表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/50

書記の名前

しばらく不定期更新で進みます。

朝の光が薄いうちにシリルが来た。


 応接室の扉を開けたとき、彼はすでにテーブルの前に立っていた。座る気配がなかった。外套を着たままで、片手に折り畳んだ紙を持っていた。


「名前が取れた」


 それだけだった。


 紙をテーブルに置いた。こちらが手を伸ばすのを待っていた。


 広げた。細い字で一行、名前が書いてあった。


 フィンレイ・アンブロス。


 どこかで聞いた気がした。だが確信がなかった。この身体に残った記憶の断片はいつも不確かで、全体の文脈を欠いたまま浮かんでくる。公爵家付きの書記として登録されていた人間の名前。三年前に死亡届が出され、病死として処理された人間。


「現役録の確認は?」


「評議会の現役録には存在しない。だが王立書記局の補助登録に、同名の人間が五年前まで在籍している記録がある。評議会書架に出入りが許可されていた立場だ」


「五年前に」


「それ以降は途絶えている。更新が止まった時期が、死亡届の前年にあたる」


 シリルが紙の隣にもう一枚出した。登録番号と日付が並んでいた。


「登録を止めた理由は?」


「退職届の控えが残っていない。手続きを踏んでいない」


 テーブルの紙を見た。フィンレイ・アンブロス。この名前が公爵家に繋がっていた。死亡届を出したのが公爵家だった。登録の更新が止まり、翌年に死んでいる。その時期に、評議会書架の査察書類に黒檻の記号が書き足された。


「グレゴールに聞けますか」


 シリルが一瞬だけこちらを見た。片眼鏡の向こうで、何かを測っている。


「情報を引き出せると思うか」


「知っているかどうかだけ確認したい」


「その確認の結果が、どちらに傾いても?」


 どちらに傾いても、ということの意味は分かった。グレゴールが知っていて、それが公爵家に不利なものだったとしても。


「調査の範囲を広げたいなら、知っている人間に聞くしかない」


 シリルが外套の釦に手をやった。外す気配はなかった。


「一時間後に戻る。それまでに話を聞いておいてくれ」



 グレゴールを呼んだのは庭に面した小部屋だった。使用人が行き来しない時間帯に人を呼ぶ場所として、この屋敷で覚えた数少ない知識の一つだった。


 老執事は静かに入ってきた。扉を閉めた。立ったままだった。


「フィンレイ・アンブロスという名前を知っていますか」


 グレゴールの手が、わずかに動いた。外套の裾に触れ、止まった。表情は変わらなかった。


「三年前に公爵家から死亡届が出ています。病死として処理されています」


「……存じております」


「この屋敷に出入りがありましたか」


 間があった。窓の外で鳥が鳴いた。


「書記としての出入りが、一時期ございました」


「何の書記ですか」


「旦那様の個人書類を管理する立場でございました。一年ほどで退きました」


「退いた理由は?」


 グレゴールが視線を床に向けた。こちらを見ることをやめた動作ではなかった。何かを思い出している顔だった。


「病を患われたと伺いました。はっきりとした説明は、旦那様からございませんでした」


「届出日の一年前に、評議会書架への登録が更新されていません。病気で退いたとして、評議会書架への登録を止める必要がありましたか」


 沈黙だった。


 今度は長かった。窓際の壁に影が動いた。雲が通る影だった。


「アンブロス氏は」


 グレゴールが口を開いた。声が低かった。いつもより低かった。


「書架に通う立場を、自ら手放したわけではないと、わたくしは考えておりました」


「手放したのではない、としたら」


「誰かが止めた、ということでございます」


 何かを断ち切る言い方ではなかった。ずっと前から形を持っていた考えを、はじめて声に出したような言い方だった。


「旦那様の書類を管理していたアンブロス氏が、書架への出入りを止められた。一年後に病死として届が出た。届を出したのが公爵家だった」


「はい」


「その経緯を、あなたは把握していましたか」


「全てではございません」


 グレゴールがこちらを見た。皺の刻まれた顔が、やや上を向いた。老人が何かを堪えるときの顔だった。


「しかし、届の書類に捺印を求められたことは覚えております。わたくしが承認することで、書類が効力を持つ立場でした」



 体の芯で何かが動いた。


 捺印を求められた。承認した。


 届の書類に、グレゴールの名前が入っている。旦那様の指示で、あるいは旦那様の名の下で。公爵家の書記が死んだとき、その手続きの一端をグレゴールが担った。


「異議を唱えましたか」


「いいえ」


「唱えられませんでしたか。それとも、唱えなかったのですか」


 グレゴールの喉が動いた。


「唱えなかった、でございます」


「なぜですか」


「疑問を持たなかったわけではございません」


 それだけだった。それ以上を継がなかった。持たなかった疑問ではない。持ちながら、声にしなかった。


「査察書類の追記欄に、黒檻の記号が書き込まれています。アンブロス氏の名前が出てくる書類の一枚に。インクが後から書き加えられたものでした」


 グレゴールが動かなかった。


「その記号が何を指しているか、心当たりはありますか」


「……黒檻台帳の参照番号であれば、台帳そのものを確認しなければ判断できません」


「台帳は整理区画にある可能性が高い。令状が下りれば確認できます」


「令状が下りた場合——」


 グレゴールが一歩、こちらに近づいた。小さな動作だった。しかし近かった。


「台帳の内容は、旦那様の名前と繋がる記録である可能性がございます。お嬢様が確認される前に、その覚悟だけは、あっていただきたいと存じます」



 シリルが戻ったとき、こちらはテーブルの前に座っていた。


「話せたか」


「グレゴールが死亡届の承認捺印をしていました。旦那様の指示だったと思われます」


 シリルが外套を脱いだ。椅子を引いて座った。紙を一枚出した。


「令状の申請に追加できる」


「アンブロス氏が整理区画の台帳と繋がっているとすれば、令状の範囲に含める根拠になりますか」


「届出人と書記の関係、査察書類の追記、台帳への参照記号。三点を並べれば通る」


 シリルが片眼鏡の向きを直した。


「台帳を開けた時、何が出るかによって、その後の動きが決まる」


「グレゴールはそれを知っていると思います」


「知っていて、話したのか?」


「覚悟しておくようにと言いました」


 シリルが少し考えた。考えるときに目が細くなる癖があった。


「一つ聞いていいか」


「どうぞ」


「公爵家の内情を調べることに、あなた自身は躊躇いがないか」


 窓から光が入った。テーブルの上で紙が白く光った。


「躊躇いがないとは言いません。ただ、躊躇っている時間がないことも知っています」


 シリルが紙を引いた。令状申請の追加書類に、ペンを走らせはじめた。



 夕方、グレゴールが書斎の前で待っていた。


 呼んでいなかった。


「お嬢様」


「なんですか」


「アンブロス氏が、最後に屋敷を去るとき」


 グレゴールが廊下の先を一瞬だけ見た。誰もいなかった。


「一冊だけ持ち出した、と記憶しております。手帳のような、小さなものです。旦那様のお書き物が含まれていると申しておりました。わたくしは止めませんでした」


「その手帳がどこにあるか、知っていますか」


「知りません。しかし、あの方が書架に通っていた時期に、口座を開設された金融組合の名前は聞いた覚えがございます」


 名前を言った。


 聞き覚えのない名前だった。


「記録があるかもしれません」


 グレゴールが一礼した。廊下を戻った。足音が遠くなった。



 机に向かった。


 紙に書き留めた。金融組合の名前。手帳の存在。査察書類の記号と台帳の参照番号。グレゴールの捺印。


 令状が下りれば、整理区画で台帳を開ける。台帳の中にアンブロスの名前があれば、その人物が何を知っていたかが分かる。手帳が存在するなら、それが今どこにあるか——口座を持っていた組合が、手掛かりになるかもしれない。


 三年前に死んだ書記は、持ち出したものがある。


 その行き先が、まだ残っている。

お読みいただきありがとうございました ! 面白いなと思っていただいた方は評価・ブックマークなどいただけると作者の励みになります !

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ