第10話 五人の倅
天文二十三年(1554年)、春。
美濃国、厚見郡、稲葉山城。
広間に揃った五人の倅のうち、上座に最も近いのは嫡男の斎藤新九郎義龍だった。そこから孫四郎龍重、喜平次龍定、玄蕃助利堯、末の新五郎利治と並んでいる。ただ、義龍と弟たちの間には、膝一つ分の隔たりがあった。
家臣が持ち込んだのは、村同士の水争いだった。どちらの言い分にも理があり、わしはまず義龍にその相談を示した。
「新九郎、どう裁く」
「改めて双方の村から事情を聞き、水の量も確かめたうえで、お答えしとうございます」
事情を確かめるのはよいが、その間にも田は干上がる。わしが龍重へ目を向けると、待っていたように答えた。
「まず日を分け、両方の村へ交互に水を回してはいかがでしょう。言い分は、水を流しながら聞けばよいかと存じます」
「それでよい。そのように書付を作れ」
呼ばれた龍定はわしの近くへ進み、書状を受け取って黙って読み始めた。わしはそのまま読み終えるのを待った。義龍が考え込んだ時には、与えなかった時間だ。
利堯に使いを言いつけると、届け先を二度確かめてから腰を上げた。続いて立とうとした利治を、わしは呼び止めた。
「新五郎、まだ話は終わっておらぬ。座っておれ」
残りの話を済ませて弟たちを下がらせ、義龍だけを残した。嫡男を飛ばして弟を立てれば、家中に跡目争いが起こる。義龍に家を譲り、わしが後ろから判断を支えればよいと考え、家督を譲って日々の沙汰を任せると告げた。ただし、尾張や京とのやり取りと重い処置は、これまでどおりわしへ知らせるよう命じた。
義龍は礼を述べ、顔を上げて尋ねた。
「家臣に指図を出す際も、その都度、父上へ伺いを立てるのでございましょうか」
「日々の沙汰はお主に任せる。ただし、他国と交わした約束を変える時は、わしに話を通せ」
義龍は、日々のこととして任されるのはどこまでか、さらに尋ねてきた。当主なら確かめておくべき境目だが、問いを重ねる倅の顔を見ているうちに、わしは苛立ちを覚えた。この倅だけで美濃を動かせるとは思えない。任せはするが、誤る前にわしが止めればよい。
* * *
数日後、義龍が一人でわしの居間へ来た。座に着くと膝の上の手をしばらく見つめ、やがて口を開いた。
「孫四郎や喜平次の話なら、父上は最後までお聞きになります」
「働きを見ておるだけだ」
義龍はしばらく黙っていたが、顔を上げて言った。
「私は、土岐の御屋形様の子だと思うております」
深芳野が西村の家へ来た翌年に生まれた義龍を、わしは倅として育ててきた。その目を見据えたまま、問い返した。
「それを申して、何を変えたいのだ」
「この家を継ぐ以上、父上が退けた御屋形様のことも、忘れたことにはできませぬ」
「土岐の名を思うだけでは、家中は従わぬ。明日の沙汰をこなし、まずは預けた役目を果たせ」
義龍は頭を下げ、座を退いた。去っていく背中を見ても、わしの言葉に納得したかどうかは分からなかった。
* * *
三月五日、わしは井口の道場へ判物を出した。十日には義龍が利尚の名で、ほぼ同じ内容の判物を出している。新たな当主を家中へ示すために据えた義龍の花押も、わしが先に決めたことを後から認め直す形になっていた。
判物を受け取った道場の使いが、その足でわしのもとへ伺いに来た。義龍にはまだ報せていないと聞き、まずそちらへ話を通せと命じた。だが、続けて寺領の境について問われると、わしは義龍の返答を待たず、自分で答えてしまった。
光秀も書状の束を抱えて来ると、誰へ回すかを尋ねた。
「寺社へのこちらの返書は、新九郎様へお回ししてよろしゅうございますか」
「新九郎へ回せ。……待て、尾張の名が出ておるな。それはわしが見る」
屋敷で道具を分けていたお里が、帳面の硯箱の項で手を止めた。義龍へ移すか、わしの手元に残すか、決めかねている。
「この硯は、どちらへお移しいたしましょう」
「わしの手元に置け。……いや、新九郎へ渡してやれ」
* * *
夏、伊勢との往来を通じて、近江の橘が八風を越えて出兵し、千種を押さえたと伝わった。届いた報せで分かるのは、兵の向かった先と、率いた者の名ほどだった。
光秀は書付に目を落とし、読み上げた。
「兵を率いたのは橘の十兵衛殿で、父の弥三郎殿も出陣したとのことにございます」
「十兵衛とは、お主と同じ名だな。父も出ておるなら、倅に兵を率いさせることを認めておるのか」
「そのあたりは、伊勢の者にも分からぬようにございます」
近江の山奥では、倅が兵を率いている。その報せを聞いて、なぜか伊吹の向こうの空が赤く染まった正月を思い出した。あれから、もう十二年になる。
義龍は書付を読み終えると、膝を進めた。
「城を一つ取ったと聞くだけでは、次の動きは読めませぬ。近江から伊勢へ通じる道と、橘が六角方として動いているのかを調べさせとうございます」
「まずは自分の家中を動かせ。預けた沙汰が滞っておるうちに、他国のことを探るのか」
聖徳寺で婿の問いには最後まで耳を傾けたわしが、義龍の申し出には、まだできていないことを挙げて退けた。義龍がそれ以上言わずに頭を下げると、龍重が身を乗り出し、橘の話をもっと聞きたいと言った。
わしは龍重に書付を渡して命じた。
「伊勢から来る者に、橘が次にどう動くか聞いてみよ」
こうして、義龍が申し出たばかりの仕事を、わしは弟に任せた。
* * *
翌天文二十四年の春、京から太刀が届いた。わしは返礼として万疋を進上する手配を進めたが、京から来た者が返答を求めるのは、相変わらずわしだった。義龍は口を挟まず、呼ばれるまで控えていた。
龍重と龍定を側へ呼んで太刀を見せると、二人は鞘から抜いた刃を覗き込んだ。少し離れた所では、義龍が待っている。利堯と利治にも見せた後、弟たちを下がらせた。
義龍が進み出て、わしに申し出た。
「京へ送る返書の写しを、私にも頂けませぬか。家督を預かった以上、他国との取り決めも承知しておきとうございます」
「その件は知らせるゆえ、今は家中から上がっておる用を片づけよ」
太刀を納めたわしは、義龍が持参した書状に目を通し、どう返答するつもりかを尋ねた。倅の答えを聞くうちに、いつしか筆を取り、直すべき箇所に墨を入れ、書き足す文まで添えていた。筆に含ませた墨は、倅に渡した硯ではなく、手元に残したわしの硯で摺ったものだった。
義龍は、わしの手元を黙って見ていた。教えるつもりが、返答の文までわしが書いている。倅は礼を述べると、書状を受け取って座を退いた。




