を必要とする立場にある可能性がある。偽署名の被害者か、あるいは関与者か」


「どちらにしても、手帳が存在する限り、その男にとって意味を持つ」


 馬車が橋を渡った。川の音が一瞬した。水が多い時期だった。


「次は二つです」


「書架の出入り記録と」


「西区の広場。三年前の夕刻に、何が起きたか」


 シリルが頷いた。片眼鏡がわずかに残光を反射した。


「捜査局の権限で動く。二日待ってくれ」


 夜が近かった。灯りが街に点り始めていた。



 宿に戻った。


 紙を出した。机に広げた。五枚だったものが、六枚になった。新しい一枚に、若い男、と書いた。書架に通っていた。外套の生地が良かった。名前は不明。三年前には書架に来なくなっていた。


 線を引いた。アンブロスから若い男へ。テスラから若い男へ。台帳の承認記録から若い男へ。


 その先に伸ばそうとして、ペンを止めた。


 名前がなかった。


 アンブロスの手紙の内容を、別の紙に書き写した。場所。日付。「持っているものを渡したい」という一行。


 テスラは行かなかった。では、誰かが行ったか。誰も行かなかったか。アンブロスは半年後に死んだ。手帳が今もどこかにあるとすれば、その手帳は三年間、誰かの手の中にあるか、どこかに隠されたままある。


 蝋燭を近くに引いた。


 テスラが三年間ここにいた。アンブロスの呼び出しに応じなかった。その判断で、テスラは生き延びた。しかし手帳は動かなかった。口座も動かなかった。アンブロスが渡したかったものは、渡されないまま三年間ある。


 渡されなかったものが、今も存在するなら。


 名前のない若い男を見つけることが、最初の一手だった。書架の出入り記録。西区の広場の三年前の記録。どちらかに、何かがある。そのどちらかに辿り着くまで、今は待つしかない。


 六枚の紙を重ねた。紙の束を手で押さえた。


 横になった。眠れる気がしなかった。それでも目を閉じた。

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