第16話《他の生き方》
同じ年だった。グロリアがヴァルセナへ連れていかれた年と。
「生きているかは分からない」
女は赤い腕章を見つめたまま言った。
「連れていかれた子供は、どうなる」
「適性を調べられる」
「……兵士にされるのか」
「全員ではない」
女の目が、ようやく腕章からグロリアの顔へ移った。
「お前は?」
「なった」
「自分で?」
グロリアは少し考えた。与えられた食事を食べ、教えられた言葉を覚え、命じられたことをこなした。銃を渡されたとき、それを拒むという選択肢があるとは考えなかった。
「ほかの生き方があるとは、考えなかった」
女は黙った。その視線が、軍服の胸元からグロリアの顔へ戻る。
「エルンという子を知らないか」
グロリアは記憶を辿った。自分と同じ施設にいた子供たち。訓練場で顔を合わせた者たち。その中に、思い当たる名前はなかった。
「知らない」
「右の耳の下に、小さな痣がある」
「……覚えがない。私は、連れてこられた子供を全員知っているわけじゃない」
「そうか」
女は頷いた。もう一度何か言おうとしたが、唇を閉じた。
「もういい」
背を向けた女を、グロリアは目で追った。息子が生きているとも、死んでいるとも答えられない。十二年を待った相手に渡せるものは、何もなかった。
「連れていくぞ」
銃を持った男が背中を押した。
「歩け」
グロリアは従った。
街へ入ると、道端には野菜を並べた台があり、洗濯物が風に揺れていた。家の前で遊んでいた子供を、母親らしき女が慌てて屋内へ入れる。
「赤腕だ」
誰かが呟いた。それだけで、人が増えた。
罵声を浴びせる者はいなかった。ただ、道の両側から向けられる目の方が、グロリアには分かりにくかった。憎んでいるのか。恐れているのか。あるいは、自分と同じように連れていかれた誰かを探しているのか。
そのどれであっても、グロリアには答えようがなかった。
医務所の診察台で、ルナは脚を伸ばして座っていた。
「痛かったら言って」
「……いたい」
「まだ何もしてないよ」
「……これから、いたい?」
医師は困ったように笑った。
「少しね。でも、できるだけ痛くないようにする」
ルナは診察台の上で黙り込んだ。傍らには、ここまで運んできた女がいる。
医師が包帯を外す。腫れた脚が露わになると、その顔から笑みが消えた。
「これはいつ怪我したの?」
「……分かんない」
どうやって負傷したのか。何歳なのか。家族はどこにいるのか。尋ねても、ルナは答えられなかった。
「名前以外で、昔のことは何か覚えてる?」
ルナは考えてから、首を横に振った。
医師は髪を分け、頭部も確認した。目立った外傷はない。だが、それだけで記憶が曖昧な理由を決められるわけではなかった。発熱も衰弱もある。まずは傷を処置し、身体を休ませる必要がある。
「ここまで誰と来たの?」
「……グロリア」
「さっき一緒にいた銀髪の人?」
「……うん」
「その人なら、怪我したときのことを知ってるかな」
「……知らない」
「そうなの?」
「……ルナ、見つけた」
「見つけた?」
「……お水くれた」
医師の手が止まった。
「それから?」
「……ごはんくれた」
「そう」
「……背負ってくれた」
ルナは入口へ目を向けた。
「……グロリアは?」
「今、話を聞かれてると思う」
「……呼んで」
グロリアは街の集会所へ連れていかれた。
「名前」
「グロリア・レイス」
「所属」
「ヴァルセナ連邦軍、第七歩兵大隊、第二中隊第三小隊」
建物の一室。机の向こうに三人の男がいる。グロリアは後ろ手を拘束されたまま、椅子に座らされていた。
階級、所属部隊、南の街を攻撃した兵力と装備。質問はしばらく軍に関するものが続いた。答えられることには答え、知らないことには知らないと答えた。
「なぜ軍を離れた」
「ルナを殺せと命じられたからだ」
「それだけで?」
「ああ」
「イルナ人だから助けたのか」
「違う」
「ではなぜだ」
同じ問いだった。
「生きたいと言ったからだ」
男たちは互いの顔を見た。
「分からんな」
「私にも分からない」
「自分でやったことだろう」
「自分で選んだことと、その理由をすべて説明できることは別だ」
正面の男が眉を寄せた。
「では聞き方を変える。ヴァルセナ軍はお前を追っているか」
「おそらく」
「なぜそう思う」
「命令を無視して離脱した。監視役も死んでいる」
「お前が殺したのか」
「違う」
「誰が殺した」
グロリアは黙った。
「答えろ」
「それは話さない」
「ここでは俺たちが決める」
「なら、話さない人間をどうするか決めればいい」
男が机を叩いた。
「ふざけるな! お前を追っているなら、この街にも来るんじゃないのか!」
その可能性は考えていた。だからこそ、ルナを預けたら離れるつもりだった。自分が街から離れれば、追手もこちらを追うかもしれない。だが、それが確実だとは言えない。
「可能性はある」
別の男が立ち上がった。
「ヴァルセナ軍をここまで連れてきたのか」
「そのつもりはない」
「つもりの話をしてるんじゃない!」
「分かっている」
「だったら今すぐ出ていけ!」
「構わない」
即答すると、男が言葉を失った。
「ルナの治療が終わるまで待て。それから私は出る」
「追手が来るかもしれないんだぞ。今すぐだ!」
「それはできない」
「なぜだ!」
「ルナを置いていくと、まだ決めていない!」
口にしてから、グロリアは自分の言葉に引っかかった。
最初から、そのつもりだったはずだ。この街へルナを届ける。医者に診せる。安全な場所へ預け、自分は離れる。それなのに、いつから「置いていくと決めていない」に変わったのだろう。
扉が叩かれた。
「入れ」
先ほどルナを医務所へ運んだ女が顔を出した。
「あの子なんだけど」
「容体は」
グロリアが先に聞いた。女は一瞬こちらを見てから答えた。
「傷の処置は済んだって。すぐに命に関わる状態ではないけど、熱もあるし、しばらく動かさずに診る必要があるそうよ」
胸の奥にあったものが、わずかに緩んだ。
「そうか」
「それと、あの子がずっと、あんたを呼んでる。先生も、ここまでの様子を聞きたいって」
グロリアは正面の男を見た。男はしばらく黙り、隣の者へ顎を向けた。
「見張りをつけろ。話はまだ終わっていない」
立ち上がるよう促され、グロリアは従った。
医務所へ入ると、ルナは寝台に横になっていた。脚には新しい包帯が巻かれている。
グロリアを見つけると、灰色の瞳が動いた。
「……遅い」
「捕まっていた」
「……知ってる」
「なら待て」
「……待った」
「そうか」
見張りの男が戸口に立った。医師が椅子を寄せてくれたが、後ろ手のままでは座りにくい。グロリアが身体を横へ向けると、ルナがその腕を見た。
「……グロリアも、いたい?」
「少しな」
布団の上から、小さな手が伸びた。指先が軍服の袖へ触れる。グロリアは手を返せず、そのまま動かなかった。
「……お医者さん、いたかった」
「そうか」
「……でも、終わった」
「ああ」
ルナの指が袖を握った。いつもより弱い力だったが、離そうとはしなかった。
グロリアは寝台のそばへ椅子を寄せ、腰を下ろした。医師に尋ねられるまま、見つけたときの状態と、診療所で施した処置、その後の熱について話す。その間も、ルナの手は袖に触れていた。
この子を医者に届ける。それが目的だった。今、ルナは寝台にいて、傷には新しい包帯が巻かれている。自分より治療に詳しい人間が、その傍らにいる。
それでも、立ち上がる気にはなれなかった。
窓の外では、人々が道を歩いていた。煙突から煙が上がり、どこかで子供の声がする。戦争はまだ、この街へ届いていない。そう見えた。
その頃、街を見下ろす稜線では、レイヴの端末に新たな通信が入っていた。
《第三機動中隊、指定地点へ到着》
レイヴは街へ目を向ける。
「了解」
眼下では、街の煙が静かに空へ昇っていた。




