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マリー・アントワネットの首飾り、237年目の答え合わせ  作者: 東曌


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第三話 王妃が断った宝石

第三話 王妃が断った宝石


その首飾りは、王妃のために作られたはずだった。


少なくとも、宝石商たちはそう信じていた。


いや、そう信じたかったのかもしれない。


無数のダイヤモンドを連ねた、途方もなく高価な首飾り。


それは、ただ美しいだけの宝石ではなかった。


王侯貴族の富を示し、身につける者の権威を飾り、所有する者の名を後世に残すための品だった。


しかし、その首飾りは、長いあいだ持ち主を得られなかった。


そして、やがて一人の王妃の名を背負い、フランス王政を揺るがす事件の中心へと転がり込んでいく。


     *


話は、マリー・アントワネットが王妃になる前の時代にさかのぼる。


フランス国王ルイ十五世の宮廷では、豪華な宝石は単なる装飾品ではなかった。


王の寵愛を受けること。


宮廷での地位を示すこと。


他の誰にも手に入れられない品を所有すること。


宝石には、そうした欲望が幾重にもまとわりついていた。


二人の宝石商、シャルル・オーギュスト・ベーマーとポール・バッサンジュも、その欲望をよく知っていた。


彼らは、王侯貴族の注文を見込んで、高価な宝石を集め、加工し、時には莫大な資金を投じて商品を用意した。


売れれば大きな利益になる。


だが、売れなければ、宝石は美しいまま、借金と不安を生む重荷になる。


この首飾りも、そんな危険を抱えた品だった。


当初、ルイ十五世が、寵愛する女性マダム・デュ・バリーのために購入することを検討したと伝えられている。


王の寵愛を受ける女性にふさわしい、並外れた豪華さ。


それこそが、この首飾りに求められたものだった。


ところが、計画は実現しなかった。


1774年、ルイ十五世が死去したのである。


王がいなくなれば、王の寵愛を受けていた女性の立場も変わる。


新しい王、ルイ十六世が即位すると、宮廷の人間関係も、政治の空気も、少しずつ変化していった。


デュ・バリーは宮廷の中心から遠ざかり、宝石商たちは、巨額の費用をかけて用意した首飾りを抱えたままになった。


ダイヤモンドは輝いていた。


だが、買い手がいなかった。


宝石商たちは、あきらめるわけにはいかなかった。


首飾りを売らなければ、投じた資金を回収できない。


王族に売れれば、名誉も利益も得られる。


そこで彼らが目を向けたのが、新しい王妃だった。


マリー・アントワネット。


オーストリアから嫁いできた、若く華やかな王妃。


彼女ならば、この首飾りにふさわしい。


そう考えたのだろう。


だが、宝石商たちの期待は、思いどおりにはならなかった。


     *


マリー・アントワネットがフランスへ嫁いだのは、1770年。


まだ十四歳だった。


異国の宮廷で、彼女はフランス王太子妃としての役割を学び、やがて王妃となった。


母マリア・テレジアは、遠く離れた娘の暮らしを心配していた。


母の目から見れば、娘はまだ若く、宮廷の複雑な人間関係や、王族の振る舞いが持つ政治的な意味を、十分に理解しているとは言いがたかった。


華やかな衣装。


舞踏会。


賭博。


贈り物。


それらは若い王妃にとって、宮廷生活を彩る楽しみだったかもしれない。


しかし、母にとっては、娘の評判を危うくしかねないものでもあった。


王妃の行動は、本人が考える以上に、多くの人々に見られていた。


贅沢をすれば、浪費と批判される。


誰かと親しくすれば、その関係をめぐって噂が立つ。


何かを拒めば、傲慢だと受け取られることもある。


王妃には、自由があるように見えた。


けれども、その自由は、宮廷の人々の視線から切り離されてはいなかった。


それでも、マリー・アントワネットは、自分の好みを持つ一人の女性だった。


華やかなものを好んだことも事実である。


衣装や装飾品に多くの金を費やしたことも、否定できない。


だからといって、彼女が目の前に差し出される高価な品を、すべて買い求めたわけではなかった。


首飾りの話が持ち込まれたとき、彼女は購入を望まなかった。


宝石商たちにとって、それは大きな失望だった。


彼らが用意したのは、並外れた品だった。


ダイヤモンドを惜しみなく使い、王族の威光を飾るために作られた、まさに王妃にふさわしい首飾り。


それなのに、王妃は手に取ろうとしなかったのである。


なぜか。


彼女は、ダイヤモンドに興味がなかったのだろうか。


そんなはずはない。


王妃は宝石を好んでいた。


では、値段が高すぎたのか。


それも理由の一つだった可能性はある。


だが、問題は金額だけではなかった。


王妃が首飾りを買えば、その購入は宮廷の噂になる。


王室の財政を心配する人々の目にも触れる。


王妃の贅沢を批判する者たちに、新たな材料を与えることにもなる。


そして、この宝石には、かつての国王とデュ・バリーをめぐる過去がまとわりついていた。


新しい王妃が、それを自分のものにする必要はなかった。


彼女が購入を断った理由を、一つだけに決めることはできない。


けれども、少なくとも、王妃が豪華な宝石を好んだからといって、どんな宝石でも欲しがったと考えるのは間違いだった。


王妃は断った。


その事実が、やがて奇妙な皮肉を生むことになる。


彼女が買わなかった首飾りによって、彼女の名が傷つけられていくのだから。


     *


宝石商たちは、首飾りを売ることをあきらめなかった。


王妃が断ったからといって、首飾りの価値が消えるわけではない。


ダイヤモンドは、依然として美しかった。


その輝きは、誰かの欲望を刺激し続ける。


そして、欲望は時として、事実よりも強く人を動かす。


首飾りを手に入れたい者。


王妃に近づきたい者。


宮廷での地位を取り戻したい者。


巨額の利益を得たい者。


それぞれの思惑が、やがて一つの場所に集まっていく。


その中心にいたのが、ロアン枢機卿だった。


彼は高位聖職者であり、王族に近い地位を望んでいた。


しかし、マリー・アントワネットとの関係は、彼が期待するようなものではなかった。


王妃から信頼されたい。


王妃に認められたい。


その思いは、彼を危うい立場へと導いていく。


さらに、そこへ一人の女が現れる。


ジャンヌ・ド・ラ・モット。


彼女は、王妃とのつながりを装うことで、ロアン枢機卿の願望を利用しようとする。


王妃本人が首飾りを断ったという事実は、すでに過去のものになっていた。


だが、その事実を知っていることと、その事実を信じ続けることは違う。


人は、自分が望む答えを見つけると、疑うべきところを疑わなくなることがある。


王妃が本当に自分を認めてくれたのなら。


王妃が本当に自分を頼っているのなら。


そう信じたい気持ちが、確かめるべき事柄を見えなくしていく。


ロアン枢機卿は、王妃の意思を確かめることができたはずだった。


しかし、彼は別のものを信じることになる。


王妃の名を借りた言葉。


王妃の意思であるかのように示された証拠。


そして、王妃に近づけるかもしれないという期待。


首飾りは、まだ彼の手に渡っていない。


だが、事件はすでに動き始めていた。


     *


1901年。


プチ・トリアノンの庭園を歩いた二人のイギリス人女性は、まだ、この首飾りの謎を知らなかった。


彼女たちが調べることになるのは、過去の風景だけではない。


歴史に残された記録。


人々の証言。


そして、ある女性の名に結びつけられた、あまりにも強固な物語だった。


首飾りは、王妃が断った。


それなのに、なぜ王妃の名が事件の中心に置かれることになったのか。


その答えを探すには、首飾りを売ろうとした者たちだけでなく、首飾りをめぐって何かを信じた人々の心も、見つめなければならない。


霧の向こうに、まだ姿の見えない女がいる。


彼女は、何を知っていたのだろう。


そして、何を知っているふりをしたのだろうか。

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