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近江の山奥から始める近代国家建設 外伝 〜美濃の蝮と呼ばれた男〜  作者: 近江もののふ


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第5話 斎藤の名で

 天文四年(てんぶんよねん)(1535年)、春。

 美濃国(みののくに)、厚見郡(あつみぐん)、長井(ながい)屋敷。


 小見の方(おみのかた)が、生まれて間もない娘をわしの腕へ移した。教えられたとおりに肘(ひじ)を曲げたものの、どこへ力を入れればいいのか分からない。槍(やり)の柄なら迷わず握れるが、娘を抱くのは勝手が違った。


 わしの腕の中で身をよじる娘を見て、小見の方が袖で口元を隠した。

「そのように力を入れて抱かれては、この子も落ち着きませぬ。お顔まで、書状をお読みになる時と同じになっておられます」


 娘には帰蝶(きちょう)と名づけた。腕の力を抜こうとすると今度は落としそうになったので、小見の方の手を借りて抱き直した。


 小見の方が西村の家へ来た三年前、わしはまだ西村勘九郎(にしむらかんくろう)を名乗っていた。明智一関斎宗善《あけちいっかんさいそうぜん》の娘を迎えたこの縁組は、御館に近い西村の家と、東の明智とを結ぶためのものだった。


 婚礼の翌朝、小見の方は膳(ぜん)を前に、わしへ尋ねた。

「京から下られ、山崎で油を商っておられたと伺いました。そのお店は、もう人にお譲りになったのですか」

「とうに畳みました。私は、西村の家を継げるかどうかも決まらぬうちに、もう油では食わぬと決めて店を出たのです」


 小見の方は箸を置いたまま、その後の話も途中で何も尋ねず、最後まで聞いた。


 あの朝はまだ私と言っていたが、長井の家を差配(さはい)するようになってから、家臣の前ではわしと改めた。人に役目を与える立場になっても奉公人(ほうこうにん)の頃の言葉を使っていては、命じる声まで軽く聞こえる。今も私と言うのは、御館で頼芸(よりのり)の前に出る時くらいだ。


 帰蝶を小見の方へ返して廊下へ出ると、お里(おさと)が帳面と、乳母(うば)や新しく付けた女中に渡す米と布を抱えて待っていた。

「夜泣きで若君が起きてしまわれますので、乳母の部屋は深芳野(みよしの)様の棟から離れた所に用意しました」


 お里の帳面には、小見の方と深芳野の部屋に渡す米と布が、それぞれ書き分けてある。目を通して返そうとすると、表から馬の足音が近づいてきた。


 * * *


 頼武(よりたけ)の跡を継いだ土岐次郎頼充(ときじろうよりみつ)が、頼芸を退けようと兵を挙げたため、わしも兵を出し、与力(よりき)の宮河(みやかわ)に一方の備えを任せた。


 出立の朝、具足(ぐそく)姿で門前に立つ宮河が、集まった兵の列を振り返って言った。

「北の村の者どもが、まだ着いておりませぬ。全員が揃うのを待っていては、持ち場へ入るのが昼過ぎになりましょう」

「待たずともよい。遅れた者はわしが後から送るから、先に持ち場を押さえておけ」


 宮河討死(うちじに)の報せは、数日後に届いた。敵の数や宮河が倒れた場所を尋ねても、使者は手勢が崩れて何人かが戻ったと繰り返すばかりだった。その場にいなかった使者には、それ以上答えようがない。


 戻った兵を呼び、残った人数と守りの抜けた場所を一つずつ聞き出した。そこへ遅れて着いた北の村の者どもを回し、宮河の家には、扶持(ふち)をこれまでどおり続けると伝える使いを出した。


 家は残せても、宮河の持ち場は誰かに引き継がせねばならない。兵が揃うまで待たせていれば、と考えかけたが、やめた。長井の家を手に入れ、わしの命令で人が動くようになった以上、送り出した者が帰らなくとも、次の命令を出すのはわしだ。


 翌天文五年(てんぶんごねん)七月、頼芸は美濃守(みののかみ)任官の勅許(ちょっきょ)を得た。御館へ上がって祝いを述べた後、わしは出している兵のことを切り出した。

「稲刈り(いねかり)の前に、村々から出した兵を一度戻したく存じますが、いつまで留め置かねばなりませぬか」

「美濃守の名をもろうても、守護の座まで定まったわけではない。あちらが兵を動かしておる間は、こちらも兵を引けぬのだ」


 九月、朝倉(あさくら)と六角(ろっかく)の後ろ盾(うしろだて)を得た頼充と斎藤彦九郎(さいとうひこくろう)が戦端(せんたん)を開き、屋敷には日に何度も使者が駆け込んでくる。兵を回す砦(とりで)や兵糧(ひょうろう)を運ぶ道を決めても、翌朝には別の報せが届いた。そのうえ村々からは、出した人足(にんそく)を返してほしいという訴えまで来る。


 東美濃から兵を率いて戻った養子の斎藤大納言正義《さいとうだいなごんまさよし》は、座に着くなり、首の数より先に道の話を始めた。

「橋は落ちておりますが、上の渡しはまだ使えます。次の荷が着くまで舟を出さずに待ってもらうため、船の主に少し銭を渡してまいりました」

「その銭はこちらで持つ。渡しには護衛も付けるから、お主が人数を決めて明朝までに知らせよ」


 戦のさなか、わしは頼芸の意向を受け、斎藤の一族にも了承を取り付けて、斎藤新九郎利政《さいとうしんくろうとしまさ》を名乗った。長井の家中への命令では届かなかった相手にも、これからは斎藤の名で話を通せる。


 だが、名が変わっただけで皆が従うわけではない。訪ねてくる者からは、以前からの役目や知行(ちぎょう)がどうなるかをまず尋ねられ、わしは一つ一つ返答した。


 屋敷では、小見の方が明智への書状を前に、筆を止めていた。

「父への便りにも、これからは斎藤と書いてよろしいのですね」

「そう書いてくれ。新九郎の名は変わらぬから、斎藤新九郎でよい。義父(ぎふ)殿には、わしからも改めて書状で知らせよう」


 わしは新しい名で書状を書き、届け先には昨日までと同じ名を記した。


 * * *


 天文六年(てんぶんろくねん)、わしは正義を東美濃の拠点に置き、可児郡(かにぐん)に烏峰城(うほうじょう)を築かせた。普請(ふしん)の様子を見に出向くと、尾根(おね)には土塁(どるい)が巡り、堀の底では人足が土を運び出している。正義は木を組んだ櫓(やぐら)の脇で、国衆(くにしゅう)ごとの受け持ちを記した書付を広げ、備えについて一通り説明した。


 書付を返しながら、わしは正義に告げた。

「急ぎのことなら、わしの返事を待たずに決めてよい。何を決めたかは、後で知らせよ」

「心得ました。ただ、人数を増やす折には、それに見合う兵糧もお認めいただきとうございます」


 それを言うために書付を広げたのだろうと思うと、わしはつい笑った。

「要る分を見積もって出せ。認めるかどうかは、それを見て決める」


 そこへ久々利(くくり)からの使者が上がってきた。わしに一礼はしたが、返答を求めたのは正義だった。わしは口を挟まず、二人のやり取りを聞いていた。わしの名を通さずに話が収まったことを頼もしく思い、帰り支度を命じた。


 * * *


 戦は幾度も年を越し、天文八年(てんぶんはちねん)になってようやく和議(わぎ)がまとまった。御館で頼芸の後を頼充が継ぐと聞かされ、わしは、これまで退けようと兵を出してきた相手が、いずれ主君になるかもしれぬと気づいた。


 和議を受ける旨を述べたうえで、わしは頼芸に尋ねた。

「私の所領(しょりょう)と役目は、この先も今のままお認めいただけましょうか」

「和議が整えば、改めて沙汰(さた)する。それまでは、和議を乱すな」


 屋敷へ戻ると、鷲見藤兵衛尉(すみとうべえのじょう)に宛てて、戦が収まったことを知らせる書状を書いた。末尾(まつび)には斎藤新九郎利政と記し、花押(かおう)を据える。


 筆を置くと、廊下から小さな足音が近づいてきた。小見の方のそばを離れてきた帰蝶が、わしの手を取って引く。

「父上、早う。母上がお待ちです」


 生まれた日には抱き方も分からなかった娘に、今は手を引かれ、庭の話を聞きながら歩いている。部屋の手前まで来ると、お里に呼び止められ、留守の間に届いた書状の束を受け取った。


 戦は収まっても、土岐の家を誰が継ぐかによって、わしの立場も変わる。書状にある頼充方の家々の名を確かめたうえで、戸口に控えた者へ次の使者を呼ぶよう命じた。

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