第2話《知っても殺せる》
グロリアが生まれた頃には、人類の数はすでに半分近くまで減っていたという。
だから何だ、と当時のグロリアは思った。
「旧文明末期に始まった資源戦争によって、人類の生存圏は大幅に縮小した。現在も利用可能な土地、水、鉱物資源の総量は減少を続けている」
教壇に立つ教師の声を、十歳のグロリアは頬杖をついて聞いていた。
ヴァルセナ連邦。人類文明崩壊後に設立された人類存続機構『アーク』を前身とし、南方最大の生存圏を築いた国家。教科書にはそう書かれている。
荒廃した土地に作物は育たず、食料生産の大半は巨大な培養施設に依存している。水も、燃料も、電力を生み出す資源も有限だった。だから国家は領土を必要とする。
人間が生きるために。国を守るために。家族を飢えさせないために。
「生存圏の確保は、ヴァルセナ連邦に生きるすべての国民を守るために必要な行為である」
教師はそう言った。その言葉に疑問を口にする生徒はいなかった。グロリアも黙ったまま、ただ窓の外を眺めながら考えていた。
――その土地に、先に誰かが住んでいたら?
その人間にも国があり、家族がいて、生きるためにその土地を必要としているなら、どちらの「生きる」が優先されるのだろう。
人数だろうか。力だろうか。それとも、先にそこにいたという時間だろうか。
教科書には、こう書かれていた。
『未開地域の保護。治安の安定。生存圏への統合』
けれど、それはグロリアが知りたいことへの答えではなかった。人間が生きるために必要なものは何ページにもわたって書かれているのに、誰かから奪っていい理由だけは、どこにも書かれていないことが不思議だった。
――六年後。
「目標、確認」
十六歳になったグロリアは、黄金色の瞳で照準器の向こうを覗いていた。後ろでひとつに束ねた白銀の髪が、乾いた風に揺れている。
《風速、秒速二・八メートル。距離、六百四十二メートル。湿度、七十一パーセント》
照準補正値が視界の端に表示され、遠く離れた建物の窓が自動的に拡大される。その向こうに一人の男がいた。イルナ人だった。グロリアと同じ民族だ。
端末が男の顔を認識すると、視界の片隅へ情報が並んだ。
《名前、年齢、居住地。家族構成。妻、一人。子供、二人》
昨日、男が投稿したSNSの写真まで表示された。食卓を囲んで笑う四人。その中央にいる男と、照準器の中央にいる男は同一人物だった。
「余計なものまで見せるな」
グロリアは表示を消した。
『グロリア、どうした』
「何でもない」
通信機へ短く返し、指を引き金へ添える。
会ったこともない男だった。どんな声で笑うのかも、何が好きなのかも知らない。ただ、敵だということだけは知っている。もっとも、知ろうと思えば知ることはできた。妻の名前も、子供の誕生日も、昨夜何を食べたのかさえ、端末ひとつで調べられる。
人類は情報を手に入れるたび、想像する余白を少しずつ手放してきた。かつての兵士は、これから殺す敵の名前どころか顔すら知らなかったという。それなら、相手の人生を知ったうえで引き金を引ける自分たちは、昔より敵を理解しているのだろうか。それとも、人間は知っていても殺せるようになっただけなのだろうか。
『作戦開始まで十秒』
グロリアの左腕には、赤い腕章が巻かれていた。イルナで生まれ、ヴァルセナに育てられた兵士の証だった。
九。照準の中心に男の額を置く。
八。四歳の頃、グロリアもイルナにいた。
七。父と母がいた。
六。そしてヴァルセナがやってきた。
五。父も母も死んだ。
四。グロリアだけが生き残った。
三。ヴァルセナへ連れていかれた。
二。銃を与えられた。
一。
『作戦開始』
グロリアは引き金を引いた。
六百四十二メートル先で、イルナ人の男が倒れた。
名前を知っている。妻がいることも、二人の子供がいることも知っている。それでも指一本をわずかに動かすだけで、一人の人生は終わった。
――知ることと、理解することは違うのかもしれない。
グロリアは照準器から目を離した。罪悪感があるのかと問われれば、分からない。少なくとも胸は痛まなかった。ならば自分は冷酷なのか。それも分からない。会ったこともない人間の死を悲しめないことを冷酷と呼ぶのなら、人間のほとんどは冷酷なのではないかとさえ思う。
ただ、ひとつだけ妙なことを考えた。
――四歳の自分の目の前で父と母を殺した、あのヴァルセナ兵も、今の自分と同じように考えていただろうか。会ったこともない他人だ、と。
遠くで爆発が起きた。
それを合図に、ヴァルセナ連邦軍による、この街への攻撃が本格化した。武装した中型四脚ユニットが荒野を駆け抜け、街へなだれ込む。迎撃の銃声が重なり、つい数秒前まで静かだった土地が、瞬く間に戦場へ変わった。
グロリアも長銃を抱えて立ち上がり、街へ駆け出そうとした。その瞬間、足を払われ、身体が地面へ叩きつけられる。
見上げると、薄ら笑いを浮かべた男が立っていた。銃口がグロリアの額へ向けられている。
「……ガルナ。なんのつもりだ」
同期のガルナはヴァルセナ出身だった。戦闘訓練では常に上位にいたが、グロリアとの模擬戦には一度も勝ったことがない。
「グロリア。お前がいくら優秀だろうと、所詮はイルナの女だ。オレはお前を信じちゃいねぇ。ヴァルセナも同じだ。だからオレが監視役を任された。ふざけた真似をしたら、躊躇なく頭を撃ち抜く。そのつもりでいろ」
グロリアは銃口を見つめ、それから呆れたように息を吐いた。
「だからお前は私に勝てないんだ」
「あ?」
「戦っている最中まで私を見ている。私を見ながら、自分が私より劣っていることを考えている。お前の意識は敵にも、自分自身にも向いていない。そんな人間が私に勝てるわけがない」
「貴様ぁ!」
銃口が額へ強く押しつけられた。それでもグロリアの表情は変わらない。怒りというものは不思議だ、とむしろ考えていた。たった数語で、人間は自分が不利になる行動を自ら選択する。生存を最優先する生物として考えれば、随分と非合理的な感情だった。
「ガルナ」
「なんだ!」
「ここは戦場だ。気を抜くな」
グロリアが地面を蹴って横へ転がり、ガルナが反対側へ跳んだ直後、轟音が弾けた。
イルナ側から放たれた砲弾が、ガルナの立っていた場所へ着弾し、地面を抉る。爆風が二人の身体を地面へ投げ出した。
グロリアは転がった勢いのまま片膝をつき、長銃を構える。土煙の向こうから現れたイルナ兵へ一発。胸を撃ち抜かれた兵士が崩れ落ちた。
立ち上がったグロリアは、振り返る。
「ガルナ! 私を監視するんだろう。遅れるな!」
返事を待たず、戦場へ駆けていく。その左腕で、赤い腕章が風を切った。
「……クソ。あの女……!」
ガルナも銃を構え、その背中を追った。
イルナ人を監視するヴァルセナ人と、ヴァルセナのためにイルナ人を殺すイルナ人。
――どちらがこの国に忠実なのだろう。
走りながらそんなことを考えて、グロリアは小さく笑った。
――どうでもいいか。
今はただ、殺せと命じられている。
だから殺す。
それが正しいかどうかを考えることと、引き金を引くことは、グロリアにとって別の話だった。




