第13話《名前で呼ぶ》
墓の周辺を調べていた隊員が戻ってきた。
「足跡が重なっています。四人と別れた者がいたか、いたとしてどちらへ向かったかまでは確認できませんでした」
「分かった。隊列に戻れ」
レイヴは通信機を開いた。
「第九機動追跡隊、オルディス少佐。司令部へ」
《こちら司令部》
「グロリア・レイスは、北東未制圧地域へ向かっている可能性がある。負傷した子供を伴っていると推測している」
《確証は》
「ない。診療所に残された痕跡と、移動方向からの推測だ」
《では、追跡を継続しろ》
「北東の居住区へ先回りする許可を求める。位置情報を送る。対象が到達すれば、住民に紛れる可能性がある」
短い沈黙があった。
《待機》
通信が切り替わった。レイヴは歩きながら返答を待った。数分後、再び声が入った。
《オルディス少佐》
「聞いている」
《当該居住区は、第二次北進計画における確保予定地域に指定されている》
レイヴの足が止まった。
《第九機動追跡隊は先行して現地へ向かえ。第三機動中隊をそちらへ回す》
「追跡対象の確保が目的では」
《目的は変更された》
シエナがレイヴを見る。
《北東居住区を確保せよ。第九機動追跡隊は進入経路と防衛状況を確認し、第三機動中隊を誘導。グロリア・レイスの捜索は、その過程で継続する》
「了解」
通信が切れた。シエナは地図上の街を見つめていた。
「……追っていたはずなんですけどね。一人を」
レイヴは答えなかった。
「街まで取るんですか」
「いずれ取る予定だった。それが早まっただけだ」
端末を閉じ、レイヴは隊員たちへ目を向けた。
「行くぞ」
第九機動追跡隊は、北東の居住区へ向けて進み始めた。
――その頃。
その街へ続く山道を、グロリアも歩いていた。
老人たちと別れてから、グロリアは北東へ歩き続けていた。森は少しずつ傾斜を増し、木々の隙間から見える空も狭くなっていた。
背中のルナは静かだった。眠っているのかと思い、グロリアは歩きながら声を掛けた。
「ルナ」
「……なに?」
「起きていたのか」
「……うん」
返事を聞いて、足元へ目を戻す。背中越しに伝わる体温は、まだ高い。脚の傷も診療所で処置しただけで、十分な治療を受けたとは言えなかった。
老人の話では、街までは山を越えて二日。自分一人ならもっと早く進めるが、今はルナがいる。途中で休息も必要になる。
木の根を跨ぎながら、グロリアは老人の言葉を思い出していた。
『なら、お前も奪われた側だ』
四歳で両親を殺され、ヴァルセナへ連れ去られた。だが昨日は、そのヴァルセナの兵士としてイルナ人を殺した。奪われた側だったことも、奪う側になったことも、どちらも自分の過去だった。
ならば、自分はどこの人間なのだろう。
生まれた土地で決まるのなら、イルナ人になる。血で決まるとしても、おそらく同じだ。だが、イルナの言葉よりヴァルセナの言葉を長く使い、故郷で過ごした四年より、連れ去られた先で過ごした十二年の方が長い。
では、ヴァルセナ人なのか。
昨日までなら、少なくともヴァルセナの兵士だとは言えた。疑問を持ちながらも命令に従い、その国のために銃を撃っていた。
今は、その命令から逃げている。
戻れば、ガルナの死と自分の失踪について説明を求められる。そして、ルナの存在を隠し通すことはできない。イルナへ行けば、先ほどの男のように銃を向ける者もいるだろう。
どちらへ戻っても、自分を待っている場所はないように思えた。
グロリアは左腕へ目を落とした。赤い腕章が、歩くたびにわずかに揺れている。イルナに生まれ、ヴァルセナに育てられた印。そのどちらにも属しているようで、そのどちらにも属していない。
だが、居場所がなくなっただけで、自分が何者でもなくなるわけではない。ヴァルセナで過ごした十二年も、イルナで生まれた事実も消えてはいなかった。どちらか一つを選べば、もう片方がなくなるわけでもない。
「……面倒だな」
「……なにが?」
背中から声がした。
「独り言まで拾うな」
「……聞こえた」
「独り言だ」
「……ひとりじゃないよ」
グロリアの足が、一瞬だけ止まりかけた。
「そういう意味ではない」
「……?」
「もういい」
ルナは納得していないようだったが、それ以上は聞かなかった。
ひとりではない。確かにその通りだった。どちらの国にも戻れないと思いながら、自分はずっと、この子を背負っている。
グロリアは腿を支える手に力を込め、ルナの身体を持ち直した。
「ルナ」
「……なに?」
「ひとつ聞きたい」
「……うん」
「なぜ、今も私といたい」
返事はなかった。
「老人たちはイルナ人だ。お前と同じだ。あの人たちと行けば、少なくとも私を追う軍からは離れられた」
「……でも、あの人、グロリア撃った」
「それは一人だけだ。あの老人は止めようとしていた」
「……うん」
「それに私はヴァルセナの兵士だった。お前の街を襲った側の人間だ」
「……うん」
「お前を殺そうとしたガルナもヴァルセナ兵だ。昨日まで私は、あいつと同じ側にいた」
「……うん」
全部分かっているのかは怪しい。それでもルナは否定しなかった。
「それでも、私といたいのか」
しばらく答えはなかった。グロリアは急かさず歩いた。六歳の子供に、自分でも答えられないような問いをしている。そもそも理由などないのかもしれない。
「……グロリア、強いから」
やがて、背中から小さな声がした。
「強い?」
「……うん」
「それだけか」
「……分かんない」
グロリアは眉を寄せた。
「老人たちにも銃を持った男がいた」
「……でも、死んだ」
「私が殺したからな」
「……グロリアは死ななかった」
グロリアは黙った。
「……ルナも死ななかった」
木々の間を抜けながら、その言葉を考えた。自分といれば生き残れる。そういうことだろうか。
この子は水を欲しがり、食べ物を求め、自分を殺そうとしたガルナを撃った。今、自分の軍服を掴んでいるのも、同じ理由なのかもしれない。
「私といれば、また撃たれるかもしれない」
「……うん」
「ヴァルセナにも追われる」
「……うん」
「安全とは言えないぞ」
ルナは少し考えた。
「……でも、グロリアいる」
「私がいれば安全なのか?」
「……分かんない」
「さっきから、そればかりだな」
「……だって、分かんない」
グロリアは小さく息を吐いた。もっともだった。自分だって、イルナ人なのかヴァルセナ人なのか分からない。それを六歳の子供に、なぜ自分といたいのか説明しろという方が無理なのかもしれない。
「なら、分からないままでいい」
「……うん」
首に回された腕に、少しだけ力が入った。グロリアはルナを支え直し、坂道を上っていく。
ルナが自分を選んだ理由が、生き残るためだけなのか。それとも別の何かなのかは分からない。ただ、イルナだから選んだのでも、ヴァルセナだから選んだのでもないことだけは確かな気がした。
ルナが口にしたのは、自分の名前だった。
ならば今は、それでいい。どこの国の人間なのかという問いに答えがなくても、この背中にいる一人をどこへ連れていくのかは決まっている。
グロリアは山の向こうへ目を向けた。まだ見えない街へ向かって、足を進めた。




