ミリオンに至る2
一人分の食い扶持を減らすのは、悪い手ではない。
娘を売るのが多いが、エドワードの家には男しかいない。働ける兄を残し、幼い弟を売るのも選択肢の一つかもしれないが、エドワードは食う量の少ない弟を残せばいいと言った。
どちらにしろ村の外に出たかったのだ。
それに慣習として奴隷、なんていう禍々しい言葉を使っているが、今は奴隷なんて存在はいないし、法令上でも人身売買の条件はかなり厳しい。昔のように雑に売春宿!鉱山!なんて突っ込まれない。
「扱いは随分よくなってるらしいから」
「そうは言ってもな・・・」
「都会ならここほど寒くもねぇよ、とりあえず生き残れる」
渋ってくれた、というのは嬉しいことだったが選択肢としてなかったわけではないのだろう。奴隷商人がきた頃合いには、話はまとまった。
「兄貴どこ行くんだよ」
「出稼ぎだ、出稼ぎ」
よくわかってない弟に、こんな寒い場所からはおさらばだと軽口を叩いて、さよならを言わずに去った。
もう戻ることがないことは、きっと両親が伝えるだろう。
この村からはエドワード以外に近所の少女が一人。
既に他所の村から乗っていたやつらもいた。
奴隷商人に聞けば、今年は多いとぼやいていた。
そうだろうとも、と荷物と一緒に載せられている人間を眺めていると、商人に指を差して言われた。
「お前は農場と皮なめし工場どっちがいい」
「・・・皮なめしは、家でちょっとだけやってた」
「ほぉほぉ、じゃ皮なめしにしてやろう」
商人はにやにやと汚い歯をみせて笑った。嫌な笑みだった。エドワードはどっちを選ぶほうが正解だったかなんてわからない。皮なめしをやったことがあるのは本当だった。たまに森で獲物が罠にかかったりしたら、皮を剥いだり、なめしたりと一通りの工程はわかっている。革を加工するのも、木工と合わせたりして、楽しいのだ。
「・・・ば、ばかね・・・まだ農奴のがマシよ」
「は?お前口きけたの」
怯え切って今まで一言も口を開かなかった女が、暗い顔でエドワードを詰った。
エドワードは驚きとともに嫌味を返したが、女はそれっきり黙ってしまった。
女の言葉が正しいかもしれないと思ったのは、皮なめし工場を目の前にしたときだった。
その場についてわかった。
ひどい汚物臭。目が染みるほどで、まだ中に入ってもないのにこの場所はやばいだろうと思った。
近くを流れる川がドブ以下で、強烈な臭いと見た目だった。
エドワードは吐き気を我慢して、奴隷商人を見た。
彼もひどい渋い顔をして、さっさとエドワードたちを引き渡してしまいたい、と舌打ちをしていた。
工場から出てきた革エプロンの男と言葉を交わして、エドワードと、もう一人の少年を指差して、とっとと奴隷商人は去っていた。
革エプロンの男はそのでかい図体と違って、随分細やかで親切だった。
激烈な臭気という環境とのギャップに、少しだけ安心してしまう。
「臭いなんぞすぐ鼻が利かなくなる」
「つーか肉が腐った臭いだけじゃねぇだろ、これ」
「そりゃそうだ。お前革をなめすのに何が必要だと思う」
エドワードも少年も、顔色を悪くしながら革エプロンの男についていく。
質問に対して、少年は首を振った。エドワードは家でたまにやっていた革づくりの作業を思い出して指折り数える。
「動物の皮となめし剤としての木とか木の実だろ、ナイフだろ・・・」
「ま、一枚二枚ならそんなもんか。だがここは工場だ、植物だとか塩だとかよぉ、手間も値段もかかるもん大量に使えねぇ」
その工場からは少し離れた建物へ入っていって、ようやく少し臭いが薄れる。そこはこれからエドワード達が生活する住処らしい。部屋をあてがわれた。家庭を持っているやつは他に離れた部屋があるともいうが、買われた身分の自分たちにそんな権利はないだろう。
「どうせ剥いだ肉や油で腐臭なんぞするからな、鶏や犬の糞をなめし剤とする」
「最悪」
「そう思えるなら結構なことだ。爪のささくれ一つでも放置して作業すると病気になんぞ」
そう笑われた。
一人一部屋もらえたと考えれば、悪くない環境だろうが、次の日からの作業は地獄だった。
刃物を扱う仕事は慣れてから、と言われたがそうなるとやることは運搬作業がほとんどになる。
とにかく力仕事、汚れ仕事、鼻は確かにすぐに利かなくなった。なんの汁かわからんものにまみれて、疲労困憊になりながらなんでここにいるんだっけと思った。
人生で今が一番不潔だろうな、と思いながら、ぼんやりと飯を食べていると隣に革エプロンの男が座った。エドワードたちを引き取りに来たから立場のある人間だと思っていたが、ここの責任者だった。
「テッドおめぇ、そこそこ使えるらしいな」
「はぁ・・・」
「来週から革の扱いのほう教えていくぞ」
それは少し扱いがよくなるってことか、とエドワードは頭を下げた。作業がかなり分担されていて、段階があがればあがるほどマシになっていく。
「言っとくけどよぉ、ここはまだいい環境だぜ」
「そりゃひでぇ現実」
「ここの経営は貴族にまで成り上がったやり手の商人さまだ。俺らの話もちゃんと聞いてくれんだよ」
「商人が、貴族?」
「そうだよ、お貴族さまは特に革がお好きだからな。品質のいい革をいつでも提供できるっていうのを売りに上流に自分をねじ込んだんだ。貴族からの注文に応えるために、俺たちを使い捨てじゃなくてちゃんと職人として尊重してくれてる。だから、給料はかなりいいし、病気にならねぇようにちゃんと対策もしてくれてる」
昔はもっとひどかったもんよ、と不幸語りが続くが、そんなものは耳に入ってこなかった。
その時エドワードの思考をしめていたのはただの商人が貴族にまで成り上がったということだ。
激変した環境によって、すっかり頭から抜けていたステラの存在がチラついた。
その日から、エドワードはまるで宗教画を眺めるかのように時折ステラを思い出した。
そろそろ忘れ始めても仕方がないのに、自分の人生におけるもっとも美しいものが心を離さない。
「ま・・・俺は糞まみれなんだけどよ・・・」
「んだよ、下水道でクズ漁りしてるわけじゃねぇんだぜ」
マシだ、マシ!と同僚に言われてそう思わないとやってられないだろうな、とエドワードはため息を吐いた。
村での生活はここよりよっぽど牧歌的で美しく平凡だったと思う。
だが、どちらが裕福かと言えば、今のエドワードのほうが余程金持ちだった。
使う機会があるかどうかは別の話だが。
もう一つ、こちらの生活のほうが優れている点があるとすれば、意外と知識のある奴がいる。
エドワードのように奴隷商人の伝手で来たやつもいれば、自分からきたやつもいて、そういうやつは大体都会からきている。
先ほどの男は隣国フォンセから流れてきたとか聞いた。下水道でクズ漁りは実際男がしていたのだとか言っていた。聞くだけでうんざりする都会の話だった。
うっすらと憧れていたキラキラとした世界は結局貴族のものらしい。
でも、金があれば貴族になれる。
こんな皮なめし工場から出てってやるという気持ちと、もっと金が欲しいという欲求。
とにかくいろんな人間に尋ねた。村の人間と違ってここのいる人間は、妙に人生経験が豊富で、時折面白い話が転がって来る。
「貴族~?そりゃなりたきゃよ、まずは言葉遣いだぜ」
「言葉遣い?」
「おめぇ貴族がどんな喋り方してっかしってっか、私はぁ~と申し上げます~だとかよぉ、そんなわけわかんねぇ回りくどい喋り方すんだよ。俺じゃなくて、僕とか私とかよぉ」
酔っぱらった口調でそんなことを言う。汚らしい男だが、そいつは中々の革の職人で工場の経営者たる成金貴族や、客の貴族と会ったことがあるという。
「上とやりあうにゃぁ言葉遣いが武器になんのは本当だぜ」
酒瓶を直に喇叭呑みするもう一人の男がそう言った。そういえばこの男は訛りも少なくきちんと喋る。この工場内で比較的、というレベルではあるが。古びているがきちんとした襯衣を着ていることも考慮すると言葉に説得力がある。
「・・・僕、はエドワード、です」
酔っ払いどもには随分笑われた。
荒くれ共の中で丁寧な言葉遣いというのは、揶揄いの対象になりやすいがエドワードは既に内輪に潜り込んでいたため、色気づきやがったという嘲笑の後は受け入れられた。
むしろ下手な丁寧語と汚い罵倒が混じるのを面白がられていた気もする。
地獄も案外馴染めば住んでいられるもので、順調に職位を上げたエドワードはついに革の加工を担当するかという話になった。
加工、となるとほぼ別の職業だ。
もしかしたら奴隷商人から買った分、元は取れたと判断されたのかもしれない。工場は別の所へ移ることになり、ついに汚臭からさよならだ。エドワードは工場から離れて三か月ほどしてようやく身体に沁みついた臭いが取れた気がした。
使う機会もなかった金で立派な服を買った。
どんな服がいいかもわからず、ただちゃんとした服をくれと我儘を言って仕立屋には驚かれたり、妙に納得されたりした。
身なりを整えて、清潔にして、言葉遣いを丁寧にして、住む場所が変わると、世界がまた変わった。
「没落した貴族か?」
「いや、皮なめし工場にいたのに?」
「流石にないな。なら立派なもんだ、お前さんは腕も悪くないが・・・」
革をカットするだけでなく、縫ったり貼ったり伸ばしたり柄を付けたり、覚えた技術はたくさんある。
「何より度胸がある、お前売り込みと交渉、いってみるか」
エドワードの商人としてのデビューは、この時だったと思う。
声をかけてくれたのは工場を経営する新興貴族。商人から貴族へ成り上がった男だった。
革製品の宣伝、販売、価格交渉、エドワードは男について回って商人としてのいろはを学んだ。手取り足取り教えてくれるような男ではない。見ていることだけを許してくれた。飛び交う金の量に恐れおののくのは初回だけの出来事だった。
そして、ようやくというか、ついにというか。
「ここが、首都コンラーヴィタ」
「おーよ、立派なもんだろ。でもスリとマフィアに絡まれんようにな」
「マフィア?こんなとこに」
「もう田舎で農場主やってたやつ等じゃねぇぜ、政治議員さまだ」
エドワードは嫌な顔をしていた。マフィアといえば田舎で広い農場を持つ貴族の代わりに奴隷を働かしていた奴ら、というイメージだった。だがどうやら最近は違うらしい。上が貴族という存在でなくなった途端、自分たちが上流階級へ食い込もうと都市部へ進出してきているらしい。とにかく無茶苦茶やる奴らだと聞いている。
「ちょっと!危ないでしょう!」
「当たったってどうってことねぇよ!」
「さいってー!」
とっとと宿へ向かおうと歩いていると、何やら少年たちが道行く人に泥か何か投げつけている。悪戯、でいいのかわからない。それを少女が怒っているようだった。それなりのドレスだ、あれが汚されたらそりゃ怒るだろう。
「おりゃっ」
「このっ・・・クソガキ!」
少女が傘で飛んできた泥団子かなにかをはじき返したのがわかった。豪快な動きだった。返された泥団子は投げた少年の顔面にクリーンヒットしていた。お見事、とエドワードは横目で見ながら心の中で拍手をした。
「げぇっげほっ何すんだくそアマ!」
「こっちの台詞よ馬糞坊や!傘でつつかれたくなきゃ散りな!」
どうやら投げていたのは馬糞らしい。少年たちに啖呵を斬る少女の迫力に、少年たちは捨て台詞を残して逃げていく。少女も憤慨した様子を見せつつも、追いかけるような真似はせず、肩で息をしつつ危なげない足取りで移動してく。
「・・・金髪」
勇み足の少女の動きに合わせて靡いたウェーブがかった美しい金髪。
貴族か、と思ったがあの胆力は果たしてどうなのだろう、と判断に迷っていると前を歩いていた男が鼻で笑った。
「ありゃエンテ家のお嬢さんだな」
「エンテ家」
「最近聞くとこじゃ、すっかり落ちぶれてもう搾り取れねぇんじゃねぇかって話だがな」
「・・・ステラ・エンテ」
「知ってんのか、確か娘がそんな名前だった」
振り返って先ほどの少女を探したが、どこにももういない。
あの少女が、ステラ?記憶と合致しないのは当然だ。それだけの年月が過ぎている。
問題はそこではない。
「落ちぶれてるって、どういうことです」
「そのまんまさ、持ってる土地をうまく使うことも上流階級の繋がりを上手に金にすることもできねぇでよ、贅沢だけしてりゃ金はいつか尽きる」
政治家にでもなっときゃよかったのにな、なんてせせら笑う。
エドワードは男の言葉以外にも詳細を調べたが、たしかにエンテ家の現在は借金まみれでパーティーを開くこともできない状態らしい。
そもそもエドワードの村の別荘を売却している。
あれとて資金繰りが怪しくなってきた証拠ではないか。
「それよりテッド、お前商人として独り立ちするなら俺のエリアにはくんなよ」
「わかってますよ、僕は仕立屋からスタートするつもりなのでむしろアンタには革を融通してもらわないと」
ふとした時に男はそう忠告を繰り返してきた。エドワードがこの商会に骨を埋めるつもりもないことは承知の上で、背中について回るのを許してくれているのは有難いことだった。
「ごっそり職人引き抜くとか言っても殺すぞ」
「見習ならば?」
「どいつだ、上の方は許さねぇぞ」
「ナタンならばどうです?」
「・・・まぁ、あいつくらいなら」
男は苦々しい表情をしつつも了解してくれた。ナタンは職人見習でさえない男で、メインの職場は工場。そのレベルの人間は全て、不衛生な職場で病気になって死んでも仕方がない、という消耗品の扱いだ。
だがエドワードからみて、ナタンは使えるだろう人間だった。会話をしていてストレスがない、というだけで珍しい。何故こんな工場にいるのだろうと不思議に思っていた。
せっかくの旗揚げだ。使える人間はかき集めたい。
雇う人間の問題もあるが、店舗や資金と言った部分も調べなければならない。
とにかくやることが多く走り回っていた。
この街にはステラがいるのだと、頭にチラついては振り払っていた。
彼女が好きなのかと言われると、わからない。
恋というにはあまりにも一方的すぎた。
神聖視して、綺麗なものに縋っているような、信仰と言い換えても良かった。だがそれは、この粘着質な執着をあまりにも綺麗なうわべで包んでしまっている言い方だ。
もっと純粋な憧れであればよかったのに、と思う。
(ステラが街で働いてるだと?)
不動産を巡り、店舗の調査をしていると、どうしてもエンテ家の話を小耳にはさんでしまう。その中には掘り下げればステラが小銭稼ぎをしているというものもあった。
そもそも子供一人の働き程度でどうにかなる借金ではない。
「だいたいエンテ家は一体どこに借金を・・・」
調べてどうする、と思いながらも気になってしまった。
心の中で、不動産調査のついでだから、と言い訳をしてエンテ家がどこから借金をしているのか、返済の事情、そしてステラの動きを調べていく。
見上げるだけの存在が、自分の目の前に転がり落ちてきたかのように思えた。
手が届くのではないかと思ってしまった。駄目だった。成り上がれば憧れが手に入るのではないかと思った。
「借金の大半は商人へのツケっすけど、その内何人かのバックにバカリアがいんね。あ、バカリアは近くのしょぼいマフィア」
「へぇ・・・バカリアは動いてるのか?」
「今は借金増やしまくる段階じゃねぇ?適当なタイミングですげぇ取り立てして嬢ちゃん無理やり手籠めにするとか、そのままエンテ家に転がり込んで乗っ取って選挙に出るとか」
「なるほどな・・・。そのバカリアと接触するには?」
「おっと、こっからは追加料金っすね!俺にリスクがでけぇっす」
「うん、そうだな。セノの言い値で構わない」
セノという少年は愛想よく笑って今回の料金をエドワードの手からひったくって駆けて行った。栄養の足りていない頼りない容姿だが、それを感じさせない軽やかさ。次会うまでにはバカリアの情報を集めてくるだろう。さていくらになるやら、とエドワードは思ったがそう無茶な値段を言ってこないだろうとわかっていた。
セノという少年は繁華街から少し離れた通りをテリトリーとしている便利屋で、情報屋というほどの精度はなく出来ることも限られているが、その“出来ること”の線引きが上手い奴だった。無茶はしない、無茶は言わない。
身の程をわきまえている、という点でひどく有能。
「誘ったら雇えるか・・・?」
勧誘方法はどれがいいか、と思いながら一人になった路地裏から去る。
それはそれとして、ステラだ。
膨大な家の借金を、なんとも健気にちまちま返済しようとしているらしい。
高い家具を安く買いたたかれたりもしているらしく、子供が一人でこなそうとすれば引っかかるだろう詐欺は随分経験しているようだ。
可哀そうに。
優しくて純粋で、高貴な世界にいただろうに。
無知に付け込み、汚く騙して引きずり落とそうとする魑魅魍魎たち。
彼女を襲う悲劇の未来など簡単に思い描けた。
そもそもお目付け役もなく少女一人で街をうろうろしているのも危険だ。
馬糞を投げてくるような少年たちだけではない。スリも押し売りも強姦魔もあちこちにいる上にマフィアだっているのだ。
彼女は理解しているだろうか、とエドワードは不安になってきた。
セノの情報によると彼女の屋敷で働いていた元メイドなどが同情的で、率先して街での雑用などを紹介してくれているらしい。エドワードは底意地が悪いため、そのメイドは紹介料ぐらい貰っているのではないかと睨んでいたが、そうでもないようだった。
元御勤め先のお嬢様が悪い商売に引っかからぬように努めて健全で、しかしまるで儲からない不器用な仕事を紹介していた。もしかしたらエドワードが小包を渡す際に居た、あの女なのかもしれない。
そういう手助けもあるか、とエドワードはステラへ仕事を紹介するなら、と考え出す。
浮かぶのは女を食い物にしたような仕事ばかり、自分の発想力のなさに最悪だなと勝手に打ちひしがれる思いだ。今の彼女に何が出来るのかわからないのもあるが、女が働く、それも年端もいかない少女が、というのは厳しい。
需要はいっそ在りすぎると言ってもいいが、これが健全にとなると無茶だ。
「ベビーシッターのお手伝いしてるみたいっすよ」
「・・・そうか、ベビーシッターとしては幼いがその手伝いとなればいけるな」
「その辺は女同士の紹介制の強さっすねぇ」
セノは女だけの情報網までは探れないが、一度信頼を得ると強いという。
エドワードはなるほどな、と思った。
セノは大した日にちも空けずに約束通りバカリアの情報も持ってきてくれたが、エドワードは思うところがあり、もう一つ面倒な依頼をした。
「金に困ってんだったらもっといい仕事紹介しようか」
ずばり、ステラへの接触。
セノにステラへ声をかけさせてエドワードは近くで様子を窺うことにした。
上流階級の人通りも多い公園でベビーシッターが子供を遊ばせているのを、荷物番として待っているステラ。
手には編み物があり、声をかけても違和感はないはずだ。
スーツ姿のエドワードが声をかけるのは警戒心を煽るだろうし、セノは年齢も近く愛想も良い。接触してもらうのにちょうどよかった。決してエドワードに声をかける勇気がないからなんてことはないはずだ。エドワードは内心でそう言い訳しつつニュースペーパーで顔を隠しつつステラとセノを盗み見た。
毛糸の縫い目から顔をあげて、軽い挨拶と一緒にいきなり不躾なことをいったセノへステラは、まずは挨拶だけを返した。
エドワードの記憶の中の彼女と相違ない笑顔。
大人びたとはいえ、まだ少女と言った顔立ち。丸かった頬が随分シャープになっていて、果たしてきちんと食事が出来ているのかとどうでもいいことが心配になった。だが一目で貴族だと断言できる輝きは薄れていない。
エドワードは安堵のような、残念なような矛盾した想いが湧いた。
ステラの綺麗な笑顔がくすんで、翳って、悲しい女になっていたら、エドワードはきっと興味をなくしていたのだ。
あぁ、可哀そうに、大切な思い出が汚されてしまった、と悲しく惜しむだけで済んだのだ。
「俺のこと知らない?顔広いから割のいい仕事紹介できるよ」
「あらあら。身体を売れってこと?そういうのはもうちょっと後でいいわ」
「それって覚悟はあるってこと?!」
なんの動揺もなく彼女がそう言ったことに、セノもエドワードも本気で驚いてしまった。
もうちょっと後でいいってなんだ?!と思わずニュースペーパーが皺になるほど握りしめた。その純真な笑顔のままに売春が口から転がり出てきたことに衝撃とともに涙が出そうになった。エドワード自身、想定していたくせに勝手な話だ。
「だって、どうしようもなくなったら取らざる得ない手段でしょう」
「え、えぇ~、そうかなぁ」
「あら、じゃあもしもの時はもっと違うお仕事紹介してね」
「・・・うん、なんか元気だねアンタ」
仕方ないじゃない、と言うステラの簡素な返事にセノは呆気にとられたように言った。
エドワードは未だに衝撃から立ち直れない。
「元気にみえるならよかったわ。女は悲しい顔をしていたら駄目なのよ」
「・・・なんで?涙は女の武器だろ」
最早エドワードによる依頼も忘れてセノは興味深げにステラへ訊ねた。
「可哀そうな女はすぐに食いつぶされちゃうの」
まるで、お前みたいなのになと言うようにセノへ微笑むステラ。
「だから私、もうちょっと頑張るわ」
スーツやドレスが行きかう公園で、彼女は一等輝いて見えた。編み物を片手にベンチに座っているだけだというのに、貴族としての高貴さのようなものがエドワードには感じられた。それは彼女の秘める覚悟に、ただエドワードが気後れしてしまっただけなのかもしれない。
エドワードは逃げるように彼女の前から速足で去った。ニュースペーパーはぐしゃぐしゃで、追いかけてきたセノが勿体ない!とひったくる。古新聞は小銭稼ぎに良いのである。
セノは一見して機嫌が悪そうなエドワードに気にせず声をかけた。
「いやぁ~わかってたつもりっすけど、女って強いっすね。売りやってる姉さんらの強さを思い出したっすよ」
そんな独り言とともに、残念だったっすね!とセノは見当違いな言葉をエドワードへかけた。エドワードはそんなセノを無視して足早にどこかへ向かう。セノは置いていかれまいと息を切らしながらもついていく。まだ金を貰っていないのだから仕方がない。
「バカリアへ乗り込む」
セノはその言葉にやばい船に乗っちまったかも、と顔を青ざめさせた。
◆
彼女が、自らの身体を金にするって?そんなの駄目だ。
覚悟がある?それしか生きる道がない?そんなこと許さない。
手の届くところに堕ちてきたことに喜ぶなんてとんでもない。
彼女にはいつだってあの夏の、柵の向こう側にいて欲しい。
「ステラ・エンテに手を出すことを許さない」
「・・・まだ商名ももってねぇガキが、なんの交渉カード持ってるっていうんだ」
バカリアはそう大きな組織ではない。とはいえ裏社会の存在であり、突然一般人が乗り込み交渉をしようなんて馬鹿げた話だ。セノが案内した店にツナギとなる男がおり、エドワードは何の躊躇もなくそいつを言葉巧みに誘導してボスとの会談をセッティングさせた。
そして直球での要求。
その度胸に感心はしたものの、とんでもない大馬鹿だとボスは葉巻をくゆらせた。
「現時点での借金を含め、最終的には僕が払うと言っている。だからそれまでエンテ家の乗っ取り、ステラへの手出しをするな、これが僕の要求だ。」
「言いたいことはわかったが・・・お前にそんな価値がどこにあるっていうんだ」
ボスは若造を相手にせせら笑った。彼からすれば、まだ店も持っていないくせに一丁前に金を持っているフリをしている子供にしか思えなかった。
ましてや、エンテ家のお嬢さんが弱点だとさらけ出しているも同然。
「俺は投資家じゃねぇ、今持っていない金を信用しねぇ」
「話は最後まで聞くべきだ。僕はビジネスの話をしにきた」
粋がったガキがヒーロー気取りで惚れた女を助けようと乗り込んできたのかと考えていたボスは終始落ち着いたままのエドワードに、ようやく少し耳を傾ける気になった。二人の周囲に立つ部下たちからの威圧的な視線をまるでいないものとして扱う姿、話がこじれたら己の部下として勧誘してもいいとボスは内心で思う。
ボスはソファに座りなおし、酒を持ってこさせた。
「僕はこれから革職人から仕立屋として独立する、店舗も既に決まってる」
「ほぉ、若いのに大したもんだ」
「既に上流階級から何件か注文が入っている。金は動くし軌道にも乗せる。だからと言ってお前らには関係ないが・・・お前たちのライバルには少し関係がある」
「あ・・・?ライバル?」
「この街の主なマフィア勢力は三つほど、その三つにバカリアは入っていないな」
「・・・」
「それはそうだ、君たちの中に上流階級へ食い込むだけの権力基盤はない。政治や選挙に影響力はなく、未だに田舎の農地で金になる作物を農奴に作らせるだけ。このままだと最終的に農地さえなくなり君たちはこの街で巨大マフィアの抗争に摺りつぶされる」
「ってめぇ、誰を馬鹿にしてるかわかってんのか」
「おいおい、短気か?それともお話が難しかったかな」
エドワードの背後に立っていた男が苛立って拳をソファに叩きつけて脅す。だがエドワードに動揺はなく、むしろボスへ躾がなっていないと軽口を飛ばす。
「・・・お前ら、大人しくしとけ。おいおめぇ、ビジネスの話なんだな」
「さっきいった注文には愛人に贈るためのプレゼントがある。好色で有名な上級議員だ。それによりどうなるか?三つの勢力の均衡がもしかしたら傾くかもしれない・・・」
「・・・回りくどい言い方だ。ビジネスだっていうなら俺らを稼がせてくれるんじゃねぇのか」
「端的に言おう、君たちの女を上流階級で紹介してやってもいい」
その時ボスの中でエドワードの言葉が繋がった。
この街の三大勢力であるマフィアのうち、どこかはわからないが上流階級に女をあてがってるやつらがいる。同様のことを、エドワードを介してバカリアが進めていけば、勢力の拡大・・・まではいかずとも三大勢力相手に影響力が確実にできる。
「・・・最初から俺たちと関わってる店なんぞ、信用は得られねぇぞ」
「あんたらはただの客だ。いい女のドレスを注文しろ。俺は広告塔としてパーティーへ連れて行き、良客を紹介する、それだけだ。何故か男は愛人を欲しがってるかもしれんが、どうにかできるかは女の腕次第だな」
「愛人業で成り上がれる高級娼婦なんぞ、滅多にいねぇんだぜ、あんたにノーリスクがすぎねぇか」
「奴隷商人の摘発が頭痛の種だろう」
「・・・!」
ボスは息をのんだ。彼らは田舎で農奴を抱えている昔ながらの存在。奴隷商人はマフィアの管轄であった。それが身分制度撤廃で平等が叫ばれる中、上流階級と繋がっていないマフィアの奴隷商人は摘発されるようになった。
未だに貧しい田舎の最後のセーフティネットとして機能してしまっている必要悪。
残念ながらエドワード自身がそこから這い上がってきたも同然なので、その存在に疑問すら抱かない。
「軒を貸してやろう」
「・・・どうしてそこまでする」
「我が商会は仕立屋だけで終るつもりはない、単純に人材が必要だ」
大して利益にもならない田舎まで、商人がわざわざ行くなんて奴隷商人程度。その知見、地の利をエドワードは欲しいと思っていた。そして、優秀な人材も。
ボスは頭の中で算段を重ねてエドワードという男を信用してみることにしてみた。なんせボスからするとほぼ損はないのである。エンテ家の乗っ取りとて可能かもしれないというレベルで、実際にそれをするには非常に危険な綱渡りが必要だった。それならば愛人業のほうが余程楽なものだ。
「ステラ・エンテに手をださねぇ、これでいいか」
「エンテ家の借金はバカリア以外が手出しできぬよう牽制し、バカリアはステラへ手出ししない、そこまでだ」
「・・・いいぜ、なんなら街で見かけたら護ってやってもいい」
「それは僕がやる、別にいらん」
「はははっ暇人かよ」
本気かどうかもわからぬ真顔でエドワードがきっぱりと断り、交渉は終了した。いっそ和やかなほどだった。用意された酒を今更に向けた。グラスを持って、お互いに注いだ。
「では、乾杯」
世の中ね、顔かお金かなのよ




