第3話《許された殺人》
街へ続く坂を駆け下りながら、グロリアは長銃の照準を覗いた。
視界の端で三つの赤い輪郭が浮かび上がる。二百八十メートル先、崩れかけた建物の二階に二人。路地の奥に一人。いずれもイルナの戦闘員だった。
一発目。窓際から銃身を覗かせていた男の胸を撃ち抜く。銃口を隣の窓へ滑らせ、二発目。倒れる姿を確認するより早くグロリアは長銃を抱えて走り、飛来した弾丸が直前までいた場所の土を抉った。
『右路地!』
通信が届くより先に、グロリアは身体を反転させていた。路地から現れた男が銃を構える。互いの銃口が向き合った瞬間、グロリアの弾丸が男の肩を貫き、その身体を壁へ叩きつけた。
まだ生きている。男が落とした銃へ手を伸ばす。
グロリアは二発目を撃った。
動かなくなった男の横を通り過ぎる。
「……三」
殺した人数を数えているわけではない。次に装填が必要になるまでの残弾数を確認しただけだった。
戦場では、人間が数字になる。
距離。風速。弾数。敵の数。味方の損耗率。制圧した区画の割合。数字に置き換えると、人の死は驚くほど扱いやすくなる。グロリアは、それが戦争という巨大なものを人間の頭で理解できる大きさへ縮めるための知恵なのだろうと思っていた。
死者一名。
そう記録すれば、一人の人間が生まれてから死ぬまでのすべてを、たった四文字にできる。便利なものだ。だからこそ、人間は戦争を続けられるのかもしれない。
前方で爆発が起きた。ヴァルセナの四脚武装ユニットが一体、横転して炎を噴き上げる。イルナ側が道路へ仕掛けていた爆薬だった。
『第三班、損耗! 西側から対装甲射撃!』
「見えている」
グロリアは崩れた壁へ片足を掛け、積み重なった瓦礫を足場に二階部分まで駆け上がった。屋根の半分が吹き飛んだ民家から街を見渡す。炎と黒煙の隙間を、ヴァルセナ兵と四脚ユニットが進んでいた。
その進路へ、イルナ側から砲撃が降り注ぐ。
グロリアは片膝をついた。
照準器が煙の向こうを透過し、敵兵を輪郭だけで浮かび上がらせる。砲撃指示を出している者を探し、一人ずつ候補を捨てていく。
――いた。
四百九十一メートル。建物の屋上で端末を操作する女。
グロリアは呼吸を止めた。引き金を引く。
女の頭が跳ね、身体が屋上から消えた。
直後、それまで正確だった砲撃が乱れる。
『観測手沈黙! 進め!』
ヴァルセナ兵が一斉に前進した。
グロリアは二発残った弾倉を満装填のものへ交換しながら、ふと考える。
――人を傷つけてはいけない。
幼い頃、そう教わった記憶がある。誰から聞いたのかはもう思い出せない。父だったのか、母だったのか。それともヴァルセナへ連れてこられてから読んだ本だったのか。
だが今、グロリアは人を殺している。
十人殺せば叱られるどころか評価される。百人殺せば勲章さえ与えられるかもしれない。殺すという行為は何も変わっていない。銃口を人間へ向け、指を曲げ、その人間の生命活動を止める。ただそれだけだ。
では、何が変わったのだろう。
法律だろうか。命令だろうか。制服だろうか。あるいは、自分が殺してよい側にいるという事実だけなのか。
「グロリア!」
怒鳴り声に思考を切られた。振り返ると、ガルナが階下からこちらを睨んでいた。
「ぼさっとするな!」
「少し考えていただけだ」
「戦場で考え事する馬鹿がいるか!」
グロリアは立ち上がり、二階から飛び降りた。
「何も考えず人を殺すよりいいだろう」
「そういう意味じゃねぇ!」
着地と同時に銃声が鳴った。
グロリアはガルナの肩越しへ発砲する。背後から迫っていたイルナ兵が額を撃ち抜かれ、その場へ崩れ落ちた。
ガルナの顔が引きつった。
「ガルナ。礼くらい言ったらどうだ」
「頼んでねぇ」
「なら次は見なかったことにする」
「てめぇ!」
グロリアは小さく笑い、そのまま前へ走った。
戦闘は一時間も続かなかった。
イルナ側の抵抗は激しかったが、兵力も装備も違いすぎた。ヴァルセナの無人武装ユニットは銃弾が飛び交う路地を恐怖もなく進み、建物の奥へ逃げ込んだ戦闘員を熱源探知で見つけ出す。抵抗拠点は一つずつ潰され、やがて散発的に聞こえていた銃声も減っていった。
最後まで残っていたイルナの旗が、燃えながら建物から落ちた。
『全部隊へ。ネルヴァスク――第十七居住区の制圧を確認』
通信機から無機質な声が流れる。
『戦闘フェーズ終了。残存者の確認および区域内の掃討へ移行する』
――制圧。
グロリアはその言葉を頭の中で転がした。
目の前には、燃えている街がある。壁にもたれたまま死んでいる男。瓦礫から腕だけを覗かせている女。道路には先ほどまで人間だったものがいくつも転がり、その間を四脚ユニットが歩いていく。
これを、制圧と呼ぶらしい。言葉というものは便利だった。
奪えば統合。殺せば排除。焼き尽くせば制圧。名前を変えるだけで、同じ行為がまるで別のものになる。
『生存者を確認した部隊は規定に従い選別せよ。成人の残存者は排除。児童については身体状態および適性を確認し、確保可能な者は移送対象とする』
グロリアは左腕へ目を落とした。煤で汚れた赤い腕章がそこにある。かつて自分も、そうやって選ばれた。
父と母は選ばれなかった。四歳のグロリアは選ばれた。
その違いが何だったのか、今なら分かる。幼かったからだ。まだヴァルセナの言葉を覚えられ、ヴァルセナの歴史を学び、ヴァルセナの兵士になれる年齢だった。
生かされた。そう言えば、聞こえはいい。利用された。そう言えば、ひどく聞こえる。
けれど、そのどちらが正しいのかをグロリアはいまだに決められずにいた。少なくとも、あの日殺されていれば今ここにはいない。それだけは事実だった。
乾いた銃声が響く。路地の向こうで、生き残っていた男がヴァルセナ兵に撃たれた。
グロリアは何も言わず、その横を通り過ぎた。
建物を一軒ずつ確認していく。熱源反応なし。次もなし。その次では幼い少年が見つかったが、すでに息をしていなかった。
やがて街の外れまで来たところで、グロリアは足を止めた。
焼け焦げた小さな小屋があった。
屋根は半分崩れ、窓は割れている。外壁には無数の弾痕が刻まれ、入口付近には数人の遺体が折り重なるように倒れていた。
端末には熱源反応なしと表示されている。グロリアは一度通り過ぎようとした。
そのときだった。何かが、動いた気がした。
振り返る。
静かだった。炎の爆ぜる音と、遠くで続く銃声しか聞こえない。
『グロリア、どうした』
ガルナの声が通信機から聞こえた。
「……何でもない」
グロリアは長銃を構え直した。端末は何も検知していない。ならば見間違いだろう。
そう判断して立ち去るには、今の動きがほんの少しだけ気になった。人間は、自分が見たいものを見てしまうという。それでも、機械が「何もいない」と告げたあとに、自分の目を信じることに意味はあるのだろうか。
グロリアは小屋の入口へ向かった。
割れた扉を銃口で押す。軋んだ音とともに、暗い室内がゆっくりと姿を現した。
グロリアは銃を構えたまま、その中へ足を踏み入れた。




