5話「国を守ること」
男が店に来る間隔は、少しずつ短くなっていた。
最初は妻への贈り物。
次は息子。
その次に何を相談されるのか、私は少しだけ気になっていた。
そして、その日。
「こんにちは」
「こんにちは」
男はいつものように扉を開けた。
「今日は何です?」
「少し難しい話をしたい」
「いつも難しい話じゃないですか」
「そうだったか?」
「そうですよ」
男は苦笑して、椅子に座った。
私は向かいに座る。
「それで?」
「国を守るためなら、何を犠牲にしてもいいと思うか?」
私は眉を寄せた。
「急に大きくなりましたね」
「そうかもしれない」
「何かあったんですか?」
「仮の話だ」
「また仮ですか」
「ああ」
私は少し考えた。
「何を犠牲にするんです?」
「家族」
男の答えは早かった。
私は黙った。
「家族を犠牲にすれば、国を守れる」
「本当に?」
「そうだとする」
「じゃあ、家族を選ばなかったら?」
「国を守れなくなる」
「誰が決めたんですか?」
男が私を見る。
「何を?」
「家族と国。どちらかしか守れないってことです」
男は何も言わなかった。
「どちらかしか守れないって、誰が決めたんです?」
「……もし、本当に二つを同時には守れなかったら?」
「それでも、両方を守る方法を考えます」
「無理だったら?」
「無理だと決める前に、考えます」
男は黙っていた。
私は少しだけ身を乗り出した。
「国を守るために家族を捨てるって、ずいぶん簡単な言葉ですよね」
「簡単?」
「はい」
「なぜ?」
「捨てられる側は、簡単じゃないからです」
男の表情が変わった。
怒ったわけではない。
何かを思い出したような顔だった。
「……そうだな」
「それに」
私は続けた。
「国を守る人が、家族を守れない人だとは限らないでしょう」
「だが、立場によっては選ばなければならない」
「それでも、選びたくないなら?」
「どうする?」
「選ばなくていい方法を探します」
男は黙った。
やがて、ゆっくりと息を吐いた。
「君は、ずいぶん欲張りだな」
「相談屋ですから」
「何でも両方欲しいと言う」
「だって、どっちかを諦めるのって、最後でいいじゃないですか」
男はしばらく私を見ていた。
「最後?」
「はい」
「最後まで方法を探すのか?」
「探します」
「見つからなくても?」
「それは、そのとき考えます」
男は笑った。
けれど、今までの笑い方とは少し違った。
「……そうか」
「何か変でした?」
「いや」
男は首を振った。
「君と話していると、自分が簡単なことを難しく考えていたような気がする」
「それなら、相談した意味がありましたね」
「ああ」
男は立ち上がった。
「今日は帰る」
「はい」
扉へ向かう背中に、私は声をかけた。
「でも」
男が振り返る。
「家族と国、どちらかを選ぶことになったとしても」
「……」
「その前に、家族にも話してくださいね」
男はしばらく何も言わなかった。
そして、小さく頷いた。
「ああ」
扉が閉まる。
私は椅子に座ったまま、男の言葉を思い返していた。
国を守る。
家族を守る。
そんな大事なことを、なぜ一人で決めようとしているのだろう。
相談に来る人は、答えを求めているようでいて、本当は自分一人では決められないことを話しに来る。
だから私は、答えを出さない。
本人が決めることだからだ。
ただ、選択肢を最初から二つに絞ってしまっているなら。
その二つ以外を考えてみる。
それくらいなら、私にもできる。
このときは、それだけのつもりだった。
この会話がいつか、この国の未来を決めることになるなんて。
私はまだ、知らなかった。




