第十話 霧の中の女たち
第十話 霧の中の女たち
一九〇一年八月。
ヴェルサイユの庭園には、夏の終わりを告げるような、湿った空気が漂っていた。
シャーロット・アン・モーバリーとエレノア・ジョーダンは、プチ・トリアノンへ向かって歩いていた。
二人は、ともに教育に携わる女性だった。
モーバリーは、英国の名門校であるオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジの初代校長を務めた人物である。ジョーダンもまた、教育者としての経験を持ち、知性と観察力を備えた女性だった。
二人は、歴史を見物するためにフランスへ来た。
少なくとも、出発したときには、そのつもりだった。
ヴェルサイユ宮殿。
ルイ十四世が王権の威光を示すために拡張した宮殿と庭園は、訪れる者に圧倒的な印象を与える。
整然とした並木道。
幾何学的に配置された花壇。
遠くまで続く水路。
そして、王家の権力を象徴する建築物の数々。
そこには、人間が自然を支配し、秩序を与えようとした意志が刻まれていた。
しかし、プチ・トリアノンへ近づくにつれて、二人の周囲の景色は、どこか奇妙なものへと変わっていった。
後年、二人が語ったところによれば、道に迷ったような感覚があり、見慣れない服装の人物や、説明のつかない光景を目にしたという。
ある人物は、昔の衣装をまとっていた。
ある場所には、言葉にしにくい違和感があった。
二人は、その体験を、単なる道迷いとして片づけることができなかった。
だが、ここで慎重にならなければならない。
一九〇一年に、二人が実際に過去へ迷い込んだと証明されたわけではない。
彼女たちが見たものは何だったのか。
記憶の錯誤だったのか。
環境や疲労が生んだ印象だったのか。
あるいは、二人にとって本当に説明しがたい体験だったのか。
それは、今も断定できない。
一九一一年、二人は「アドベンチャー」という題名の本を刊行し、自分たちの体験を世に問うた。
その本は、後にプチ・トリアノンのタイムスリップ譚として知られるようになる。
けれども、二人が見たものの正体を考えるとき、私はもう一つの問いを置いておきたい。
なぜ、彼女たちは、その場所で、あのような体験をしたと語ったのだろうか。
そして、なぜ、彼女たちの話は、マリー・アントワネットと結びつけられることになったのだろうか。
*
一七七〇年、十四歳の少女がフランスへやって来た。
名を、マリー・アントワネットという。
彼女は、オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘だった。
母は、ヨーロッパの大国を統治する政治家であり、娘には王妃としての責任を果たしてほしいと願っていた。
しかし、フランスの宮廷は、母が暮らすウィーンの宮廷とは異なる場所だった。
言葉も違う。
習慣も違う。
人々が何を重んじ、何を軽蔑し、どのような噂を好むのかも、少女にはまだ十分にわからなかった。
しかも、彼女は一人の少女としてではなく、王朝間の結びつきを担う存在として、フランスへ送り出されたのである。
十四歳の少女に、どれほどの覚悟があっただろう。
彼女は、王妃になるために教育されてきた。
だが、王妃になるための教育と、王妃として生き抜く能力は、同じではない。
礼儀作法を身につけること。
人前で適切に振る舞うこと。
外国語を学ぶこと。
宮廷の人間関係を理解すること。
それらは必要だった。
しかし、何千人もの人々が自分の一挙手一投足を見つめ、服装や交友関係、浪費、沈黙にまで意味を見いだそうとする生活を、誰が教えられるというのだろう。
マリーは、華やかな服を好んだ。
遊びや娯楽に心を惹かれた。
金銭の使い方について、批判されるべき点もあった。
彼女の浪費を、すべて周囲の悪意のせいにすることはできない。
しかし、彼女の欠点を認めることと、彼女にあらゆる罪を負わせることは、別の問題だった。
その二つは、いつの間にか混同されていく。
彼女が浪費したという話は、やがて、彼女なら何でも買うだろうという話に変わる。
彼女が王妃として未熟だったという評価は、彼女は国民を顧みない人間だという断定に変わる。
そして、彼女が実際には注文していない首飾りまでもが、彼女の名前と結びつけられた。
人々は、彼女の過去の行動を知っていた。
しかし、それによって、彼女が関与していない事件まで理解したつもりになってしまったのである。
*
モーバリーとジョーダンが一九〇一年にプチ・トリアノンで何を見たのか。
その問いに、私たちは確かな答えを持っていない。
だが、彼女たちが訪れた場所には、確かに一人の女性の記憶が残されていた。
王妃として称賛され、王妃として批判され、そして王妃として、さまざまな物語を背負わされた女性。
マリー・アントワネット。
彼女は歴史上の人物である。
同時に、彼女について語る人々が、自分たちの願望や恐怖を投影してきた存在でもあった。
ある者にとって、彼女は贅沢の象徴だった。
ある者にとっては、革命によって倒されるべき旧体制の象徴だった。
そして後世の人々にとっては、悲劇の王妃、ファッションの女王、あるいは誤解された女性となった。
同じ人物が、時代によって異なる顔を与えられる。
それは、マリー・アントワネットに限った話ではない。
歴史は、過去に生きた人々の行動を記録する。
しかし、その記録を読むのは、いつだって後の時代に生きる人間である。
記録には、書いた人間の立場がある。
証言には、証言者の記憶がある。
噂には、噂を広めた人間の欲望がある。
そして、何よりも厄介なのは、記録されなかったものだ。
誰が何を見落としたのか。
誰の声が、最初から聞かれなかったのか。
誰が、自分の言葉を残す機会を与えられなかったのか。
歴史の空白は、必ずしも秘密の証拠ではない。
そこに都合よく物語を作り上げれば、私たちは、かつての人々を理解するどころか、もう一度、彼らを自分たちの想像の中に閉じ込めてしまうだろう。
だからこそ、想像力には、慎重さが必要なのだ。
史料が示すことと、史料が示していないこと。
確認できる事実と、後世に付け加えられた物語。
その境界を見失わないこと。
それが、過去の人々に対する、最低限の礼儀なのかもしれない。
*
私は、首飾り事件の資料を読み返した。
宝石商たちの記録。
枢機卿ロアンの証言。
ジャンヌ・ド・ラ・モットの関与。
裁判の記録。
そして、王妃の名が、どのように事件へ持ち込まれたのかという問題。
それらを読み進めるほど、一つのことが気になってきた。
人々は、首飾りが誰の手を渡ったのかについて、説明しようとしてきた。
誰が買ったのか。
誰が受け取ったのか。
誰が売りさばいたのか。
しかし、もう一つの問いは、十分に説明されてきただろうか。
**なぜ、人々は、マリー・アントワネットが買ったと信じたがったのか。**
彼女が浪費家だったからか。
王妃が嫌われていたからか。
あるいは、彼女の名前を使えば、詐欺が成立すると考えた者がいたからか。
おそらく、そのすべてが関係していた。
一つの嘘が成立するためには、嘘をつく人間だけでは足りない。
それを信じる人間。
信じたいと思う人間。
疑うよりも、信じたほうが都合のよい人間。
そうした人々がいるとき、嘘は一人の人間の口を離れ、社会全体へ広がっていく。
そして、いったん広がった嘘は、真実が明らかになっても、必ずしも消えてはくれない。
*
窓の外では、夜が深まっていた。
机の上には、首飾り事件に関する資料が広がっている。
私は、一枚の紙に、二つの言葉を書いた。
「罪」
「評判」
罪は、行為によって生まれる。
評判は、人々の言葉によって生まれる。
もちろん、罪を犯した人間が悪い評判を受けることもある。
しかし、罪を犯していない人間が、悪い評判を背負わされることもある。
その二つを区別するのは、簡単ではない。
なぜなら、人間は、事実だけを見て判断するわけではないからだ。
私たちは、相手についてすでに知っていると思っていることを使って、新しい情報を解釈する。
浪費家だと思っている人が、高価な品物を手に入れたと聞けば、納得する。
誠実な人だと思っている人が、疑惑をかけられれば、何かの間違いだと考える。
だが、そうした判断が、いつも正しいとは限らない。
マリー・アントワネットは、浪費した。
しかし、それだけで首飾りを注文したことにはならない。
彼女には欠点があった。
しかし、それだけで、彼女があらゆる疑惑の責任者になるわけではない。
私は、紙に書いた二つの言葉を、一本の線で結ぼうとして、やめた。
罪と評判は、しばしば結びつく。
だが、二つのあいだには、いつも同じ形の橋が架かっているわけではない。
その橋を架けるのは、証拠であることもあれば、噂であることもある。
そして、噂で架けられた橋ほど、渡る人間が多い場合もあるのだ。
首飾りは、もうない。
けれども、首飾りをめぐる嘘は、まだ消えていない。
そして一九〇一年、二人の女性が、プチ・トリアノンの庭園で説明のつかない体験をしたと語った。
彼女たちの証言もまた、後世の人々によって解釈され、疑われ、物語へと変えられていく。
過去を知ろうとすることは、過去を好きなように作り変えることではない。
それは、わからないものを、わからないままにしておく勇気を持つことでもある。
霧の向こうに何かが見えたとしても、すぐに、それが何であるかを決めつけない。
そして、誰かの名に罪を結びつけるときには、その名を口にする前に、もう一度だけ考えてみる。
その人は、本当に、それをしたのだろうか。
それとも私たちは、そう信じたいだけなのだろうか。
答え合わせは、まだ終わっていない。




