4話「父親として」
男が次に店を訪れたのは、それから数日後だった。
「こんにちは」
「こんにちは」
私は顔を上げた。
「今日は何の相談です?」
「息子のことだ」
「今度は息子さんですか」
「ああ」
男は苦笑しながら、いつもの椅子に座った。
「妻の次は息子。家族の相談が続きますね」
「家族のことは、難しいからな」
「そうですか?」
「君は家族で悩んだことがないのか?」
「ありますよ」
「では、分かるだろう」
「分かることと、解決できることは別です」
男は少し黙った。
「……それもそうだな」
私は机の上にあった紙とペンを片づけた。
「それで、息子さんと何かあったんですか?」
「最近、話をしていない」
「喧嘩でも?」
「そういうわけではない」
「では、どうして?」
男は答えなかった。
しばらくしてから、ぽつりと言った。
「私のことを、父親だと思っていないのかもしれない」
「それは本人に聞いたんですか?」
「聞いていない」
「じゃあ、分からないじゃないですか」
男は困ったように笑った。
「君は、何でも本人に聞けと言うな」
「だって、本人にしか分からないことが多いですから」
「そう簡単に聞けるものではない」
「どうして?」
「立場がある」
「父親と息子なのに?」
男は黙った。
その反応を見て、私は少し考えた。
「もしかして、息子さんは大人ですか?」
「ああ」
「仕事は?」
「……人の上に立つ仕事をしている」
「それなら、なおさら本人に聞けばいいと思います」
「なぜ?」
「大人同士なら、話すしかないでしょう」
男は窓の外を見た。
「もし、その息子が私を尊敬していなかったら?」
「尊敬されたいんですか?」
「……」
「それとも、父親として認めてほしい?」
男は答えなかった。
けれど、その沈黙が答えのような気がした。
「だったら、父親として話せばいいんじゃないですか?」
「父親として?」
「はい」
「それができない立場なんだ」
男の声が、少しだけ低くなった。
私はその言葉を聞いて、黙った。
父親として話せない立場。
そんな立場があるのだろうか。
「立場って、そんなに大事ですか?」
「大事だ」
「息子さんにとっても?」
「分からない」
「じゃあ、聞いてみればいいじゃないですか」
男は苦笑した。
「君は本当に、そればかりだな」
「他人の気持ちは、本人に聞かないと分かりませんから」
「もし聞いて、傷つく答えが返ってきたら?」
「傷つくでしょうね」
「それでも?」
「それでもです」
男はしばらく私を見ていた。
やがて、小さく笑った。
「……そうか」
「何か分かりました?」
「ああ」
「なら、よかったです」
男は椅子から立ち上がった。
「今日はもう帰る」
「はい」
扉に手をかけたところで、男が振り返った。
「一つだけ聞いていいか?」
「どうぞ」
「君は、父親なら何をするべきだと思う?」
私は少し考えた。
「父親として話すことじゃないですか?」
「それだけか?」
「それ以上は、その息子さんに聞かないと分かりません」
男は笑った。
「そうだったな」
そして、今度こそ店を出ていった。
扉が閉まる。
私は一人になった店の中で、さっきの言葉を思い返した。
父親として話せない立場。
人の上に立つ仕事。
妙な客だ。
家族の話をしているだけなのに、ときどき何か大きなものを背負っているように見える。
けれど、それを私から聞くつもりはなかった。
相談したいことがあるなら、話せばいい。
話したくないことまで、無理に聞き出す必要はない。
私はそう思っていた。
まさかその「息子」が、この国で誰よりも大きな立場にいる人物だとは。
このときの私は、まだ知らなかった。




