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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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地下の写し

しばらく不定期更新で進みます。

朝の光が給仕棟の廊下に届く前に、老執事の部屋の前まで来ていた。


 扉の下に光は漏れていない。


 シリルがノックした。一呼吸ほどの間があって、「どうぞ」という声が返ってくる。昨夜より低い。眠れなかった夜の声ではなく、ずっと起きていた朝の声だ。


 部屋に入ると、グレゴールは窓際の椅子に座っていた。機の上の紙が縦に重ねてある。両手をその上に揃えて、窓の外を見ていた。ランプは消えていた。


 立ち上がるのに少し時間がかかった。腰からではなく、膝から力を使っている。一晩同じ姿勢で書き続けた後の動き方だ。


 グレゴールが紙束を持ち上げた。両手で、正面から、扉の前まで歩いてきてシリルへ差し出した。


「搬送路の絵図と区画の一覧です。黒檻台帳に記載されていた立入許可者の名と、許可年月日。帳簿は測量の精度まで写せておりません。台帳の写しを焼いてから五年、名前の字は確かですが、肩書きは当時のものです」


 シリルが受け取った。一頁ずつめくっていく。速くはない。中ほどで手が止まった。前後を確認して、もう一度止まった。最初は内容を読む停止、二度目は意味を考える停止だ。


 グレゴールは何も言わずに窓の外を見ていた。雪が降り続いている。


「この方は、現在も同じ立場においでですか」


「三年前は変わりないと聞いておりました。それ以降は届きません」


 シリルが最後の頁まで確認して、折り畳んで、上着の胸元へしまった。


「お預かりします」


「構いません」


 老執事の目がこちらへ来た。昨夜と同じ確かめ方だが、今朝は緊張より先に何かが終わった静けさがある。


「お嬢様。昨夜、もっと早くお話しすべきでした」


 昨夜、機の前で手を紙の上に重ねたとき、書き写す時間がまだ必要だった。だから全部話さなかった。そこまでは分かっていた。


「いいえ」


 嘘ではなかった。



 廊下に出ると、シリルが口を開く前に先に言った。


「搬送路を今朝確認します。昨夜、書庫で螺旋階段の入口まで見ています。書架の裏です」


「案内できますか」


「できます」


「先を歩いてください」



 西塔の書庫は朝の光の中で別の顔をしていた。夜は天井の暗さが圧になる。朝は本棚の間に光が切り込んで、埃が白い柱になって見える。廊下の遠くから局員が書斎へ出入りする声が届いていた。


 奥の書架の前へ行くと、昨夜動かした金具に指の跡が残っていた。


 局員が確認した。


「内側と外側、両方から操作されています」


「昨夜降りた後、外から閉めた者がいます」


 シリルが書架の一か所に手を当てた。本の背が一冊わずかに前に出ている。内側から押した圧の残り方と、外側から引いた力の向きが違う。


 金具を外した。書架が動いた。螺旋階段の開口部から石の冷たい空気が来た。



 五十段降りると床の感触が変わった。砂と土が混じった地面で、足音が石から消えた。


 ランプが搬送路に広がった。天井に鉄の軌条が走っている。錆が浮いているが形は残っていた。荷台を吊る装置が、いまは動かない。


 床の砂に筋があった。細く深く、一方向へ続いている。しゃがんで縁の形を見た。重いものを包んで引きずった跡だ。布か革で包んだ硬い角の形が縁に残っている。


「帳簿を運んだ跡です。布か革で包んで引いた形で、重さは帳簿一冊以上あります」


 シリルが確認する前に言った。


「続きを見ます」


 十歩、二十歩進んだところで筋の縁の深さが変わった。前後で砂の踏まれ方が変わっている地点と、縁の変化がほぼ重なっていた。足跡が一種類から二種類に増えている。


「ここから二人がかりになっています」


 シリルが前後の砂を確認した。黙ったまま先へ歩く。



 三十歩ほど進んだところで、匂いが変わった。


 薬草を煮詰めた後の甘苦い空気が、石の継ぎ目から滲み出ている。壁に手を当てると、化粧石の表面の下に直線の縁がある。刃物ではなく、別の石を貼った継ぎ目だ。端に金属の引き手が一か所だけ埋まっていた。鍵穴ではない。閂の引き手だ。


「開いています」


 シリルが引いた。石の扉が内側へ動いた。温い空気が搬送路に流れてきた。



 折り返しのある空間だった。部屋ではなく、通路の途中に作られた待機所だ。奥行きは十歩ほど。右手の壁に棚が打ち付けてあって、板の一面だけ埃が薄い。最近まで何かが置いてあった面だ。


 左手に鉄製の炉がある。持ち運び用の型だ。炉の内側に白い灰が積もっていた。薬草の匂いはそこから来ていた。


 シリルが炉の縁を確認している。灰に触れずに、積もり方の形だけを見ていた。


「最後に火を入れたのは昨夜か一昨日以内です」


「根拠は」


「密閉した空間では灰の上面がこの形を保てる時間に上限があります。表面が沈む前の状態です」


 シリルが頷いた。


 炉の脇に金具が一個落ちていた。小さい。しゃがんで見ると、巻き封じの金具だとわかった。公文書を丸めて括るとき、紐の端を圧着する金属片だ。圧着の跡が残っていて、封を解いた後に捨てていった形だ。


「これを見てもらえますか」


 シリルが手袋で拾い上げた。裏を返す。


「刻印があります」


 横に並んだ。小さい刻印が金属面に押されている。一文字を丸く囲んだ紋章だ。


 見たことがある紋章だった。


 場所が出てこない。廊下の壁か、書状の隅か。ただ紋章の形が、どこかに引っかかる。レティシアとして受け取った書状の、折り目の端に貼られていた封じの印。「これは見なかったことにしなさい」という声と一緒に持ち去られた記憶だ。持ち去ったのはレティシア自身ではなく、傍にいた誰かで、その声の主の顔は出てこない。体だけが持っている記憶で、記憶の持ち主はもういない。


「王立の、特定の部署の封じです。一般の捜査局とは別の刻印です」


 シリルの手が止まった。


「続けてください」


「それだけです。公文書の種別によって封じの形が変わります。これは一般の書類ではなく、内部の動きを扱う書類に使われる型です」


 シリルは否定しなかった。布袋に金具を入れて上着のポケットへしまった。


 棚の縁を確認している。角に繊維の痕がある。帳簿を包んでいた布と同じ素材のように見えた。


「搬送路の絵図に、この分岐の記載はありましたか」


「なかった」


 一語だった。頁をめくる手が止まったときの間と、同じ静けさが声にある。


 グレゴールの写しは帳簿からのものだ。帳簿に載っていない区画がある。この空間は黒檻台帳にも記載されていない経路だ。



 奥の壁にもう一枚扉があった。


 鉄板の実用的な扉だ。引いても押しても動かない。局員が鍵穴を確認した。


「内側で鍵が折れています。内側から封じた」


 シリルが扉を拳で叩いた。向こう側から空洞の音が返ってくる。


「壊せますか」


「工具があれば、一刻ほどで」


「依頼します」


 局員が出た後、シリルは炉の前に戻った。一人で立って、灰を見ていた。しゃがむでも触れるでもなく、ただ灰の形を見ている。


 声をかけなかった。


 炉の灰の崩れ方に方向がある。束ねて横に置いた形で燃やした跡だ。紙を複数枚まとめて燃やした残り方だ。


 シリルが立ち上がった。


「一昨日の夜。ルーファスが西塔へ向かった夜に、この場所で公文書が焼かれました」


 問いではなく、確認の言い方だった。


「搬送路の外側の出口は北庭の外れでしたか」


「グレゴールの話ではそうです」


「書庫の鍵の写しがあれば、書架の裏を使わずに外側から入れる」



 工具が届くまでの半刻、搬送路を前後した。


 棚の配置、炉の向き、足跡の間隔。石壁の継ぎ目に水染みが一か所ある。北庭の水槽から地下水が染み出した跡だと、形から見当がついた。


 鉄板が歪み、蝶番が外れ、鍵穴の周囲に亀裂が走った。扉が内側へ落ちた。


 向こうは階段だった。上へ向かっている。十五段ほどで天井に板が当たった。局員が押した。重い。もう一度力をかけると板が動いた。


 灰色の光が落ちてきた。朝の、冷えた光だ。


 出口は、北庭の外れに置かれた石造りの水槽の底だった。水槽は空で、底に石板が敷いてある。庭師が毎日通っても気づかない造りだ。


 シリルが先に外へ出た。続いて出ると、北庭の雪が一面に広がっていた。


 水槽の周囲に足跡があった。


 新しい。夜のうちに積もった雪の上を、誰かが歩いた跡だ。屋敷の外壁の門扉の方向へ続いている。


「外から入った」


 シリルの声は低かった。


「屋敷の者ではなく、外から搬送路へ入った者がいます」


 足跡の方向を目で追った。外壁の門扉が見える。内側から閂がかかっているはずの扉だ。


 シリルが先に歩いた。門扉まで近づいて閂の下の雪を確認する。外側から棒か工具を隙間に差し込んで閂を上げた、押した力の跡だ。


 足跡を数えた。七つ。片道分だ。



 断片が揃った感触があった。


 体温ではない熱が手首から指先まで来た。


 ルーファスは書庫から降りた。搬送路を進んだ。隠し扉の向こうで外から来ていた者に遭った。帳簿は二人がかりで運ばれた。公文書は焼かれた。外の者は北庭の出口から出て、門扉を閂ごと封じ直していった。


 グレゴールが昨夜言ったのは「言えません」だった。「知りません」ではなかった。


 シリルの上着の内側に、グレゴールの写しがある。台帳の立入許可者の名と、封じの刻印が同じ名前を指すかどうか。それはシリルが持っている。


 シリルがこちらを向いた。


「足跡を記録して、門扉の金具を確認します。それから屋内に戻りながら、昨夜から今朝の会話を全部聞かせてください。今朝と昨夜で変わった部分も含めて」


「聞く時間があります?」


「では歩きながら」


 先を歩く背中が雪の中に続いた。


 七つの足跡の先が、外壁の向こうで消えている。街の中に昨夜ここにいた者がいる。その者が公文書を今も持っているのか、すでに誰かへ渡したのかは、まだわからない。


 ただ封じの刻印がある。


 名前ではなく、まず形から。今日はそこから追う。

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