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近江の山奥から始める近代国家建設 外伝 〜美濃の蝮と呼ばれた男〜  作者: 近江もののふ


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第4話 長井の名を継ぐ

 天文二年(てんぶんにねん)(1533年)、春。

 美濃国(みののくに)、厚見郡(あつみぐん)、西村(にしむら)屋敷。


 朝の膳(ぜん)を下げた直後、御館(おやかた)から呼び出しの使いが来た。御館へ向かおうと着替えて廊下へ出ると、奥の部屋で深芳野(みよしの)が幼い倅(せがれ)の袖を直している。


 深芳野は私に気づくと、倅の手を取ったまま顔を上げた。

「御館へお出でですか。お帰りまで待つよう申したのですが、この子がまた袖を放してくれませぬ。聞き分けがなくて」


 深芳野が私の家へ来たのは、七年前のことだ。その折、御館へ召された私に、頼芸(よりのり)は傍ら(かたわら)に控えた女を目で示した。

「深芳野を、そなたの家へ遣わす。これからは、わしの用も直に聞け」


 礼を述べながら、私は「直に」という言葉の重さを測っていた。長弘(ながひろ)に仕える西村の当主でありながら、その長弘を通さずに頼芸の用を聞くことになる。屋敷へ戻ってから、お里(おさと)にもその話を伝えた。


 お里は帳場(ちょうば)の帳面を開いたまま顔を上げた。

「お一人増えるなら、女中も一人では足りません。部屋と着物と、米の分も、先に決めておいてくださいね」


 翌年、深芳野は男児を産んだ。祝いの品が長弘より先に御館から届いて以来、西村の家は長井の家中である前に、御館と縁を結んだ家と見られるようになった。今朝も袖を掴んで離さぬ倅の手をほどき、私は御館へ向かった。


 頼芸は人を下げてから、一通の書状を私の前へ滑らせた。目を通すと、そこには越前(えちぜん)へ逃れた頼武(よりたけ)の側の者と長弘が連絡を取り合っていたことが記されていた。


 私は書状を置いて顔を上げ、頼芸に尋ねた。

「藤左衛門尉(とうざえもんのじょう)殿には、この件をお尋ねになりましたか」

「藤左衛門尉は家中の兵を握っておる。問いただして疑いを知られれば、越前の者を美濃へ引き入れるやもしれぬ」

「私が動けば、藤左衛門尉殿の兵も黙ってはおりますまい」

「だから、兵を動かされる前に済ませよと命じておるのだ」


 それ以上は聞けなかった。私に西村の家を与え、御館へ連れてきた長弘の取り立てが、今はその長弘を討てる立場に私を置いている。だが、ここで断れば、次に疑われるのは私だ。


 * * *


 長弘の屋敷へは、家臣としてではなく頼芸の使いとして入った。門で顔を確かめられ、そのままいつもの座敷へ通された。近侍(きんじ)を下げてもらってから上座に回り、頼芸の花押(かおう)を据えた上意(じょうい)の書付を広げて差し出した。


 長弘は書付を読み終えると、花押に一度目を留めてから、私の顔を見た。

「上意とあらば、申し開きも許されぬか。わしが御屋形様の前へ連れて行ったお前が、今度はわしを討つ役を引き受けたのか」

「……上意に従い、引き受けました」


 答えながら、私は上意の陰に隠れていた。長弘は私の返答を咎めず、書付を畳んで懐(ふところ)へ収める。その手つきは、川手城(かわてじょう)を落とした朝、内応(ないおう)した侍との約束を記した書付を収めた時と同じだった。私は連れてきた家人(けにん)に目で合図し、刀を抜いた。


 長弘を討って、その懐から書付を抜き出した。端に血は染みていたものの、花押は読める。私は座敷を出て門へ向かい、門番の前でその書付を広げた。

「御屋形様の上意により、藤左衛門尉殿を成敗(せいばい)いたした。これに手向かう(てむかう)者は、御屋形様に弓を引く者と見なす」


 門番は花押を見て槍を伏せ、膝をついた。兵を集めに走ろうとした者も、門の内で足を止める。刀を抜かないのは、私の手勢を恐れたからではなく、書付に逆らえば長井の家ごと謀反(むほん)とされるからだ。


 屋敷を押さえたところで、西村の家から付いてきた年嵩(としかさ)の家人が、私の前に膝をついて尋ねた。

「次は、いかがなさいます。屋敷の者どもが、座敷の様子を窺うております」

「門は閉めたままにしておけ。まずは主だった者を一人ずつ広間へ呼び、逃げた者があれば名を控えておけ。若殿には、私から事の次第を申し上げる」


 長井の家督は、長弘の嫡男(ちゃくなん)である長井藤左衛門尉景弘《ながいとうざえもんのじょうかげひろ》が継いだ。私にも家中を支える役目が与えられ、景弘と長井一族の了承を得て長井の姓を受けた。頼芸もこれを認め、私は夏を待たずに長井新九郎規秀《ながいしんくろうのりひで》を名乗った。


 だが、景弘の目には父を討った私への不信がある。頼芸が付けた私を追い出せないため、家の名と古参の家臣は景弘が、御館への取次(とりつぎ)と兵糧(ひょうろう)の差配(さはい)は私が受け持った。以前は難しい話も長弘の返答を待てばよかったが、今は私の判断で米が届き、人が集まる。動かせる者が増えるにつれ、景弘を通さずに決めたくなった。


 屋敷へ戻ると、帳面を手にしたお里が台所から出てきた。

「奉公人がまた増えました。飯代は、どちらの扶持(ふち)から出せばよろしいのですか」

「長井の家中で、私が受け持つのは……いや、飯代なら月に米が一石半あれば足りる」


 お里はその米の量を帳面へ書き付ける。長井を名乗るようになっても、台所の勘定は西村の頃と何も変わらなかった。


 十一月二十六日、長滝寺(ちょうりゅうじ)へ出す書状に、景弘と私が名を並べた。景弘は先に花押を据えると、筆を置いて私を見た。

「家中へ命じることがあれば、まずわしへ知らせよ。父の家臣を、わしの知らぬところで動かされては困る」

「承知しました。今後は、使いを出す前にお知らせいたします」


 私はそう答えて花押を据えた。だが、困り事を抱えた使者が訪ねてくるのは私の方で、頼芸が待っているのも私からの報告だ。


 翌月、私が東の村へ遣った家臣が、用を果たさぬまま屋敷へ戻ってきた。その訳を問いただすと、男は気まずそうに目を伏せて答えた。

「若殿のお指図で呼び戻されました。新九郎様の御用は、若殿を通してから承れと」


 景弘が父から継いだものを守ろうとしているのは分かっていても、私には自分の働きを遮られたとしか思えなかった。


 * * *


 翌天文三年(てんぶんさんねん)、私は景弘を除けば長井の家を自分の手で動かせると判断した。そこでまず、家中の主だった者へ、扶持と役目はそのまま保つと伝えて回った。頷く者もいたが、返事を濁して景弘の部屋の方を見る者もいた。


 御館へ出向いた私は、頼芸の前に手をついて申し出た。

「家中の命令が二つに割れ、使者が戻るたびに返答が食い違っております。御屋形様の御用に障りが出ぬよう、家中の差配を私へお任せいただけませぬか」

「家中を乱さず、わしの用を滞らせぬようにせよ」


 頼芸は景弘を除けとは言わなかったが、私は事が済めば後ろ盾(うしろだて)になってくれると受け取った。数日後、村々の人数の割り振りを相談したいと景弘を屋敷へ招き、座敷に入ったところを、わずかな家人とともに斬った。長弘の時と違って上意の書付はなく、景弘を招くことも討つ時も、私が決めた。


 表向きには、景弘は急な病で死んだと届け出た。内情を知る者は限られていたものの、一族や古い家臣の顔には疑いが残っていた。その後、私の報告を受けた頼芸は、長井家の差配と小守護代(こしゅごだい)の役目を認めた。


 私は家臣を広間へ集め、上座から皆の顔を見渡した。

「扶持はこれまでどおり保ち、役目も変えぬ。ただし、御館の御用も村々への使いも、これからはすべて私が差配する」


 景弘の近くにいた男だけが、返事を遅らせる。私はその男から目を離さず、受け持つ村と人数をもう一度告げた。

「その村はこれまでどおりお主に任せ、人数も減らさぬ。明日から役目に当たれ」


 やがて男は頭を下げたが、それだけで信用できるとは思わない。


 翌朝、私は書状に自分だけの花押を据えた。戸口で命令を待つ家臣に気づくと、筆を置いて、その書状を差し出した。

「御館へ届けたら、返事を受け取るまで戻るな。返事が遅れるようなら、先に使いを一人返せ」


 長弘に働き口をもらってから、十年が経っていた。今では、その長弘と倅を殺した私が、人に役目を与えている。使者が退くと、私は次に届いた書状の封を切った。

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