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紅月下のGloria   作者: ユノ・サカリス
第三章《帰る場所の外側》

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第16話《他の生き方》

 同じ年だった。グロリアがヴァルセナへ連れていかれた年と。


「生きているかは分からない」


 女は赤い腕章を見つめたまま言った。


「連れていかれた子供は、どうなる」


「適性を調べられる」


「……兵士にされるのか」


「全員ではない」


 女の目が、ようやく腕章からグロリアの顔へ移った。


「お前は?」


「なった」


「自分で?」


 グロリアは少し考えた。与えられた食事を食べ、教えられた言葉を覚え、命じられたことをこなした。銃を渡されたとき、それを拒むという選択肢があるとは考えなかった。


「ほかの生き方があるとは、考えなかった」


 女は黙った。その視線が、軍服の胸元からグロリアの顔へ戻る。


「エルンという子を知らないか」


 グロリアは記憶を辿った。自分と同じ施設にいた子供たち。訓練場で顔を合わせた者たち。その中に、思い当たる名前はなかった。


「知らない」


「右の耳の下に、小さな痣がある」


「……覚えがない。私は、連れてこられた子供を全員知っているわけじゃない」


「そうか」


 女は頷いた。もう一度何か言おうとしたが、唇を閉じた。


「もういい」


 背を向けた女を、グロリアは目で追った。息子が生きているとも、死んでいるとも答えられない。十二年を待った相手に渡せるものは、何もなかった。


「連れていくぞ」


 銃を持った男が背中を押した。


「歩け」


 グロリアは従った。


 街へ入ると、道端には野菜を並べた台があり、洗濯物が風に揺れていた。家の前で遊んでいた子供を、母親らしき女が慌てて屋内へ入れる。


「赤腕だ」


 誰かが呟いた。それだけで、人が増えた。


 罵声を浴びせる者はいなかった。ただ、道の両側から向けられる目の方が、グロリアには分かりにくかった。憎んでいるのか。恐れているのか。あるいは、自分と同じように連れていかれた誰かを探しているのか。


 そのどれであっても、グロリアには答えようがなかった。


 

 医務所の診察台で、ルナは脚を伸ばして座っていた。


「痛かったら言って」


「……いたい」


「まだ何もしてないよ」


「……これから、いたい?」


 医師は困ったように笑った。


「少しね。でも、できるだけ痛くないようにする」


 ルナは診察台の上で黙り込んだ。傍らには、ここまで運んできた女がいる。


 医師が包帯を外す。腫れた脚が露わになると、その顔から笑みが消えた。


「これはいつ怪我したの?」


「……分かんない」


 どうやって負傷したのか。何歳なのか。家族はどこにいるのか。尋ねても、ルナは答えられなかった。


「名前以外で、昔のことは何か覚えてる?」


 ルナは考えてから、首を横に振った。


 医師は髪を分け、頭部も確認した。目立った外傷はない。だが、それだけで記憶が曖昧な理由を決められるわけではなかった。発熱も衰弱もある。まずは傷を処置し、身体を休ませる必要がある。


「ここまで誰と来たの?」


「……グロリア」


「さっき一緒にいた銀髪の人?」


「……うん」


「その人なら、怪我したときのことを知ってるかな」


「……知らない」


「そうなの?」


「……ルナ、見つけた」


「見つけた?」


「……お水くれた」


 医師の手が止まった。


「それから?」


「……ごはんくれた」


「そう」


「……背負ってくれた」


 ルナは入口へ目を向けた。


「……グロリアは?」


「今、話を聞かれてると思う」


「……呼んで」


 

 グロリアは街の集会所へ連れていかれた。


「名前」


「グロリア・レイス」


「所属」


「ヴァルセナ連邦軍、第七歩兵大隊、第二中隊第三小隊」


 建物の一室。机の向こうに三人の男がいる。グロリアは後ろ手を拘束されたまま、椅子に座らされていた。


 階級、所属部隊、南の街を攻撃した兵力と装備。質問はしばらく軍に関するものが続いた。答えられることには答え、知らないことには知らないと答えた。


「なぜ軍を離れた」


「ルナを殺せと命じられたからだ」


「それだけで?」


「ああ」


「イルナ人だから助けたのか」


「違う」


「ではなぜだ」


 同じ問いだった。


「生きたいと言ったからだ」


 男たちは互いの顔を見た。


「分からんな」


「私にも分からない」


「自分でやったことだろう」


「自分で選んだことと、その理由をすべて説明できることは別だ」


 正面の男が眉を寄せた。


「では聞き方を変える。ヴァルセナ軍はお前を追っているか」


「おそらく」


「なぜそう思う」


「命令を無視して離脱した。監視役も死んでいる」


「お前が殺したのか」


「違う」


「誰が殺した」


 グロリアは黙った。


「答えろ」


「それは話さない」


「ここでは俺たちが決める」


「なら、話さない人間をどうするか決めればいい」


 男が机を叩いた。


「ふざけるな! お前を追っているなら、この街にも来るんじゃないのか!」


 その可能性は考えていた。だからこそ、ルナを預けたら離れるつもりだった。自分が街から離れれば、追手もこちらを追うかもしれない。だが、それが確実だとは言えない。


「可能性はある」


 別の男が立ち上がった。


「ヴァルセナ軍をここまで連れてきたのか」


「そのつもりはない」


「つもりの話をしてるんじゃない!」


「分かっている」


「だったら今すぐ出ていけ!」


「構わない」


 即答すると、男が言葉を失った。


「ルナの治療が終わるまで待て。それから私は出る」


「追手が来るかもしれないんだぞ。今すぐだ!」


「それはできない」


「なぜだ!」


「ルナを置いていくと、まだ決めていない!」


 口にしてから、グロリアは自分の言葉に引っかかった。


 最初から、そのつもりだったはずだ。この街へルナを届ける。医者に診せる。安全な場所へ預け、自分は離れる。それなのに、いつから「置いていくと決めていない」に変わったのだろう。


 扉が叩かれた。


「入れ」


 先ほどルナを医務所へ運んだ女が顔を出した。


「あの子なんだけど」


「容体は」


 グロリアが先に聞いた。女は一瞬こちらを見てから答えた。


「傷の処置は済んだって。すぐに命に関わる状態ではないけど、熱もあるし、しばらく動かさずに診る必要があるそうよ」


 胸の奥にあったものが、わずかに緩んだ。


「そうか」


「それと、あの子がずっと、あんたを呼んでる。先生も、ここまでの様子を聞きたいって」


 グロリアは正面の男を見た。男はしばらく黙り、隣の者へ顎を向けた。


「見張りをつけろ。話はまだ終わっていない」


 立ち上がるよう促され、グロリアは従った。


 医務所へ入ると、ルナは寝台に横になっていた。脚には新しい包帯が巻かれている。


 グロリアを見つけると、灰色の瞳が動いた。


「……遅い」


「捕まっていた」


「……知ってる」


「なら待て」


「……待った」


「そうか」


 見張りの男が戸口に立った。医師が椅子を寄せてくれたが、後ろ手のままでは座りにくい。グロリアが身体を横へ向けると、ルナがその腕を見た。


「……グロリアも、いたい?」


「少しな」


 布団の上から、小さな手が伸びた。指先が軍服の袖へ触れる。グロリアは手を返せず、そのまま動かなかった。


「……お医者さん、いたかった」


「そうか」


「……でも、終わった」


「ああ」


 ルナの指が袖を握った。いつもより弱い力だったが、離そうとはしなかった。


 グロリアは寝台のそばへ椅子を寄せ、腰を下ろした。医師に尋ねられるまま、見つけたときの状態と、診療所で施した処置、その後の熱について話す。その間も、ルナの手は袖に触れていた。


 この子を医者に届ける。それが目的だった。今、ルナは寝台にいて、傷には新しい包帯が巻かれている。自分より治療に詳しい人間が、その傍らにいる。


 それでも、立ち上がる気にはなれなかった。


 窓の外では、人々が道を歩いていた。煙突から煙が上がり、どこかで子供の声がする。戦争はまだ、この街へ届いていない。そう見えた。



 その頃、街を見下ろす稜線では、レイヴの端末に新たな通信が入っていた。


《第三機動中隊、指定地点へ到着》


 レイヴは街へ目を向ける。


「了解」


 眼下では、街の煙が静かに空へ昇っていた。

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