第19話《同じ軍服》
「……伏せろ」
グロリアが言った直後、街の南から乾いた破裂音が響いた。銃声だった。続けて二発、三発。少し遅れて怒鳴り声が上がり、廊下を慌ただしい足音が走る。
寝台の上でルナが身を起こした。
「……なに?」
「頭を下げていろ」
グロリアは窓から離れ、扉へ向かった。開けようとしたところで、外から鍵が回る。
入ってきたのはミレナだった。抱えているものを見て、グロリアの足が止まる。自分の長銃だった。肩には装備ベルトを掛け、短銃もホルスターに収まっている。
「これ、あなたのでしょう」
「どこから持ってきた」
「預けてあった部屋よ。見張りの人たちは南へ行ったわ」
グロリアは受け取らなかった。
「なぜ返す」
「逃げなさい。この子を連れて」
外で再び銃声が鳴った。ミレナは寝台のルナへ目を向けた。
「ここにいたら巻き込まれる」
「ルナは、しばらく動かすなと言われている」
「ここに残しておけると思う?」
グロリアは窓へ目を向けた。銃声は南だけではなかった。遠く東側からも聞こえ始めている。侵入地点が一つではない。
「もう囲まれている可能性がある」
ミレナの顔が強張った。
「……ヴァルセナなの?」
「ああ」
「あなたを追って?」
「分からない」
そう答えるしかなかった。自分がここへ来たからなのか。それとも、この街そのものが目的なのか。今のグロリアには判断できない。
「なら、なおさら持っていきなさい」
ミレナが銃を差し出した。
「私はヴァルセナ兵だ」
「だった、でしょ」
「つい先日まで、イルナ人を殺していた」
「知ってるわよ」
「ならなぜ私に武器を返す」
ミレナは答えなかった。遠くで爆発音が響き、窓が震える。ルナが毛布を握った。
「……分からないわよ」
ミレナはグロリアを見た。
「でも、ここで死なせたくないの。それじゃ駄目?」
答えられなかった。
グロリアは長銃を受け取った。使い慣れた重さが掌へ戻ってくる。弾倉を確認し、装備ベルトを腰へ巻く。身体が手順を覚えていた。
「ルナを頼む」
「あなたは?」
「逃げ道を確かめる」
扉を開けると、背後から声がした。
「……グロリア」
振り返る。
「行くの?」
「すぐ戻る」
「ほんと?」
「ああ」
嘘になるかもしれないとは、言わなかった。
集会所を出ると、通りを人々が走っていた。子供を抱えた女、荷物を持つ老人、銃を手に南へ向かう男たち。誰かが「ヴァルセナだ」と叫んでいる。
グロリアは壁際へ身を寄せた。南から連続した射撃。その直後、東からも銃声が響く。
「南を守れ! 動ける奴は南へ!」
「行くな!」
グロリアの声に、男たちが振り返った。
「赤腕……」
「南だけを見るな。東からも入っている」
「黙れ! お前らが来たんだろうが!」
「だから分かる」
言い返した男が口を閉じた。
「全員で南へ行けば、東が空く。建物の陰へ入れ。通りに固まるな」
「信用できるか!」
別の男が怒鳴った。その瞬間、東側の路地から銃声が走る。先頭にいた男が肩を押さえ、路上へ倒れた。
グロリアは反射的に長銃を構えた。照準の向こうに、黒緑色の軍服が見えた。
ヴァルセナ兵。
見慣れた装備だった。胸部防護板。肩の識別章。銃の構え方。前進するときの足運び。つい先日まで、自分もそこにいた。
兵士が倒れた男へ銃口を向ける。グロリアの指が引き金に触れた。
撃てば、命令違反や逃亡だけでは済まない。ヴァルセナ兵を撃ったという事実が残る。
兵士の銃口が止まった。
グロリアは引き金を引いた。
一発。兵士が胸を押さえ、壁に沿って崩れ落ちる。
「……お前」
隣の男がグロリアを見ていた。
「見るな。次が来る」
二人目が路地から現れた。グロリアは撃った。今度は、引き金に触れる指が止まることもなかった。
「そこの角を見ていろ。私は向こうを確認する」
「なんでお前が命令する!」
「ここを抜かれたら、集会所まで来るぞ」
男が集会所へ目を向けた。その横を抜け、グロリアは壁沿いに走った。
街のあちこちで銃声が重なり始める。住民はそれぞれに撃ち、走り、角を曲がった先で味方とぶつかっていた。ヴァルセナ兵は違う。二人が撃つ間に一人が進み、止まれば別の兵士が銃口を向ける。
グロリアはその動きを知っていた。知っているから、次に姿を現す場所も分かった。
路地を横切ろうとした兵士を一人。民家へ踏み込もうとした兵士を一人。撃つたびに、見慣れた軍服が倒れた。
次に路地へ姿を見せた兵士の左腕に、赤い布が巻かれていた。
赤腕。
自分と同じだった。
顔に見覚えはない。それでも、その腕章が何を意味するかは知っている。イルナに生まれ、ヴァルセナへ連れていかれ、そこで育った兵士。
兵士が銃を構えた。
グロリアは撃った。銃声とともに、兵士が倒れる。指は止まらなかった。
同じ場所に生まれたことも、同じ腕章を巻いていることも、今どちらへ銃を向けているかとは別のことだった。
森で自分を撃とうとしたイルナの男にも、この赤い布は見えていた。
東へ抜ける通りの先には、すでにヴァルセナ兵がいた。グロリアは身を引き、別の道へ視線を走らせる。そのとき南から低い爆発音が響き、屋根の向こうへ黒煙が上がった。
「押されてる! 南が持たない!」
最初から持つとは思っていなかった。この街にいる武装者の数も、装備も見た。相手が中隊規模なら、正面から勝てる戦力ではない。
自分が数人撃ったところで、街を守り切れるわけではなかった。それでも、ここを通らせるわけにはいかなかった。
――ルナがいる。
グロリアは集会所を見た。逃げ道を探している間にも、敵は近づいている。これ以上、あの子から離れていてはいけない。
来た道を戻ろうとしたとき、名前を呼ばれた。
「グロリア!」
ミレナだった。
「なぜ出てきた!」
「裏の通りにも兵が来てる! あの子は医師に預けたわ。早く戻って!」
ミレナがこちらへ走ってくる。その向こうで、ヴァルセナ兵が路地から姿を現した。
グロリアは銃を上げた。
「伏せろ!」
ミレナが身を屈める。グロリアが撃つと、兵士は路地の入口へ倒れた。
「戻れ! 私も行く!」
ミレナが頷き、立ち上がった。
そのとき、胸元に血が散った。
一瞬遅れて、遠くから銃声が届く。
「……え」
ミレナの身体が傾いた。
「ミレナ!」
グロリアは駆け寄り、崩れる身体を受け止めた。そのまま引きずるように壁の陰へ入る。長銃を肩へ回し、ミレナを地面へ横たえると、血の広がる胸元へ手を押し当てた。
「おい。聞こえるか」
返事がない。ミレナの目が、グロリアの顔を探すように動いた。
「医師のところへ戻る。しっかりしろ」
「……エルン?」
グロリアの手が止まった。
ミレナは焦点の合わない目で、こちらを見ていた。
「……エルン。……生きていた」
「グロリアだ。分かるか」
身体を抱き起こそうとした途端、ミレナが咳き込んだ。唇から血がこぼれ、胸元を押さえた手にも温かいものが伝わってくる。
グロリアは、その傷を見ていた。浅く途切れる呼吸も、指の間から流れていく血も。戦場で何度も見たはずだった。
それでも、手を離せなかった。
「行くぞ。ルナのところへ戻る」
ミレナの手が上がった。震える指が、グロリアの頬に触れる。
「行きなさい……エルン」
「私はエルンじゃない」
ミレナは答えなかった。グロリアの顔を見つめ、かすかに唇を動かす。
「……おかえり、エルン」
頬に触れていた手が落ちた。
「ミレナ」
返事はなかった。胸元を押さえたまま、グロリアはもう一度その名を呼んだ。
銃声が聞こえる。誰かが叫んでいる。遠くで何かが爆発した。それでも、腕の中のミレナだけが、もう何の音にも反応しなかった。
つい先ほどまで、食べなさいと言っていた。自分が匙を持つまで見ていた。その手が今は、土の上に落ちている。
グロリアはゆっくり顔を上げた。
壁の陰から、銃声の聞こえた方角へ目を向ける。通りの先にある建物。その窓と屋根を順に見た。
遠くの高所で、人影が動いた。
長銃を持った男が一人。その姿が、屋根の向こうへ消えた。




