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紅月下のGloria   作者: ユノ・サカリス
第二章《選択の代償》

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第11話《知ることと許すこと》

 誰も、すぐには動かなかった。


 倒れた男の胸から流れた血が、湿った土へ染み込んでいく。もう一人の男は傍らに膝をついたまま俯き、老人も何も言わなかった。


 グロリアは長銃を背負った。撃ったことを後悔しているのかと問われれば、分からない。あのまま撃たなければ、自分が死んでいた可能性はある。三発撃たれ、それでも撃ち返さなかった。四発目まで待つ理由などなかった。


 ただ、自分が死ねない理由ができたことだけは分かった。ルナを生かすと決めた。だから自分も生きなければならない。


 生きるために殺す。昨日までなら、それだけで話は終わったはずだった。


「……このまま一緒には行けんな」


 老人の声に、グロリアは顔を上げた。


「だろうな」


 驚きはなかった。老人は倒れた男を見てから、残された者たちへ視線を移した。誰も反対しなかった。グロリアを睨んでいる男も、ルナを背負った女も、その隣で怯えている子供も。


「先に撃ったのはこいつだ。お前は止めろと言った。それでも撃ち続けた。お前だけが悪いとは言わん」


「ああ」


「だが、こいつを殺したお前と、このまま何事もなかったように歩けるかは別の話だ」


「それも分かる」


 老人はしばらくグロリアを見つめていたが、やがて女へ顔を向けた。


「その子も返そう」


 グロリアはわずかに眉を動かした。


「ルナも?」


「そうだ」


「街まで連れていくと言っていたはずだ」


「言った。だが、事情が変わった」


 老人は女の背中にいるルナを見た。


「その子がお前から離れたがらん。無理に連れていけば、お前への怒りがその子へ向くかもしれん。今の私たちでは、安全に連れていくと約束できん」


 グロリアは倒れた男と、その隣にいるもう一人の男を見た。


 老人の判断は正しいと思った。自分が同行しなければ、少なくとも自分への発砲は起きない。だが、ルナだけを預けても、そこには自分に仲間を殺された男がいる。ルナが自分から離れたがらないことも、すでに知られていた。


「分かった」


 女がゆっくりとルナを降ろした。傷ついた脚に体重がかからないよう身体を支え、地面へ座らせる。ルナはすぐにグロリアへ両腕を伸ばした。


 グロリアはその身体を抱き上げた。


「……グロリア」


「ルナ。大丈夫か」


 首へ細い腕が回る。つい先ほどまで、もう背負う必要はないと思っていた重さだった。それが戻ってきた。


「すまんな」


 老人が言った。


「なぜ謝る」


「その子を街まで連れていくと言った」


「事情が変わった。それだけだ」


「お前は変な娘だな」


「よく言われる」


 老人の口元がわずかに動いたが、笑みにはならなかった。


「赤腕がどういうものかくらい、私たちも知っている」


 グロリアの目が老人へ向いた。


「イルナの子供を連れ去り、ヴァルセナで育てる。自分たちの言葉を教え、自分たちの国を教え、最後には銃を持たせる。そうしてイルナへ戻ってきた者を、私たちは赤腕と呼ぶ」


「……そうか」


「お前もそうなんだろう」


「ああ。四歳だった」


 老人の目がわずかに細くなった。


「家族は?」


「両親とも死んだ」


「ヴァルセナに?」


「そうだ」


 老人はそれ以上聞かなかった。同情されるのかとグロリアは思ったが、その目にあったのはもっと複雑なものだった。


「なら、お前も奪われた側だ」


「だった、が正しい」


「なぜ過去形にする」


「昨日、私は奪う側にいた」


 老人は黙った。


「私が四歳のときにされたことと、昨日ルナにしたことに、どれほど違いがあるのか分からない。私が連れ去られたからといって、昨日殺した人間が生き返るわけでもない」


 グロリアは左腕の赤い布へ目を落とした。


「だから、それを外さんのか」


「外しても何も変わらない」


「そうかもしれんな」


 老人は否定しなかった。


「気の毒だとは思う。だが、私たちも仲間を殺された」


 その視線が、倒れた男へ落ちた。グロリアは老人の横顔を見た。


「それでも、私とは一緒に行けないんだろう」


「行けぬ」


 老人は即答した。


「知っていることと、許せることは違う。許すことと、一緒に歩けることも違う」


「そうだな」


 それでよかった。理解されたから仲間になれるわけではない。事情を知れば憎しみが消えるわけでもない。それなら、グロリアにも理解できた。


 老人は倒れた男を見つめたまま続けた。


「こいつにも息子がいた」


 グロリアの視線が男へ移る。


「十八だった。昨日、ヴァルセナに殺された」


「昨日?」


「ここから南西にある村だ。抵抗したらしい。撃たれて死んだ」


 グロリアは何も言えなかった。男が自分へ向けた言葉を思い出す。


『こいつらが来なきゃ、こんなことにはならなかった』


 あれはヴァルセナへの怒りだった。そして男の目には、赤い腕章を巻いたグロリアも、そのヴァルセナそのものに見えていたのだろう。


「私が殺したわけじゃない」


「分かっている」


「それでも、あの男には同じだったのか」


「それは本人にしか分からん。もう聞けんがな」


 老人は静かに答えた。


 グロリアは男の遺体を見つめた。名前も知らない。息子がいたことも、今知った。


 ふと、昨夜照準器の向こうで倒れた男を思い出した。妻がいた。子供が二人いた。食卓を囲んで笑う写真まで見た。それでも、引き金は引けた。


 今度は何も知らずに撃った。そして、殺したあとで知った。知ってから殺すことと、殺してから知ること。順番が違っても、死者は何も答えない。


「埋める」


 老人が言った。荷物から折り畳み式のシャベルを取り出し、木々の間を見回す。道から少し離れた、土の柔らかい場所で足を止めた。


 残った男が遺体の肩へ手を差し入れる。グロリアはルナを抱いたまま、一歩近づいた。


「運ぶなら――」


「いい」


 男が低い声で言った。グロリアは足を止めた。


「触るな」


「……そうか」


 それ以上は近づかなかった。


 老人が戻り、男と二人で遺体を運んだ。交代で土を掘り、女も傍らで石や根を取り除いた。子供は荷物のそばに座り、誰にも話しかけず、その作業を見ていた。


 グロリアは少し離れた場所で腰を下ろし、ルナを膝に抱いていた。手伝えることはある。周囲を警戒することも、土を掘ることもできる。だが、今は近づかないことを求められていた。


 シャベルが石に当たる音が、何度も森に響いた。


 木々の影が傾き始める頃、ようやく遺体を横たえられるだけの穴ができた。男は仲間の顔についた土を指で払い、しばらくその場を動かなかった。老人も急かさずに待っていた。


 やがて穴が埋まり、土の色だけが周囲と違う場所が残った。


 老人が立ち上がる。


「北東へ進め。さっき教えた街は本当にある。山を越えれば道も見つかる」


「分かった」


「ただ、ヴァルセナがいつまで来ないかは分からん」


「それで十分だ」


 老人は頷いた。


 グロリアはルナを背負い直した。細い腕が首へ回り、頬の近くに小さな呼吸が戻ってくる。


 老人たちは東寄りの道へ進むことにしたらしい。同じ街を目指していたはずの一行が、グロリアたちと道を分けるために進路を変える。それを止める理由はなかった。


「行くぞ、ルナ」


「……うん」


 グロリアは北東へ歩き出した。数歩進んでから、背中でルナが動いた。


「グロリア」


「なんだ」


「……重い?」


 グロリアは少し考えた。


「重い」


 背中の腕がわずかに緩んだ。


「でも、離すな」


 ルナの腕が、もう一度しっかりと首へ回った。


 グロリアは歩き続けた。自分で背負うと決めた命は、やはり重かった。

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