第15話《奪われた子供たち》
山を越えたのは、翌日の昼を少し過ぎた頃だった。
木々の間から差し込む光が増え、やがて視界が開けた。グロリアは斜面の途中で足を止める。
眼下に街があった。
――リゼノルト。
山あいの平地に家々が集まり、その間を細い道路が走っている。中心部には周囲より大きな建物がいくつかあり、煙突から白い煙が上がっていた。道路を歩く人の姿も見える。遠目には、戦争が続いていることさえ知らないような景色だった。
「ルナ」
「……なに?」
「街だ」
背中で身体が動いた。ルナが肩越しに顔を出し、山の下を見つめる。
「……あそこ?」
「ああ」
「……着いた?」
「まだだ。ここから下りる」
「……うん」
声に力がない。昨日より熱が上がっているように感じる。夜も何度か目を覚まし、そのたびに水を飲ませた。包帯を交換したとき、脚の傷に目立った変化はなかったが、これ以上山の中を歩き続けるべきではない。
「あそこなら医者がいる」
「……お医者さん?」
「たぶんな」
「……いたいことする?」
「するかもしれない」
「……やだ」
「死ぬよりいい」
背中から返事がなくなった。
「怖がらせるつもりで言ったんじゃない」
「……こわい」
「そうか」
「……グロリアもいる?」
グロリアは街を見た。
「医者に診せるまではいる」
「……そのあと?」
「分からない」
ルナの腕が、首へ少し強く回った。
最初から決めていたことだった。戦火の届いていないイルナの街まで、この子を連れていく。そこまで行けば自分の役目は終わる。そのはずだった。だが、今はそれを考えると妙な違和感が残る。
「まず治療だ」
「……うん」
グロリアは斜面を下り始めた。
第九機動追跡隊は、すでに街の北西に延びる稜線まで到達していた。
レイヴは木々の陰から双眼端末を覗いていた。拡大された街の映像に、道路や建物、人の動きが重ねて表示されている。
「東側に監視所らしき建物が一。南側の主要道には簡易障害物があります」
隣でシエナが端末へ情報を書き込んでいく。
「武装した人間は」
「確認できた範囲で十一人です」
「引き続き確認しろ。第三機動中隊は」
「到着予定まで一時間四十分です」
レイヴは倍率を下げ、街全体を見る。
人口千五百前後。大規模な防衛設備はない。イルナ軍の正規部隊が駐留している様子も確認できなかった。
だからといって、簡単に確保できるとは限らない。住民の中に武器を持つ者がどれだけいるか。建物の内部に何があるか。こちらの接近に気づけば、どの方向へ逃げるか。
街は地図上では一点に過ぎないが、その中には千を超える人間がいる。
「隊長。南西側の斜面に人影です」
「映せ」
端末に無人機からの映像が表示された。木々の間を、一人の人間が下っている。背中にもう一人いる。
「二人ですね」
レイヴは映像を拡大した。
白銀の髪。背中には、小さな身体。左腕に赤い布が見えた。
「……グロリア・レイス」
シエナが息を呑む。
「本当に来ましたね。子供もいます」
「負傷しているか確認できるか」
「この映像では、そこまでは」
「医療施設へ向かうか追え」
グロリアは自分たちに気づいていない。そのまま街へ向かっている。
「捕らえますか?」
レイヴはすぐには答えなかった。
六人で斜面を下りれば、街へ入る前に接触できる可能性はある。だが、こちらが姿を見せれば街にも存在を知られる。第三機動中隊が到着する前に、住民へ警戒する時間を与えることになる。
任務の優先順位は、すでに変わっていた。
「接触はしない」
「でも、対象が目の前にいます」
「今の任務は街の確保だ」
「グロリアは、その過程で捜索を継続」
「そういう命令だ」
シエナは映像の中のグロリアを見た。
「街に入られたら、見失うかもしれません」
「監視を続けろ。中隊が着き次第、出口を押さえる」
レイヴは街へ視線を移した。
「街ごと囲む」
街まで数百メートルというところで、グロリアは道路を塞ぐ三人の男に気づいた。そのうち二人が銃を持っている。
「ルナ。しっかり掴まっていろ」
「……うん」
距離が縮まる。一人がこちらへ銃を構えた。
「止まれ!」
グロリアは足を止めた。
「武器を捨てろ!」
男の視線は、背負った長銃へ向いている。
「この子が怪我をしている。医者に診せたい」
「聞こえなかったのか!」
「子供を降ろさなければ外せない」
「動くな!」
「なら、どうやって捨てればいい」
男が一瞬言葉に詰まった。隣にいたもう一人が、グロリアの左腕を見る。
「……赤腕だ」
空気が変わった。もう一人も銃を構える。
「ヴァルセナ兵……なぜここにいる!」
「説明はする。先にこの子を医者に」
「黙れ!」
街の方から、さらに数人が走ってくる。武器を持つ者もいた。
「その子を降ろせ」
「脚を怪我している。立てない」
「こっちで受け取る」
武器を持たない男が近づいてきた。ルナの腕が首へ強く回る。
「……グロリア」
「大丈夫だ」
「子供を渡せ」
男がルナの腕を掴み、引こうとした。グロリアは反射的にその手首を掴んだ。
「引っ張るな」
すぐに銃口が近づいた。
「手を離せ!」
グロリアは男の手首を放した。
「私が降ろす。脚に触るな」
ゆっくり膝をつくと、駆け寄ってきた女がルナの身体を支えた。
「大丈夫。こっちへおいで」
「……やだ」
首に回された腕はほどけたが、小さな手は軍服を離さなかった。女がルナを抱えたのを見届けた瞬間、グロリアの腕が背後から捻り上げられた。
「武器を奪え!」
長銃が外され、腰の短銃も抜き取られる。ルナが女の腕の中で身をよじった。
「……グロリアも」
「私はあとで行く」
「余計なことを話すな」
男がグロリアの腕をさらに捻った。
「私のことはいい。その子を先に医者に診せろ」
「グロリア!」
ルナの声が森の端に響いた。女が軍服を掴む指を外そうとすると、ルナは身体ごとグロリアへしがみつこうとした。
グロリアは上体を起こしかけたが、肩を押され、地面へ倒された。ルナの手が裾を引く。
「動くな!」
「その子に無理をさせるな。脚を怪我している」
女の動きが止まった。
「……本当に歩けないの?」
「ああ。熱もある」
女はルナの額へ触れ、表情を変えた。
「熱い……」
「だから最初から言っている」
「医務所へ連れていく」
「頼む」
ルナはまだグロリアの軍服を掴んでいた。
「ルナ」
「……やだ」
「ここまで来たのは何のためだ」
灰色の瞳が揺れた。
「お前の脚を治すためだ」
「……グロリアは?」
「私は大丈夫だ」
「……ほんと?」
「ああ」
嘘だった。この街の人間が自分をどう扱うのか、グロリアには分からない。それでも、今ここでルナが離れなければ治療が遅れる。
「行け」
ルナの指が、少しずつ軍服から離れた。女がその身体を抱き直す。
「……グロリア」
「あとで行く」
女はルナを抱え、街へ走り出した。ルナはその肩越しに、何度もグロリアを振り返った。
姿が遠ざかってから、グロリアは地面へ押さえつけられたまま息を吐いた。
「……これでいい」
「何がだ」
「こっちの話だ」
両腕を背中へ回され、拘束具が手首にはめられた。
「立て」
腕を掴まれ、引き起こされる。
集まった者たちの視線がグロリアへ向いていた。怒り。警戒。恐怖。そのどれとも違う目で、赤い腕章を見つめている者もいる。
「ヴァルセナの斥候じゃないのか」
「一人で?」
「赤腕だぞ。信用できるか」
「一昨日、南の街が落ちたって話だ」
「こいつらがやったんだろ」
声が重なる。その中から、一人の女が前へ出た。
五十歳ほどだろうか。武器は持っていない。グロリアの顔ではなく、左腕を見ていた。
「……いくつだった?」
「何がだ」
「ヴァルセナに連れていかれたとき」
周囲が静かになった。
「四歳」
女の唇がわずかに動いた。
「今は?」
「十六」
「……十二年」
「ああ」
女は赤い腕章を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
「私の息子も、四歳だった」
グロリアは女を見た。
「十二年前に連れていかれた」




