青氷の迷宮
四人が車窓から飛び出し、二台のスノーモービルに分乗した直後、列車の残骸がレールの終端に達し、宙へ躍り出た。重力に従い、谷底へ吸い込まれていく。遅れて、腹に響く爆発音が雪山を震わせた。
炎に照らされた雪原を、二台のスノーモービルが滑走する。
「兄ちゃん、操縦大丈か?」レオンが先行しながら振り返った。
「フードデリバリーでバイクぶっ飛ばしてたから問題ねぇ」
ただし、操縦桿を握る感覚がない。アクセルの開度をフィードバックなしで制御するのは、至難の業だった。涼は自分の手とスロットルの角度を目で見ながら、意識的に操作した。
背後から自動小銃の乾いた破裂音が木霊した。
放たれた弾丸が、木々の幹を抉り、雪を散らす
「あいつらだ」真田が後方を振り返った。「スノーモービルで追ってくる!」
狼の眼光のようなヘッドライトの列が扇状に広がり、迫ってくる。
「振り切るぞ」
レオンの掛け声に、二台のスノーモービルは、アルプスの深く険しい針葉樹林帯へと突入した。巨大な幹が天を衝く柱となって立ち並び、雲間から射し込む月光が、幹の隙間を縫って雪面に幻想的な縞模様を描き出している。光と影が交錯する、黒と白の回廊。木々が入り組んだその迷宮を、死と隣り合わせの高速スラロームで右に左に駆け抜ける。
背後からの銃撃は樹木に阻まれ、次第に距離が開いていく。
樹林帯を抜けると、不意に視界が開けた。
月光を吸い込んで青白く発光する、巨大な氷河の平原が現れた。
「まずい」
レオンが機体を止め、舌打ちする。
「あの連中は森で詰めなかった。ここに誘導するためだ」
氷河の表面は薄い雪に覆われ、その下には底なしのクレバスが網の目のように隠されている。
追手たちのエンジン音が迫る。
「詰んだか」エレーヌが訊く。
「行くしかない」涼が言った。
「……行ける」
ユナは目を閉じ、月光が揺れる氷河に耳を傾けた。
「氷河は音を返す。中が空洞のところと詰まっているところでは、反響が違う。——私には聞こえる」
「確実か?」レオンが訊いた。
「確実じゃない」ユナは正直に言った。「でも、何もないよりはまし」
レオンは三人を見た。それからエレーヌを見た。
「行くぞ」
ユナが声を出す。「右二時の方向。十時方向は空洞」
二台が氷原に突入した。
氷河の入り口に追い詰めたハミングバードのスノーモービル部隊は、ユナ達を見て驚きを隠せなかった。
「自殺行為だ」
数台が突入を試みたが、立て続けにクレバスに飲み込まれていく。
リーダーが慌てて静止した。
負け惜しみのような銃声が月光の氷原にこだました。
ユナの推測も万全ではなかった。
反響が微妙に揺らぐ。
「左、少し左」
涼が軌道を修正した直後、前部が浅い亀裂に落ち込み、車体が傾いた。真田がバランスを崩す。涼は手応えのない操縦桿を目視で操作し、キャタピラを縁に引っかけて復帰させた。
「ごめん……音がずれてる」ユナの声が震えた。
氷河内部の空洞が、温度差で変形している。
「誤差は想定内だ」レオンが前方から声を飛ばした。「完全な地図はない。選び続けろ」
ユナは呼吸を整えた。集中して反響の差異を拾い直す。
「前方に広い空洞。速度を上げて跳べる」
涼はユナの声を信じてアクセルを開けた。
機体が雪面を蹴り、虚空へ浮く。眼下を巨大な青氷のクレバスが通り過ぎていく。底の見えない漆黒の裂け目。
着地の衝撃を涼の身体が吸収した。
氷河が終わり、眼下に宝石を散りばめたような街の灯りが広がった。
フランスとスイスの国境、シャモニー渓谷だ。
二台のスノーモービルは凍てついた岩陰でエンジンを止めた。
白い息が五つ、夜空へ溶けていく。
「なぜ助けた」エレーヌが静かに聞いた。「あなたは、私たちを捕まえる側でしょう」
レオンはしばらく黙っていた。それから遠くの山稜を見ながら言った。
「オレの独断だ。理由は2つ。ひとつは君たちがやつらに追われていること」
しばらく間を置いて続ける。
「もうひとつは、ラディーグ施設の核制御系が、自律的に起動シーケンスを開始したことだ」
エレーヌと涼が驚いた顔でレオンを見る。
レオンは顎でシャモニーの灯りを指した。
「あそこに『シャレー・エギーユ・ノワール(Chalet Aiguille Noire)』というスキーロッジがある。支配人のミッシェルを尋ねろ」
「あなたは?」ユナが問う。
「始末書じゃ済まないだろうな」レオンは不敵に笑い、スノーモービルに跨った。「懲戒免職になったらヒマができそうだ。その時は日本を案内してくれ」
エンジンが唸りを上げ、漆黒の機体が夜の斜面へと消えていく。
雪煙の向こうで、ヘッドライトが一度だけ明滅した。
それが、レオン・ヴァンスとの別れだった。
タイミリミットまで——あと十二時間。




