おキノコカリバー・ウェイクアップ
《おキノコカリバー》という名前は、結局そのまま定着してしまった。
フィレーネは何度も変更を求めたし、アメリアからも「もう少し王女殿下がお使いになる武器らしい名称をご検討なさってはいかがでしょう」と遠回しな助言が入った。それでもメフィストは、「形成過程がキノコに似ている事実は変わらないし、術式名なんて識別できれば十分だ」と譲らなかったため、最終的にはフィレーネの方が諦めるしかなかった。
「おキノコカリバー!」
白金の光が右手へ集まり、柄から鍔、刀身へと一息に形作られる。
最初の頃は数秒かかっていた術式展開も、数ヶ月にわたる訓練を経た今では、本物の剣を鞘から抜くのとほとんど変わらない速度になっていた。手の中へ馴染んだ聖剣を構えると、フィレーネは正面に立つメフィストへ視線を向ける。
「いつでも大丈夫です、先生!」
「じゃあ始める。今日は止まらずに動き続けろ。剣そのものを出すことには慣れたから、次は状況が変わっても魔力制御を乱さない練習だ」
メフィストが片足で地面を軽く踏む。
直後、中庭の土が盛り上がった。
足元から伸びた土塊が瞬く間に人の形へ整い、剣を構えた兵士を模した標的へ変わる。その左右からも新たな土人形が生まれ、合わせて3体がフィレーネを囲むように動き始めた。
「正面だけ追うな。土人形は私が動かしてるから、止まった奴も次の瞬間には攻撃してくると思っておけ」
「わかりました!」
正面の人形が踏み込む。
フィレーネは振り下ろされた土の剣を身体をずらして避け、そのままおキノコカリバーを横薙ぎに振り抜いた。白金の刀身が胴を通過すると、固く圧縮されていた土塊が抵抗らしい抵抗もなく両断される。
すぐに背後から2体目が迫った。
フィレーネは振り返りながら剣を返し、肩口から斜めに斬り下ろす。土人形が崩れ落ちるより早く、メフィストが指を動かすと、地面から新しい腕が伸びて崩れた身体を補修していった。
「えっ、直すんですか!?」
「継続戦闘の訓練なんだから、3体倒して終わりじゃ意味がないだろ。私が魔力を供給している間は何度でも作り直すから、止まるな」
「はい!」
左右から同時に迫る。
フィレーネは片方を剣で受け流し、もう片方へ身体を滑らせるように踏み込んだ。
聖剣が走る。
土で作られた腕が飛び、その勢いを殺さないまま胴へ2撃目を叩き込む。背後から迫った攻撃には振り返らず、刀身だけを一度消して身体を沈め、間合いを外した直後に再形成した。
その判断に、メフィストの眉が僅かに上がった。
「今のはいい。剣を出しっぱなしにする必要はないからな。魔力で作ってる以上、邪魔なら消して、必要な瞬間にまた出せばいい」
「少しずつ、普通の剣とは違う感覚が分かってきました!」
「それでいい。ただし、今はまだ剣として使う基礎を捨てるな。自由に形を変えられるのと、雑に振っていいのは別の話だ」
次々に再生する土人形を斬りながら、フィレーネは頷いた。
メフィストに魔術を教わり始めてから、数ヶ月が経っている。
朝はアメリアと剣術を学び、午前中はメフィストから魔力制御や術式の基礎を教わる。午後になると両方を組み合わせた訓練を行い、夜には座学と、その日の失敗について原因を一緒に確認するのが日課になっていた。
以前なら剣を振るだけで終わっていた1日が、今では覚えることで満ちている。
生活魔法すら満足に扱えなかった自分が、今では光を生み、水を出し、簡単な治癒まで使えるようになった。魔力を無理に押し出すのではなく、身体の中に元から存在していた経路を利用して流す方法を覚えたことで、同じ魔術を遥かに少ない負担で扱える。
そして何より、フィレーネには自分だけの聖剣がある。
名前だけはいまだに納得していない。
それでも、おキノコカリバーを握っている間だけは、自分の身体を以前より少し好きになれた。
「フィレーネ、次は少し固くするぞ」
メフィストがそう告げると、それまで動いていた土人形が一斉に地面へ沈んだ。
代わって地面からせり上がってきたのは、人の背丈ほどもある大きな岩塊だった。
「岩……ですか?」
「ああ。今までの土人形は剣筋と対応を見るために柔らかくしてた。次は武器そのものの強度を見る」
「普通の剣で斬ったら、壊れてしまいませんか?」
「まともに振れば刃こぼれするし、打ち所が悪ければ剣そのものが折れるだろうな。だから普通なら、岩を斬るなんて戦い方はしない」
メフィストは岩の表面を指先で軽く叩いた。
「でも、その剣は鉄じゃない。刃の部分まで聖属性の魔力でできてるから、多少削れたところで魔力を流せばその場で補える。理論上は、刃こぼれって概念そのものがほぼない」
フィレーネは手の中の聖剣を見た。
「では、本当に斬っても?」
「そのために出した。思いきりやれ。ただし腕力で叩き割ろうとするんじゃなく、今まで通り剣筋を通せ。おキノコカリバーがどこまで持つのか確認したい」
「分かりました!」
フィレーネは一度距離を取り、呼吸を整えた。
アメリアから何年も教わってきた踏み込み。
肩へ余計な力を入れず、腰から身体を回す。
白金の刀身を大きく振り抜いた。
澄んだ音が中庭へ響く。
次の瞬間、人の背丈ほどあった岩塊が斜めにずれ、上半分が地面へ落下した。
「……斬れた」
フィレーネ自身が一番驚いていた。
断面は完全に滑らかとはいかないが、砕いたのではなく、明らかに剣で切断されている。
そして手にしたおキノコカリバーには、欠けも歪みもなかった。
「先生!」
「ああ。魔力の乱れもほとんどない。その程度なら継続戦闘にも問題なさそうだな」
メフィストが指を動かす。
すると、切断された岩が再び地面へ沈み、その左右から今度は3つの岩柱が現れた。
「まだやるんですか?」
「今ので1回斬れたことしか分からないだろ。戦っている途中で何度岩に当たっても使えるか確認しないと、武器として信用できない」
「なるほど……!」
「だから全部斬れ。今度は止まらずに」
フィレーネの表情が一気に明るくなった。
「はい!」
走る。
1本目へ斜めに斬り込み、そのまま身体を回して2本目へ。
普通の剣であれば、最初の一撃だけで刃を確認したくなるような硬質な感触が腕へ伝わってくる。それでも聖剣は欠けることなく、白金の光を保ったまま岩を切り裂いていった。
3本目、4本目と、メフィストが新たな標的を次々に地面から生み出す。岩の硬さも少しずつ上がっているらしく、次第に一撃では完全に斬り抜けなくなったものの、それでも刀身へ魔力を補えば傷んだ感覚はすぐに消えていった。
フィレーネは自然と笑っていた。
岩を斬っても刃こぼれせず、戦いの途中で武器を失うことを恐れる必要もない。自分の魔力が続く限り、この剣もまた一緒に戦い続けてくれる。
「すごいです、先生! これなら岩の魔物が相手でも――」
「斬れる。ただし何でも無理に正面から斬るなよ。壊れない武器を持ってるからって、使い手まで壊れないわけじゃない」
「はい!」
「でも、普通の剣なら避けるしかない硬い相手に攻撃の選択肢が増える。それはかなり大きい」
メフィストはそこまで説明してから、今度は中庭の反対側へ視線を向けた。
「じゃあ最後に、間合いを変える」
「斬撃を飛ばす練習ですか?」
「それもやる。ただ今日は、その前に刀身自体を伸ばしてみよう。今のおキノコカリバーは、フィレーネが慣れてる長剣に合わせて形を固定してるだけで、本来はその長さである必要はない」
「でも、長くしたらその分だけ魔力が必要ですよね?」
「ああ。それに全部を均等に伸ばすと根元まで薄くなって安定しなくなる。だから根元の密度は維持して、先端へ流す魔力だけを増やす。剣全体を大きくするんじゃなく、刀身の先だけを伸ばすつもりでやれ」
メフィストが説明し終えると、中庭のかなり離れた場所から石柱がせり上がった。
これまでの標的よりも明らかに遠く、普通の剣であれば何歩も踏み込まなければ届かない距離だった。
「今のフィレーネならできる。失敗しても刀身が崩れるだけだから、恐れる必要はない」
「分かりました。やってみます」
フィレーネはおキノコカリバーを構え直した。
根元を保ちながら、先端へ流す魔力だけを増やしていく。白金の光が揺らめき、刀身が少しずつ伸び始めた。
「そのまま。急に増やすと制御が外れるから、流れを一定に保て」
「はい……!」
さらに伸びる。
気付けば刀身は普段の倍近い長さになっていた。
「今だ。振ってみろ」
フィレーネは腰を落とし、そのまま横薙ぎに振り抜いた。
長大な白金の刃が中庭を走り、離れた位置にあった石柱を横から切断する。大きな石塊が地面へ転がったのを見届けてから、フィレーネは息を整えつつ、自分の剣へ視線を落とした。
普通の剣なら絶対に届かない。
普通の剣なら、岩をこれほど何度も斬れば刃は傷む。
普通の剣なら、一度作られた長さや形を戦いの途中で変えることなどできない。
けれど、おキノコカリバーにはそれができる。
「これが、先生が私に本物の剣を持たせなかった理由ですか?」
「ああ。鉄の剣を持ち続ければ、その長さと重さを基準に間合いを覚える。それ自体は剣士として正しいけど、おキノコカリバーまで同じ常識に縛ったら、この武器の長所を半分以上捨てることになる」
メフィストは切断された石柱へ視線を向けながら続けた。
「伸ばせるし、短くもできる。魔力を途中で解放すれば斬撃を飛ばせるし、刃が傷んでもその場で作り直せる。今は剣の形をしてるけど、それだってフィレーネが1番扱いやすいからそうしてるだけだ」
「では、これから私は……」
「アメリアから習った剣術を土台にして、その先を自分で作る。普通の剣士ができないことを、おキノコカリバーならできる。そこまで使えて初めて、この剣はフィレーネだけの武器になる」
フィレーネは白金の刀身を見つめた。
普通ではない。
昔は、その言葉が嫌いだった。
普通の王女ではない。普通の身体ではない。普通の人生を歩めない。そう言われるたびに、自分だけ何かが欠けているような気がしていた。
けれど、今は少し違う。
普通の剣では斬れないものを斬れ、普通の剣では届かない場所へも届く。普通ではないからこそ、できることがある。
「……私、この剣が好きになってきました」
「名前も?」
「そこだけは別です」
「そうか。私は結構いい名前だと思うけどな」
「先生の感性は信用しないことにします」
フィレーネが笑うと、傍らで見守っていたアメリアも小さく微笑んだ。
その時だった。
足元が、かすかに揺れた。
最初はメフィストが新しい標的でも作ろうとしているのかと思ったが、地面の下を巨大な何かが走り抜けるような低い振動は、いつまで経っても収まらなかった。
「先生、次は何を――」
「私じゃない」
メフィストの返事を聞いた瞬間、フィレーネの表情から笑みが消えた。
アメリアも即座に剣へ手を伸ばす。
「フィレーネ様、こちらへ」
メフィストはすでに地面へ片手を触れていた。地属性の魔力が薄く広がり、離宮周辺の地盤を探っていく。しばらくして手を離した時には、いつも以上に眉間の皺が深くなっていた。
「地震じゃない。地面そのものはほとんど動いてない」
「では、この揺れは?」
「空間が歪んでる。かなり近い」
言葉が終わるより早く、離宮の外から轟音が響いた。
何かが壊れた音ではなく、布を引き裂く音だけを何十倍にも大きくしたような不快な響きだった。
三人は中庭の外へ出る。
離宮の向こう、普段なら森と丘が続いている場所の空間が大きく歪んでいた。
「……境界の亀裂」
フィレーネは思わず呟いた。
剣を振り始めた理由の1つでもある。
世界と世界の境界が不安定になった際、稀に発生する次元の亀裂。内部には異質な空間が形成され、そこから魔物が現れることもあるため、冒険者や騎士が調査へ向かい、可能なら境界そのものを閉じる。
だが目の前に現れたものは、フィレーネがこれまで遠目に見たどんな亀裂よりも大きかった。
縦に裂けた黒い空間が、森の一角を飲み込むように広がっている。
「こんなに離宮の近くに発生するなんて……」
アメリアも表情を険しくした。
「王城へ伝令を出しましょう。騎士団と冒険者ギルドにも知らせる必要があります」
「それは頼む。ただ、その前に――アメリア、動くな」
突然制され、アメリアの動きが止まった。
「……はい?」
「フィレーネも、そのまま」
メフィストは亀裂から視線を外さないまま、片手だけを2人へ向けている。
何をしているのか分からず、フィレーネも反射的にその場で動きを止めた。
「先生、いつまで――」
「もういいぞ」
「え?」
あまりに早い。
フィレーネが戸惑っている間に、身体の表面へ冷たい感覚が薄く広がった。
腕を見ると、水のように透明な膜が一瞬だけ揺らめき、そのまま肌の外側へ溶け込むように消えていく。
「今のは……?」
「防護魔法だ。亀裂の向こうから何が出てくるか分からない状態で、無防備なまま動かせないから先に張った。多少の斬撃や衝撃なら威力を散らせるし、致命傷になる可能性も下げられる」
「この一瞬で、私とアメリアの2人に……?」
「術式自体は単純だからな。対象を指定して同時に張っただけだ。ただ、何が出てくるか分からない以上、これで安全だと思うな。防御はあくまで保険だ」
メフィストはそこまで説明すると、改めて亀裂へ視線を戻した。
「アメリア、今度こそ伝令を頼む。ただし亀裂から目を切るな。向こう側から何か来る。魔力が急に増えた」
「承知いたしました」
アメリアがフィレーネから離れすぎない位置を保ちながら使用人へ指示を飛ばす。その間にも、亀裂の奥から濃密な魔力が流れ出し、周囲の空気そのものが重くなっていった。
森にいた鳥たちは一斉に飛び立ち、獣たちも何かを恐れるように反対方向へ走り去っていく。
やがて、黒い裂け目の奥から大きな影が姿を現した。
人型だった。
ただし、人間ではない。
額から伸びる角、灰黒色の皮膚、背中に畳まれた大きな翼。全身から溢れる魔力だけでも、これまでフィレーネが見たどの魔物とも格が違うことが分かる。
「……人間の屋敷か」
その存在が言葉を発したことで、フィレーネは息を呑んだ。
魔物が人の言葉を話している。
「運がいい。境界を開いた先が、随分と立派な場所じゃないか」
魔物は周囲を見回し、やがて3人の姿を見つけた。
「女が3人、それも随分と若いのばかりだな。警戒して損をした」
フィレーネはおキノコカリバーを握り直した。
手のひらには汗が滲み、心臓も速くなっている。怖くないわけではないが、それでも逃げたいとは思わなかった。
強くなれば、境界の亀裂へ行ける。
強くなれば、魔物から誰かを守れる。
ずっとそう願って剣を振ってきた。
ならば今、自分が手にした力を使う時なのかもしれない。
「アメリア」
メフィストが静かに呼ぶ。
「はい」
「フィレーネが前に出るなら補助を頼む。私はこいつの能力を見る。人語を使う魔物なんて実物は初めてだし、魔力量だけ見ても普通の魔物とは比較にならない」
「承知いたしました」
魔物が鼻で笑った。
「お前が俺を見るのか?」
視線がメフィストへ向く。
小柄な身体を上から下まで眺めたあと、露骨に口元を歪めた。
「一番弱そうな小娘が、随分と偉そうじゃないか」
「強いか弱いかは戦えば分かる。それより私は、お前がどうやってこの亀裂を維持してるのかに興味がある」
メフィストは相手を観察しながら答える。
「漏れている魔力は多いし、言葉を話す程度の知性もある。文献にあるデーモン系の特徴には近いが、実物を見るのは初めてだからな。できれば少し調べさせてもらいたい」
「なら、死ぬ前によく見ておけ!」
魔物が片手を振る。
次の瞬間、風が爆発した。
「っ!」
フィレーネとアメリアはほぼ同時に横へ飛んだ。
烈風が中庭を抉り、先ほどまで訓練に使っていた岩柱までまとめて砕いていく。身体へ衝撃が届いた瞬間、先ほどメフィストが張った透明な膜が水面のように波打ち、暴力的な風圧の大部分を外へ逃がした。
フィレーネは着地してから、自分の身体を確かめる。
痛みはほとんどない。
ほんの数秒前に張られた防護魔法が、確かに自分を守った。
「これが……先生の防護魔法」
「効いてるならいい。ただし今ので相手の出力も少し分かった。次からはまともに受けない方がいいぞ」
「はい!」
魔物が両手を広げる。
「なら、これならどうだ!」
巨大な火球が放たれた。
メフィストの前に水の壁が生まれ、炎と衝突する。激しい蒸気が周囲を覆ったが、その向こうから続けて無数の岩槍が飛び出してきた。
今度は地面が隆起して石壁となり、岩槍同士がぶつかり合って砕け散る。
「風に火、土。複数属性を切り替えてるのか」
メフィストが相手の魔力を追う。
「珍しいな。もっと見せてくれれば、切り替え方も分かりそうだ」
「俺を実験台にするつもりか!」
「できればな」
魔物が苛立ったように黒い魔力弾を放つ。
メフィストは身体を半歩ずらして避け、そのまま風の刃を返した。
相手も同じ風属性で相殺する。
そこから戦場は一気に激しさを増した。
火、水、風、土、そして闇。
異なる属性の魔術が次々と飛び交い、離宮の周囲で炸裂する。
フィレーネはアメリアの隣で、その光景を息を呑んで見つめていた。
メフィストが強いことは知っていたが、実戦で見る魔術は訓練とはまるで違っていた。
ただ大きな魔法をぶつけているのではない。炎には必要な量の水を、水には熱を、風には逆向きの圧力を、土には同じ地属性で干渉して形成される前に崩す。
フィレーネがこの数ヶ月で習ってきた基礎魔術ばかりなのに、それらを選ぶ速度と精度がまるで違う。
「フィレーネ様」
アメリアが戦いを見たまま、静かに声をかける。
「よくご覧になってください。おそらく、あれこそメフィスト様があなたへ教えようとしている魔術なのでしょう」
「はい」
フィレーネにも分かった。
強い魔法を1つ覚えればいいのではない。
自分が何を持っているかを理解し、その場で必要なものを選び、もっとも無駄のない方法で使う。
メフィストがずっと教えてきたのは、その考え方だった。
やがて魔物が苛立ったように翼を大きく広げた。
「鬱陶しい小娘だ!」
巨大な闇の塊が頭上に形成される。
それを見たメフィストも初めて大きく魔力を動かし、複数の魔法陣を同時に展開した。
「アメリア、フィレーネを庇え。今度は防護膜だけで受けさせない方がいい」
「フィレーネ様、こちらへ!」
アメリアが前へ出る。
次の瞬間、白い閃光が視界を埋め尽くした。
轟音とともに衝撃波が走り、メフィストが張った水の防護膜が大きく波打つ。
しばらくして光が収まると、魔物は離れた場所へ叩きつけられていた。
翼の一部が裂け、身体の至るところに傷が走っている。それでも消滅することなく立ち上がった姿を見て、メフィストはむしろ興味深そうに目を細めた。
「かなり丈夫だな。今のでまだ動けるなら、魔力だけじゃなく身体強度も相当高い」
「ば……馬鹿な……」
魔物は荒く呼吸しながらメフィストを見る。
「貴様……何者だ……?」
「メフィスト。賢者をやってる」
「賢者……?」
「それより、こっちの質問に答えてくれ。この亀裂はお前が開いたのか?」
メフィストは背後の巨大な裂け目へ視線を向けた。
「自然発生にしては形が整いすぎてるし、魔力も外側から固定されてる。お前が維持してるなら、解除方法についても何か知ってるはずだ」
魔物の表情が歪む。
「……もう遅い」
「何が?」
「俺を倒したところで、境界はすでに固定された。向こう側との接続は始まっている」
亀裂の奥から、さらに複数の気配が滲み出てきた。
フィレーネの背筋が冷たくなる。
魔物はまだいる。それも、1体や2体ではない。
「じきにこちら側へ溢れ出す。いくらお前が強かろうと、この境界そのものを閉じられなければ意味はない!」
メフィストはすぐに亀裂へ向き直り、片手を上げた。
複数の術式が展開され、空間そのものへ干渉していく。しかし亀裂は閉じず、別の方式へ切り替えても、黒い縁に浮かんだ紋様が魔力を弾き返すだけだった。
「先生……閉じられないんですか?」
「閉じる手順そのものは分かる。ただ、これは普通の空間魔術だけで固定されてるわけじゃない」
メフィストは亀裂の縁へ走る黒い紋様を睨んだ。
「魔性に寄った力で、境界そのものを縫い止めてる。私の属性でも大量の魔力を叩き込めば壊せる可能性はあるけど、それだと固定だけじゃなく空間まで壊して、逆に亀裂を広げる危険がある」
「では、どうすれば……」
そこでメフィストの視線が、フィレーネへ向いた。
正確には、その手に握られた白金の剣へ。
「フィレーネ。聖属性について教えたことを覚えてるか?」
「はい。浄化と守護、それから……魔性への干渉」
「そうだ。今必要なのは最後の性質だ」
メフィストは亀裂を指差した。
「私は聖属性を使えない。似た現象なら別の属性を組み合わせて作れるが、あれを安全に切り離すとなると話が違う。魔性の術式だけを狙って壊すなら、お前の聖属性の方がずっと相性がいい」
フィレーネは息を呑んだ。
「私の方が、先生より?」
「この状況ではな。魔術は何でも力が強い方が勝つわけじゃない。向き不向きがあるし、私は聖属性を持ってない」
万能だと思っていた。
何を聞いても答えてくれる。何を見ても解析し、どんな魔術でも使いこなしてしまうように見えた。
そんな先生が、自分にはできないことがあると認めている。
そして、その代わりを自分へ求めている。
「でも、私はまだ実戦なんてほとんど……」
「分かってる。だから命令はしない」
メフィストは落ち着いた声で答えた。
「おキノコカリバーなら、あの固定術式へ直接干渉できる可能性が高い。私が敵を抑えるし、アメリアもいる。失敗して危険だと判断したら、その時点ですぐ止める」
そこで一度言葉を切り、フィレーネを真っ直ぐ見た。
「その上で聞く。やるか?」
決めるのは自分。
初めて会った日から、メフィストはそこだけは変わらない。
フィレーネは手の中の剣を見た。
王女としての役割はなかった。だから強くなりたかった。強ければ、境界の亀裂を調査できる。強ければ、魔物から誰かを守れる。強ければ、自分にも役割があると思える。
それは数ヶ月前まで、いつか叶えばいいと願うだけの遠い話だった。
その境界が、今は目の前にある。
しかも、何でもできると思っていた先生にはできないことを、自分ならできるかもしれない。
怖くないはずがなかった。
それでもフィレーネは、おキノコカリバーを強く握り直した。
「やります」
メフィストはすぐには返事をせず、フィレーネの表情を確かめるように見つめた。
「怖くないから、じゃないよな?」
「怖いです」
「ならいい。怖さを分かった上で、それでもやると言うなら止めない」
フィレーネは大きく頷いた。
「ずっと、こういう時に何かできる人になりたかったんです。だったら、やります。私にしかできないなら、なおさら」
白金の刀身が、応えるように強く輝く。
メフィストの表情が僅かに緩んだ。
「分かった。なら私が道を作る」
そして亀裂へ視線を戻す。
「フィレーネ。あの境界を斬れ」
「はい、先生!」
フィレーネは、自分だけの聖剣を構えた。




