第29話《ルナの友達》
セラヴェスクへ戻る前に、グロリアは森の外れで長銃と短銃を隠した。
鹿は運べるように処理し、布に包んで荷台へ固定した。ルナは近くの石に座っていたが、何度か立ち上がろうとして、そのたびに止められた。
「ルナも手伝う」
「もう手伝っただろう」
「撃っただけ」
「運ぶのは私だ。お前は脚を休ませろ」
納得していない顔だったが、ルナは座り直した。
ヘルメットとゴーグルを着けさせ、側車へ乗せる。街へ戻った頃には昼を過ぎていた。
前に肉を売った店まで行くと、短い髭を蓄えた店主が目を丸くした。
「本当に獲ってきたのか、嬢ちゃん」
「獲れたら持ってくると言っただろう」
「こんなに早いとは思ってなかったよ」
男は笑いながら台車を引いてきた。グロリアも荷物を下ろそうとすると、ルナが側車から身を乗り出した。
「ルナも撃った」
男の手が止まった。
「この子が?」
「私も支えた。二人で獲ったようなものだ」
「撃った」
「それは否定してない」
ルナのヘルメットを外して抱き上げると、男の目が包帯を巻いた右脚へ向いた。
「怪我してるのか」
「治してる」
「そうか」
男はそれ以上聞かず、店先の椅子を引いてくれた。ルナを座らせ、二人で包みを台車へ移す。そのとき、男の左脚の動きがわずかに硬いことに、グロリアは気づいた。
「足、痛いの?」
ルナが聞いた。
「ん?」
「歩くとき」
「ああ、これか」
男はズボンの裾を持ち上げた。膝から下には、金属と樹脂で組まれた義足が靴へ繋がっていた。
「半分、作り物なんだ」
「なくなったの?」
「昔な」
「痛い?」
「歩きすぎると少しな」
ルナは自分の右脚を見た。
「ルナも痛い」
「そうか。じゃあ仲間だな」
「ルナは治る」
男は一瞬黙り、それから笑った。
「そりゃ俺より上等だ」
「ダリオ、これどこ?」
店の奥から少年が出てきた。八歳くらいだろうか。短い栗色の髪は、前髪の一部だけが跳ねている。抱えた紙包みの向こうから、グロリアたちを見た。
「冷蔵庫の右だ。あと親父を呼び捨てにするな」
「父さんって呼んでも返事しないじゃん」
「仕事中は忙しいんだよ」
「ダリオなら返事したし」
「屁理屈覚えやがって」
少年は包みを抱え直し、ルナを見た。
「誰?」
「客だ」
「そっち」
「そっちも客だ」
ルナも少年を見ている。ダリオと呼ばれた男は、諦めたように息を吐いた。
「息子のニコだ。八歳。仕事より口を動かしてる」
「ちゃんと仕事してるよ」
「なら、まずそれを運べ」
ニコは思い出したように、店の奥へ戻っていった。ルナがその背中を目で追った。
グロリアはルナを抱いて店内へ入り、隅の椅子へ座らせた。肉と冷気の匂いがする。ダリオは運び込んだ包みを開き、肉の状態を確かめた。
「一発で仕留めたのか?」
「ああ」
「この子が?」
奥から戻ってきたニコが聞きつけた。
「ルナが撃った」
本人が答える。
「ほんとに?」
「グロリアも持ってた」
「グロリア?」
ルナがグロリアを指した。
ダリオは肉を見たままだった。
「へえ。嬢ちゃん、グロリアっていうのか」
「ああ」
「俺はダリオ。もう分かってるだろうが」
「そうだな」
それだけで会話は終わった。
肉を量り終えると、ダリオは前回より多い金額を提示した。
「肉の状態がいい。この量なら助かるよ」
「また獲れたら持ってくる」
「頼む。ただ、気をつけろ。山で死なれたら仕入れ先が減るからな」
「死ぬつもりはない」
「そういう意味じゃないんだが」
ダリオが苦笑した。
金を受け取って振り返ると、ニコがルナの椅子の隣にいた。冷蔵ケースの中を指している。
「これは鹿」
「知ってる」
「これは兎」
「知ってる」
「じゃあこれは?」
ルナが覗き込んだ。
「肉」
「それは全部そうだろ」
「肉は肉」
「どの肉かって聞いてるんだよ」
「知らない」
「猪」
「いのしし」
「見たことない?」
「ない」
「じゃあ鹿は?」
「撃った」
「それはもう聞いた」
いつの間にか会話が続いている。
グロリアは少し離れた場所から二人を見た。ルナが同じくらいの年齢の子供と話しているところを見るのは初めてだった。ネルヴァスクにも友人はいたのかもしれない。だが、本人は覚えていない。
「妹か?」
隣でダリオが言った。
「違う」
「じゃあ親戚?」
「違う」
以前なら、そこで終わっていた。
「家族だ」
口にすると、まだ馴染まない。ダリオがこちらを見た。
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
向こうでも、同じような話になっていた。
「グロリアって姉ちゃん?」
「違う」
「お母さん?」
「違う」
「じゃあ何?」
「グロリア」
「名前じゃなくて」
「家族」
ニコが困った顔をした。
ルナはグロリアを見た。
「グロリア、ルナの何?」
「この前も同じ話をしただろう」
「グロリア?」
「そうだ」
ニコがますます分からない顔になる。
「変なの」
「変じゃない」
ルナが少しむっとした。
「二人のお家に住んでる」
「二人だけ?」
「うん!」
「じゃあ家族か」
「うん!」
あっさり納得した。その理屈がどこで繋がったのか、グロリアには分からなかった。
「帰るぞ、ルナ」
「まだ」
返事が早かった。
「脚を休ませる時間だ」
「座ってる」
「帰る時間だ」
「まだ」
ルナはニコの隣から動こうとしなかった。いつもなら、こちらが立ち上がるだけで腕を伸ばしてくるのに。
「急いでないなら、少しくらいいいだろ」
ダリオが言った。
「こいつも最近、遊ぶ相手が少なくてな。店番ばっかりさせてる」
「仕事してる」
「だったら、その札が逆さまなのを直してこい」
ニコが振り返り、慌てて冷蔵ケースへ向かった。ルナも椅子から降りかけたが、グロリアと目が合うと座り直した。
「そこにいろ」
「分かってる」
グロリアは入口近くの椅子に腰を下ろした。
することがなくなった。
食料を数える必要も、歩かせる距離を決める必要もない。入口と通りへ時折目を向けながら、ただ待っていた。
ニコが紙と筆記具を持ってきた。猪を描いているらしい。ルナは覗き込み、何か言って首を横に振った。ニコが描き直すと、今度は自分も描きたがった。
グロリアを呼ぶ声はなかった。
ダリオは奥で肉を切っていた。包丁が台へ当たる音が、一定の間隔で響いている。
「グロリア」
しばらくして、ルナが呼んだ。
「なんだ」
「帰る」
「もういいのか」
「うん。ニコ、明日もいるって」
ニコが横から口を挟んだ。
「俺の店だからいるよ」
「お前の店じゃない」
奥からダリオの声が飛んだ。
「そのうち俺の店になるって、ダリオ言ったじゃん」
「まず肉の名前を全部覚えろ」
「覚えてるよ」
「鹿と猪の札を逆にしたのは誰だ」
ニコが黙り、ルナが小さく笑った。
グロリアは立ち上がった。
「行くぞ」
「うん」
ルナが手を伸ばしてきた。握って立たせ、二輪を停めた場所までゆっくり歩く。右脚を運ぶたび、こちらの手へ少し体重がかかった。
数歩でグロリアは立ち止まった。
「ここまでだ」
「まだ歩ける」
「今日は山にも行っただろう」
「でも」
「明日も歩くんだぞ」
ルナは少し考えてから、両腕を伸ばした。抱き上げると、肩越しに店を振り返る。
「ニコ、明日もいるって」
「聞いていた」
「明日もここ来る?」
「脚の具合を見てからだ」
「痛くなかったら?」
「……そのとき考える」
「明日も来る」
「まだ決めてない」
二輪のそばまで来ても、ルナは店を見ていた。
「ニコと友達になったのか?」
今度はグロリアが聞いた。
ルナはしばらく答えなかった。
「友達って何?」
グロリアも、すぐには答えられなかった。
軍にいた頃、食事を共にした者も、訓練で組んだ者もいた。だが、それを友人と呼ぶのか、考えたことはなかった。
「……また会いたいと思う相手じゃないか」
「じゃあ友達」
「そうか」
「グロリアも?」
「私は家族なんだろう」
「うん」
即答だった。
側車へ座らせ、脚を支えて帯を留めた。ヘルメットを被せるあいだも、ルナは店の方を見ている。入口から顔を出したニコが手を振ると、小さな手が上がった。
グロリアは顎紐を確かめてから、二輪に跨った。
ルナに明日また会いたい相手が、この街にできた。
エンジンを始動すると、ルナはようやく前を向いた。
「帰る?」
「ああ」
「お家?」
「そうだ」
二輪をゆっくりと通りへ出す。ルナはもう一度だけ振り返り、それからグロリアの隣で、二人の家へ続く道を見ていた。




