第28話《撃って当てるより》
翌朝、グロリアが目を覚ますと、すぐ隣にルナの顔があった。毛布の中で丸くなり、片手だけがグロリアの服を掴んでいる。
――家族だから。
昨夜の言葉を思い出し、天井を見た。家族になったからといって、朝になれば何かが変わっているわけではない。腹は減るし、ルナの脚はまだ治っていない。金も食料も、使えば減る。
ただ、隣にいる理由だけは変わったのかもしれなかった。
指を一本ずつ外すと、ルナが目を開けた。
「グロリア」
「起きたか」
「いる」
「昨日、明日もいると言っただろう」
「いた」
「だからいる」
ルナは安心したように、もう一度目を閉じた。
「起きろ」
「まだ寝る」
「朝だ」
「家族だから」
「それは寝ていい理由にならない」
毛布をめくると、ルナは不満そうに身体を丸めた。
朝食を済ませ、集合住宅の外へ連れ出した。建物の壁際で下ろし、身体を支える。
「痛かったら言え。力が入らなくなってもだ」
「分かってる」
ルナは慎重に一歩を踏み出した。右脚を庇うたび身体が傾くが、昨日より足取りは安定している。
十歩を越えても止まらなかった。
「昨日より歩いてる」
「ああ」
「まだ歩ける」
「そうだな」
二十歩ほど進んだところで、右脚を運ぶ動きが鈍くなった。
「そこまでだ」
「まだ歩ける」
「脚が疲れてる」
「痛くない」
「今日はここまでだ」
抱き上げると、ルナは建物の入口を振り返った。
「明日はもっと?」
「脚が今日より良ければな」
「じゃあ治す」
「そうしてくれ」
その日は部屋で過ごした。食料を整理し、床を掃き、寝台の位置を少し動かす。ルナにも座ったまま衣類を畳ませた。袖のはみ出した上着を渡され、グロリアはそのまま重ねた。
何も起きないまま、一日が過ぎた。
翌朝、グロリアは狩りの支度を始めた。手元の金は、いつまでも残っているわけではない。肉屋の男は、また獲れたら持ってこいと言っていた。
「ルナも行く」
「山道は、昨日の道とは違うぞ」
「歩く」
「疲れたらどうする」
「グロリアが持つ」
「最初から私を当てにするな」
ルナは少し考えた。
「ちょっと歩いて、それからグロリア」
「何も変わってない」
ヘルメットとゴーグルを着けさせ、側車へ乗せた。街を出て、銃を隠した場所へ寄る。防水布の中を確かめ、長銃と短銃、弾薬を回収した。
「今日、ルナも撃つ」
「鹿をか」
「うん」
「まず見つけないとな」
二輪を森の入口へ停めた。ルナのヘルメットを外し、平らな場所だけ手を引いて歩かせる。木の根を越えようとして足元がふらついたところで、グロリアは背負った。
「まだ歩ける」
「ここからは私が運ぶ」
「ルナ、何する?」
「獲物を探せ。目は使えるだろう」
背中でルナが辺りを見回し始めた。
しばらく進み、土の斜面を前にした開けた場所へ出た。グロリアはルナを倒木へ座らせ、長銃を下ろした。
「前に教えたことは覚えているか」
「撃たないものに向けない」
「ほかには」
「撃つって決めるまで、ここ触らない」
ルナが引き金の近くを指した。
「そうだ」
弾倉を外し、薬室が空であることを確かめてから持たせた。両手で受け取ったルナの腕が下がる。
「重い」
「一人では支えきれないな」
「グロリアは?」
「慣れてる」
横から支えてやると、ルナは長銃を見下ろした。
「グロリアも、教えてもらった?」
「ああ」
「上手だった?」
「射撃はな」
「褒められた?」
「当てればな」
「ルナも当てたら褒めて」
グロリアは小さな手を見た。
「当てることだけじゃない。やめることも覚えろ」
「撃つの?」
「ああ。ちゃんと狙えないなら撃たない。逃げたからといって、慌てて撃つのも駄目だ」
「……この前みたいに?」
「そうだ」
まずは弾を入れず、構える練習をさせた。それから斜面の手前に目印を置き、数発だけ撃たせた。銃の重さも反動も、グロリアが一緒に受け止めた。
三発目で、目印の脇の土が跳ねた。
「当たった?」
「外れた。だが、今は焦らず撃てた」
「近かった」
「そうだな」
「もう一回」
「弾も金だ」
「鹿獲ったら買える」
グロリアは長銃を受け取った。
「そのために撃ちたいのか?」
「鹿、売る」
「売ってどうする」
「ごはん買う。お薬も。お洋服も」
ルナは指を折って数えた。
「ルナも獲ったら、グロリアだけじゃない」
「何がだ」
「お仕事」
食べさせてもらうだけではなく、自分も何かをしたいのだろう。鹿肉を売り、その金で服や食事を買ったことを、この子なりに覚えている。
「手伝いたいのか」
「うん」
「なぜだ」
「家族だから」
グロリアは言葉に詰まった。
自分も、銃が上手ければ褒められた。命令に従えば必要とされた。今、同じ銃をルナに持たせ、目の前でその上達を見ている。
だが、この子と家族になった理由は、そんなものではなかった。
「ルナ」
「なに?」
何と言えば伝わるのか分からず、グロリアは長銃を背負い直した。
「……行くぞ」
練習した場所を離れ、沢沿いに森を進んだ。
日が高くなり始めた頃、背中から小さな声がした。
「グロリア」
「なんだ」
「あそこ」
指の先を見る。木々の向こう、低い草の間に鹿がいた。
グロリアは足を止めた。まだこちらには気づいていない。近くの倒木まで身を低くして進み、ルナを下ろした。
「ルナ、撃つ」
声は小さかった。
「撃たなくてもいいんだぞ」
「撃つ」
長銃を二人で支えた。照準の先で、鹿が草を食んでいる。ルナは口を閉じ、じっと覗き込んでいた。
鹿が顔を上げた。
小さな肩が強張る。
やがて鹿は一歩動き、木の陰へ身体を隠した。ルナの指が引き金から離れた。
グロリアは何も言わなかった。
逃げられるかもしれない。それでもルナは、銃を動かして追おうとはしなかった。
「……待つ」
囁く声がした。
しばらくして、枝の隙間で影が動いた。鹿が木の向こうから出てきて、再び草へ頭を下げる。
ルナはグロリアを見なかった。
銃声が一発、森に響いた。
鹿がよろめき、草の上へ崩れた。
グロリアは長銃を受け取り、ルナの指が離れていることを確かめた。小さな手は、まだ銃を支えていた形のままだった。
「……当たった?」
「ああ」
倒木で待たせ、鹿へ近づいた。その状態を確かめてから、ルナを迎えに戻った。
「死んだ?」
「ああ」
ルナは鹿のいる方を見ていた。
「見に行くか」
「……うん」
抱き上げて連れていくと、ルナは腕の中から動かなくなった鹿を見下ろした。先ほどまで草を食べていた口元に、まだ細い葉が残っている。
「ルナが撃った」
「そうだな」
「グロリアも持ってた」
「ああ。二人で獲った」
ルナはしばらく黙っていた。
「売る?」
「持って帰れるようにしてからな」
「ごはん買える?」
「ああ」
そこでようやく、ルナがこちらを見た。
「褒める?」
グロリアは頷いた。
「ちゃんと待てたな」
「見えなかったから」
「そこで撃たなかったのも、自分で決めたんだろう」
「うん」
口元が少し緩んだ。その顔を見てから、グロリアは言った。
「だが、獲れなくても家族だぞ」
ルナが瞬きをした。
「明日、何もできなくてもだ」
「……ごはんは?」
「私がどうにかする」
「グロリアも獲れなかったら?」
グロリアは少し考えた。
「別の仕事を探す」
「ルナも?」
「できることがあればな。だが、そのために家族になったわけじゃない」
ルナは考え込むように黙り、それからグロリアの肩へ手を置いた。
「でも、手伝う」
「……そうか」
今度は、それを止めようとは思わなかった。
鹿を運ぶため、いったん二輪へ戻ることにした。ルナを背負うと、首へ細い腕が回った。
「今日、ごはんあるね」
「ああ」
背中のルナは、もう鹿を見ていなかった。帰ったら何を買うのか、耳元で小さく数えている。
グロリアは歩きながら、その声を聞いていた。何も獲れなくても連れて帰っただろう。今日、当てたから明日も当てろと命じるつもりもなかった。
背中にいるのは、育てなければならない兵士ではない。
家で一緒に食事をする、ルナだった。




