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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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17/21

消えた秘書

しばらく不定期更新で進みます。

光が均一になった。


 斜めだった影が縮んで、部屋の中に白いものが満ちた。庭師は箒の跡を砂に残して、もうどこかへ行っていた。昨日と同じ庭が、光の角度だけ違う顔をしていた。


 ベッドには戻らなかった。椅子に座ったまま、窓の外を見ていた。


 シリルは今、筆頭秘書の部屋に向かっているか、あるいはすでにその者と向き合っているかだった。三年前に若様の筆跡を模した者。査察書類に偽の署名を入れた者。グレゴールが静かに名前を言った。シリルの背中ごしに聞いた。三音節の前半だけ届いて、それ以上は廊下の奥に消えた。


 知らない名前かもしれない。あるいは聞いたことはあるが、まだ顔のない名前かもしれない。


 ノックがした。


「失礼いたします」


 若い声だった。使用人が食事の盆を持って入ってきた。昨日まで食事を届けていた者ではなかった。


 トーストと薄いスープと、小皿に切った果物が乗っていた。普通の朝食だった。量も問題なかった。使用人は卓に盆を置いて、礼をした。


「いつもの方は」


 使用人の動きが止まった。一拍だけ。背中が硬くなった。


「本日は担当が変わっております」


「どうして」


「別の任があると聞きました。詳しくは存じません」


 盆を置く最後の動作で、指が縁を一度だけ押さえた。中身が揺れないようにしたのかもしれない。それだけかもしれない。


「屋敷に来て何年になりますか」


 使用人がこちらを見た。


「三年になります」


「三年前、査察がありましたね」


 目が静かだった。静かすぎた。


「私はまだ下働きでしたので、存じません」


 礼をして出た。扉が閉まった。


 レティシアはスープに手をつけなかった。卓の上を見ていた。


 三年。


 査察のあった年と一致する。だからといって何かが繋がるわけではない。三年前に屋敷に来た者が全員疑わしいわけではない。それはわかっている。ただ——静かな目だった。問いへの答えが、早すぎも遅すぎもしなかった。用意されていたような間だった。


 手首の監視札を見た。白く光っていた。痛みはない。



 昼前、シリルが来た。


 外套を着たままだった。夜通し動いていた顔ではなくなっていたが、また動き始めた顔だった。


「筆頭秘書の部屋は空でした」


 レティシアは椅子から立ちかけて、監視札が光るのを感じて止まった。


「今朝早く出たと思われます。昨夜の見回りではいた。今朝の点検でいなかった」


「荷は」


「残っていました。急いで出たか、あるいは戻るつもりでいたか」


 シリルが窓の方を見た。


「逃げたのではないかもしれない」


「屋敷の内側に動きがあった可能性がある」


「そう見ます」


 レティシアは黙った。シリルも黙った。


 庭で鳥が鳴いた。二声だけで止まった。


「昨夜、グレゴールが私のところへ来たことを知っていた者がいたとすれば」


「廊下を通った者です」とシリルが言った。「記録しています。業務上の位置にいた。不審とは断定できない」


「朝食を届けた使用人は」


 シリルが少し間を置いた。


「同一人物の可能性があります。目撃した者の記録と照合しました」


 静かな目の使用人。指が一拍だけ縁を押さえた。三年前から屋敷にいる。三年前の査察を知らないと言った。


 いない。接触がなければ知らないでいられる。ただ、あった。


「その使用人の担当者が今朝から連絡が取れていない、とおっしゃいましたか」


「確認中です」


 レティシアは卓の上の盆を見た。スープは冷めていた。果物は皿の縁に一切れ残っていた。


「担当が変わった、と使用人が言いました。理由は別の任があると聞いた、とだけ」


「調べます」



 シリルが出た後、また一人になった。


 窓の外の庭に風が来た。砂の上に残っていた箒の跡が崩れていくのが見えた。形が崩れると、最初からなかったようになる。


 切れ端を並べた。


 三年前から屋敷にいる若い使用人。昨夜の廊下で目撃。今朝の担当変更。筆頭秘書の失踪。


 四つ。三つを繋げば形が見える。一つだけ繋がらない。


 昨夜書類の筒を届けた者の目的が何かだった。


 もし使用人が秘書と繋がっているなら、書類を渡すはずがない。証拠が出れば秘書が追われる。追われれば、使用人自身も危うくなる。渡さない方が得になる。


 では逆の立場からだとすれば。


 書類を出すことで、秘書を追い詰めようとした側の者が届けた。


 だがそうなると、秘書が逃げたことは想定外の事態になる。証拠が出る前に逃げられた。


 どちらでもない第三の可能性がある。


 使用人は昨夜の廊下で何かを見た。グレゴールが動くのを見た。そこで何かを判断した。判断した内容次第で、誰かに伝えた。


 伝えた相手が秘書だったとすれば——使用人と秘書の間に直接の繋がりがある。


 伝えた相手が別の誰かだったとすれば——屋敷の中にまだ別の動く者がいる。


 監視札が光った。レティシアは動いていなかった。定期の確認だった。時刻が進んでいた。


 グレゴールは三年前、書類に偽造署名があったことを知らなかった、と言った。知らないまま三年を過ごした。その三年の間に、何かが屋敷の中に根を張った。


 根を張るには時間が要る。


 三年は長い。


 三年前から屋敷にいる使用人は一人ではない。ほとんどの使用人がそうだろう。絞り込めない。


 ただ、昨夜廊下にいた者は限られている。今朝の担当変更を知っていた者も。その使用人の通常担当者と連絡が取れなくなったことも。


 シリルが調べている。


 調べている間、こちらは動けない。



 夕方になる手前、シリルが戻ってきた。


 今度は外套を脱いでいた。局員を三人連れていた。表情に変化はなかった。目の奥だけが、朝より深かった。


「使用人の担当者が見つかりました」


「生きていますか」


「はい。物置部屋に閉じ込められていました。今朝の交代時刻の少し前から」


 レティシアは窓の外を見た。光が傾き始めていた。夕方の色だった。


「入れ替わったということですか」


「そう見ます。担当者を閉じ込め、別の者が朝食を届けた。その者はその後、屋敷から出た可能性があります。姿が確認できていない」


「秘書と同じルートで」


「同じかどうかはわかりません。ただ——同じ時間帯に、屋敷の勝手口の鍵が一時的に開いていた形跡があります」


 沈黙があった。局員の一人が手帳に何か書いていた。ペン先の音だけが続いた。


「勝手口を開けた者は誰ですか」


「不明です。鍵は内側からかけられていました。合鍵があった可能性が高い」


 レティシアは手首を一度見た。監視札は静かだった。


「筆頭秘書と、今朝の使用人と、勝手口。三つが同時に動いた」


「はい」


「計画的に」


「そう判断しています」


 シリルが少し止まった。


「あなたに一つ聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「今朝の使用人が部屋に来たとき、何か気づいたことはありましたか。言動、動作、何でも」


 レティシアは朝の場面を戻した。盆を持って入ってきた姿。卓に置くときの一拍の停止。縁を押さえた指。静かすぎた目。三年、と言ったときの間。


「問いへの答えが、用意されていたように聞こえました」


 シリルが少し目を動かした。


「どの答えが」


「三年前の査察を知らないという答えです。聞いてもいない話題に、先に答えが来ました」


 シリルが一度だけ、手帳を閉じた。


「それは有用な観察です」


 有用、という言葉が平らだった。評価でも否定でもなかった。事実の確認だった。



 局員たちが出た後も、シリルは少しの間残った。


「秘書は今も屋敷の近くにいるかもしれません」


「逃げきれる距離ではない、ということですか」


「屋敷から出たとしても、目的地があったはずです。目的地に向かったか、あるいは——まだ近くにいて待っているか」


「何を待つのですか」


 シリルが窓の方を一度見た。


「それが次の問いです」


 出ていった。扉が閉まった。


 レティシアは椅子に座ったまま、部屋の中を見た。


 昼に届いた盆はすでに回収されていた。夕食はまた誰かが届けるはずだった。その誰かが今朝の者ではないことを願うと、すぐに考え直した。今朝の者はもう屋敷にいない。別の誰かが来る。別の誰かが本物かどうかはわからない。


 今朝、物置部屋に閉じ込められた使用人は、何も知らなかったはずだ。ただ担当の時間に向かおうとして、閉じ込められた。


 それが昨夜から計画されていたとすれば。


 昨夜の廊下の目撃よりも前に、計画は動いていた。


 では、書類の筒を届けた若い声の者は、何を知っていて届けたのか。


 計画の外にいた者かもしれない。計画を壊そうとした者かもしれない。


 あるいは——計画の中にいて、別の目的を持っていた者かもしれない。


 監視札が光った。夕刻の確認だった。


 部屋の中に夕方の影が伸び始めていた。窓の外の庭が、また光の角度を変えていた。


 誰かがこの屋敷の中で、すべてを見ていた。


 そしてその誰かは、今もどこかにいるかもしれなかった。

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