物語の方向性について。
前回「物語のベクトル」という言葉を使いました。
ベクトル、つまり力の向き、方向性の話です。
作品コンセプト、と言い換えても良いかもしれません。
その作品が、どこへ向かっているか。何を書きたい物語なのか。
これは、最低限、作者自身は理解していなければならないと思います。
長編を書いているとよく有るのが、途中で「コレジャナイ」という気分に陥ること。
なぜか、イメージと違う……自分の書きたいものではないように思えてくる。
書いている内容が面白いか、自信が持てなくなってくる。
スランプ、とも少し違うかもしれません。とにかく、作品の出来に納得できず、書くのが苦痛になることが有ります。
この対処法として、「物語のベクトル」を把握、再確認する工程が有用です。
「頭の中では、もっと面白い小説だったはずなのに……。よし、書き直そう!」と改稿する前に、ぜひ試してほしい。
具体的に、私の作品を元に説明します。
私の代表作「百合メイド喫茶へようこそ♪」は、「とにかく美少女同士がキスをする」というのが、作品コンセプトでした。明確ですね。
コンセプトだけを見れば、いかにも趣味と欲望だけで作ったように思えるでしょうが、その実かなり計算して組み立てた作品です。
まず、「女の子同士が日常的にキス」というぶっ飛んだ設定を成立させるために、「メイドさんが、キスや料理の口移しで女の子をもてなす喫茶店」という舞台を用意しました。
一種の妖精郷というか、何が起きても「そういうお店なんだ」で許される舞台を、まずは創ったわけです。
そして、メイド喫茶の中での、お仕事としてのキスですから……恋愛感情とは別に、キスしないといけないわけです。ここに、「何が何でもキス」という作品コンセプトと、そうは言っても色々な感情が生まれてしまう……人間関係、物語が発生する下地とが、両立されるのです。
メインの登場人物が4人なのも、色々なカップリングを書けるように、作者自身を飽きさせないことと、複雑な人間関係を描けるようにと計算した結果です。
このように、明確なコンセプトのもと、綿密に組み立ててから書き始めた作品ですから、それはそれは書き易かったです。
それでもなお、途中で詰まることが有りました。
具体的には、夏のプール回とか……「メイド喫茶の外でのお話になる時」ですね。
途中でどうしても「コレジャナイ」違和感を感じて、回想をナレーション気味にすっ飛ばして、無理やり進行させました。
ここで、「物語のベクトル」の話になります。
「百合メイド喫茶へようこそ♪」の場合、「美少女同士をキスさせる」という方向性が絶対のものとして有って、それを成立させる舞台装置として、お店を用意しました。
「毎日女の子同士がキス」という非現実を現実にする、極めて優れた設定だったと自負します。
しかし、一歩店を出てしまうと。百合メイド喫茶という舞台の効力が消えてしまうと、とたんに、キスばかりしてることに説得力が失われてしまう。
作者自身が、「いや、普通こんなキスばかりしない」と、違和感を感じてしまったわけです。
いわゆる「コレジャナイ」感の正体は、物語のベクトル、作品コンセプトと、現在の展開とに生じたずれ。ずれが産む違和感。これではないかと考えます。
で、あるならば。直すべきは、ずれている今の展開であって。
最初から改稿などしてしまうと、かえって初めのイメージから離れてしまうと思うのです。
「コレジャナイ」感を感じてきたら、まずは落ち着いて、現在の展開が、作品の方向性に合わないものになってないか、分析する。
たとえば、バトル主体のものを書きたかったはずなのに、いつの間にか恋愛メインになっていたり。
三角関係を書こうとしていたのに、キャラの一人が(個性が)弱かったりして、空気になってしまっていたり。
元々の目指した方向性、作品のコンセプトを、作者が認識していれば、軌道修正は可能です。
ただし、途中でお話の方向性が変わっても、成功する例もあります。
少年漫画で途中からバトル路線になって、ヒット作になる場合も有りますよね。それと同じです。
とはいえ、これは、狙って方向性を変えた場合なので……初めての長編で「コンセプトとのずれ」を感じたなら、大人しく元の方向性に戻した方が楽かと思います。




