↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
7/18

7話「私を殺してほしい」

 その日、アルが店に来たとき。


 私はすぐに、いつもと違うことに気づいた。


「……アルさん?」


「ああ」


「顔色、悪くないですか?」


「そう見えるか?」


「見えます」


 アルは苦笑した。


「少し疲れているだけだ」


「本当に?」


「本当だ」


 そう言いながら、アルは椅子に座った。


 けれど、いつものように話し始めようとはしなかった。


 両手を膝の上に置いたまま、じっと黙っている。


「今日は、何の相談です?」


「……相談というより、頼みがある」


「頼み?」


「ああ」


 アルは顔を上げた。


 その目は、今まで見たことがないほど真剣だった。


「もし私が、私でなくなったら」


「はい?」


「君に、してほしいことがある」


 私は黙って続きを待った。


「私を殺してほしい」


「……」


 一瞬、意味が分からなかった。


「今、何て?」


「私を殺してほしい」


「お断りします」


 私は即答した。


 アルは少しだけ目を細めた。


「そう言うと思っていた」


「なら、どうして頼むんですか」


「それでも、君に頼みたかった」


「無理です」


「ああ」


「絶対に無理です」


「分かっている」


 アルは静かに頷いた。


 冗談ではない。


 本気で言っている。


 それが分かって、私は背筋が冷たくなった。


「何があったんですか?」


「……少し前から、体の調子がおかしい」


「病院には?」


「診てもらっている」


「なら、治療すればいいでしょう」


「そうできればいい」


 アルは自分の手を見た。


「だが、もしこのまま悪くなったら」


「悪くなったら?」


「判断できなくなるかもしれない」


 私は黙った。


「自分で何を言っているのか分からなくなるかもしれない。誰かの言葉を、自分の意思だと思ってしまうかもしれない」


「……」


「そのとき、私が王であることを利用される可能性がある」


 私はようやく理解した。


 この人は、自分が死ぬことだけを恐れているわけではない。


 自分が自分でなくなることを恐れている。


「だから、私に殺してほしいんですか?」


「そうだ」


「嫌です」


「分かっている」


「そんなこと、できません」


「ああ」


 アルは否定しなかった。


 ただ、静かに私を見ていた。


「それでも、頼んでおきたかった」


「……どうして私なんですか?」


「君なら、私の言葉を覚えているからだ」


「言葉?」


「私はこれまで、君にいくつもの相談をした」


「はい」


「そのとき、君は私に答えを押しつけなかった」


 アルは少し笑った。


「だから、もし私が何かを命じても、それが本当に私の意思なのか、疑ってくれると思った」


「……」


「君は、私が言ったことと、君が考えたことを混同しない」


 そんなふうに考えたことはなかった。


 ただ、相談されたことに答えていただけだ。


「だから頼む」


 アルの声が、少しだけ弱くなった。


「私が私でなくなったときは――」


「嫌です」


 私は遮った。


「それでも、嫌です」


 アルは黙った。


「私は、人を殺すために相談屋をやってるんじゃありません」


「そうだな」


「だから、その相談には答えられません」


「ああ」


 アルは目を伏せた。


 しばらく、店の中に沈黙が落ちた。


 やがてアルが顔を上げる。


「では、もう一つ頼んでもいいか?」


「……何です?」


「私が死んだあとも、相談相手でいてくれ」


 私は言葉を失った。


「私がいなくなっても、私の残したものを見てほしい」


「そんなの……」


「王太子のことも」


 アルは静かに続けた。


「国のことも」


「アルさん」


「君なら、私が言ったことを覚えていてくれる」


 私は何も言えなかった。


「頼めるか?」


 私はしばらく考えた。


 そして、小さく息を吐いた。


「……相談相手でいるだけですよ」


「それでいい」


「勝手に答えを決めたりはしません」


「ああ」


「誰かに言われたからって、その人の言葉を信じたりもしません」


「それでいい」


「それなら」


 私は頷いた。


「約束します」


 アルは目を閉じた。


 ほんの一瞬だけ。


 安心したように見えた。


「ありがとう」


 その声は、とても小さかった。


 私はまだ知らなかった。


 この人が死ぬまで、もうそれほど時間が残されていないことを。


 そして数日後。


 私は、本当に王を失うことになる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。