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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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夜の三行

しばらく不定期更新で進みます。

朝食が来なかった。


 廊下の音は聞こえた。足音が扉の前で一度止まって、それきり遠ざかった。確認だけだったらしかった。


 監視札が手首で光った。朝の時刻だった。


 卓の前に座ったまま、昨夜の切れ端を頭の中で並べた。若い使用人。昨夜の廊下。本物の担当者を物置部屋に閉じ込め、代わりに朝食を届けた。その後、屋敷を出た。出た後、勝手口の鍵が内側からかけ直されていた。


 外から施錠できる構造ではない。出た者がかけた可能性はない。


 残った者がいた。


 卓の端に指を置いた。叩くかわりに、ただ置いた。


 書類の筒が卓の隅にあった。昨夜届いたままで、紙帯は外していなかった。届けた者の目的が何であるかを、筒の外から考えてから開く。夜明けを越して朝になっても、その判断は変わらなかった。


 窓の外に朝の光があった。庭の砂が白く光っていた。昨日の箒の跡は消えていた。最初からなかったように、なっていた。



 昼前に扉が開いた。


 シリルではなかった。昨日も来た若い局員だった。手帳を持ったまま入ってきた。


「筆頭秘書と思われる人物が、屋敷の東側にある廃小屋で発見されました。生存しています。一時間ほど前です」


 椅子から立ちかけた。監視札が光った。座り直した。熱が一瞬だけ手首を走った。


「怪我は」


「手当て中です。捜査官が直接当たっています」


「自発的にそこにいたのですか。それとも」


 局員が少し止まった。「現在確認中です」と言って、手帳に何かを書き加えた。


 扉が閉まった。


 風が窓を鳴らした。庭の砂が動いた。東側の廃小屋はこの部屋の角度からは見えない。


 逃げたのではなく、近くに留まっていた。シリルが昨夜言った通りだった。何かを待っていた。


 廃小屋は屋敷の管理地内にある。監視が届く場所だった。それでもそこを選んだとすれば、他に選択肢がなかったか、見つかることを前提にしていたかのどちらかだった。


 見つかることを前提にしていた。


 秘書は誰かに何かを伝えたかった。今朝まで待っていた。今朝、捜査局が動いた。



 午後になってシリルが来た。


 外套に砂埃がついていた。靴も同様だった。廃小屋まで直接行ってきた顔だった。椅子には座らなかった。立ったまま、少しだけ壁の方を向いた。


「秘書は昨夜から廃小屋にいました。追われていた、と言っています。声も姿も確認していない。昨夜、自室に戻ったとき部屋が荒らされていた。書き物が持ち去られていた。廊下で足音を聞いた。向かってくると判断して、勝手口から出た」


 レティシアは卓の木目を一点見た。


「持ち去られた書き物というのは」


 シリルが少し止まった。


「ルーファス・グレイから預かっていた台帳の写しに関わる書類の控えです」


 部屋の中の空気が変わった気がした。


 ルーファスが黒檻台帳と関わっていた。書庫から何かを持ち出した可能性があった。その控えを秘書に渡していた。その控えが昨夜消えた。


 ルーファスが死んでから、台帳に関わる者が動き続けている。始末した後、痕跡を順に消している。秘書はその順番の中にいた。ルーファスの次が秘書だった。


「秘書はルーファス様から何を聞いていましたか」


「口頭での聴取を進めています。詳細は明日以降です」


 シリルが視線を移した。


「昨夜の書類の筒を」


「あります」


 引き出しを開けた。筒を取り出した。紙帯は外していなかった。


 シリルが近づいて手を伸ばした。受け取ったが、すぐには開けなかった。外側を一度確認した。


「外れていない」


「届けた者が何を伝えたかったかを、先に考えようとしていました。筒の外から」


 シリルがレティシアを一度見た。時間にすれば短かった。


「開封してもよいですか」


「捜査資料として扱うのであれば」


「そうします」


 シリルが紙帯を丁寧に外した。筒を傾けると紙が一枚出てきた。広げた。


 目が一度だけ止まった。


「これは」とシリルが言った。レティシアの方に向けた。


 一行だけ書かれていた。字が整っていなかった。急いで書いた字だった。


 読んだ。


――西塔に、もう一冊ある。



 沈黙があった。


 西塔に、もう一冊ある。


 黒檻台帳の話だとすれば。昨夜グレゴールが言った。焼いたのは写しだけだったと言った。本物の台帳の行方はわかっていなかった。それとは別に、もう一冊が存在するとすれば。あるいは、本物がまだ西塔にあるとすれば——持ち去られたのは写しだけで、本物は手をつけられていなかった。


「どちらにしても」とレティシアは言った。「西塔にまだ何かが残っています」


「そう読みます」


「この字を書いた者を特定できますか」


「試みます」


 シリルが少し間を置いた。窓の外に一度目を向けた。


「昨夜、捜査局ではなくあなたのところへ届けた。なぜだと思いますか」


 レティシアは少し考えた。


「局へ届ければ動きは速い。台帳の確保も早い。それでも届けなかったとすれば——」


「局を信じられない理由がある」とシリルが言った。


「黒檻台帳に王立側の名が含まれているとすれば」とレティシアは続けた。「捜査局の中に、台帳を隠したい者がいるかもしれない。その可能性を知っていた者が、局の外にいる人間を選んだ」


 シリルが少し黙った。


「局の外で、この屋敷の中で信じられる者を選んだ」


「そうなります」


「それがあなただった、ということです」


 評価でも否定でもなかった。事実の確認だった。


「捜査官はどう判断しますか」


「情報として扱います」


 シリルが扉の方へ動いた。


「西塔を今日中に再確認します。結果は明日お伝えします。夜に何かあれば」


「記録します」


 扉が閉まった。



 外の光が西に傾き始めていた。夕方ではまだなかった。


 手首の監視札が静かだった。


 局の外で、信じられる者。


 レティシアは窓の外の庭を見た。


 昨夜の廊下で、若い声の者が書類の筒を持って来た。捜査局でも、グレゴールでも、屋敷のどの人間でもなく、監視された部屋に閉じ込められているこの場所を選んだ。


 なぜこの部屋を選んだのか。


 手首に監視の道具を巻かれ、椅子から立てば光が走る。役に立てる立場ではなかった。それでも届けた者はこの扉を選んだ。


 監視されているからこそ、安全だと判断したのかもしれない。ここへ出入りする者が記録されている。記録があれば、届けた事実が消えない。消えないことが必要だった。


 あるいは——ルーファスの事件を、この屋敷で誰よりも近くで見ている者を選んだ。


 どちらの理由であっても、届けた者はこの屋敷の内側の動きを知っていた。誰が動き、誰が追われているかを、相当な精度で把握していた。


 昨夜から今朝まで屋敷のどこかにいて、勝手口に鍵をかけて残った。見つからないように。それでも存在を消さなかった。一行の書がその証拠だった。


 目的が果たされていないから残っている。


 一行を届けただけでは十分でないと判断しているなら、もう一度来るかもしれない。


 庭に影が伸び始めた。鳥が一声だけ鳴いた。鳴き終わってから、庭がまた静かになった。



 夕食が来た。


 年配の女の使用人だった。余分なことを言わなかった。盆を置いて、一礼して出た。


 椅子に座ってスープを一口飲んだ。熱さが舌に残った。


 今朝から食事を取っていなかった。気づいたのは今だった。


 食べながら、今日わかったことを並べた。


 秘書は追われていた。控えが奪われた。廃小屋に隠れた。捜査局に発見された。


 書類の筒の中に一行の書があった。


 届けた者がまだ屋敷の中にいる可能性がある。


 西塔にもう一冊、何かがある。


 一つだけ繋がらないことがあった。


 秘書の控えを奪った者と、書類の筒を届けた者が同じ側の人間かどうか。


 控えを奪った者は、痕跡を消したい側の人間だった。台帳の内容を隠したい者だった。


 書類の筒を届けた者は、台帳の存在を知らせたい側の人間だった。


 二つは目的が逆だった。


 昨夜この屋敷の中で、二つの異なる力が動いていた。一方が控えを奪い、秘書を追い出した。もう一方が筒を届け、勝手口に鍵をかけて残った。


 どちらも、まだ決着がついていない。


 レティシアはスープを飲み終えた。器の底が見えた。パンを一つ取って噛んだ。口の中に味が広がった。


 今日一日、ただここにいた。動けないまま、誰かが持ってくる断片を受け取り、並べていた。それでも誰かが、この部屋の扉を選んで来た。


 監視札が夕刻の確認を知らせた。白く穏やかな光だった。


 窓の外の庭が夕暮れの色に変わっていた。


 夜はまだ始まっていなかった。

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