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番外編 cloudy, snow later

 気に入っていた冬物のコートに限界が来た。男は溜息をついて、袖口や襟先の擦り切れたコートを眺める。もう、これ以上に気に入るコートには出会えないだろう。街外れの仕立屋が縫った丁寧な作りのステンカラーのコートは、流行に左右されることもなく、長い年月を男に捧げてきた。これを仕立てた男は、五年前に引退し二年前に他界した。

 新しく腕のいい仕立屋を探すのは面倒だった。この街で名の通った仕立屋はそう多くなかったし、そのどれも男は嫌いだった。若い頃に、上役の随行で行ったことがあるが、上役を丁重にもてなす彼らは、男を冷ややかに扱った。将来、彼が出世して上得意になるかも知れないなどとは考えもしなかったのだろう。死んだ仕立屋は、まだ若かった男に「将来は、うちで仕立てた服を着ろ」とよく言っていた。それは、その世界で生き延び出世しろと、いささか特殊な職に属する男を励ます言葉だった。年を重ねて出世した男は、律儀にその仕立屋を愛用してきたのだ。


「今時、仕立屋なんて流行らないですよ、ブランド物の外商を呼べばいいじゃないですか。見本を持って飛んできますよ」年若い部下の言葉に、男は時代の変化を感じずにはいられなかった。

 部下との会話で、男は一人の少年を思い出した。その少年は携帯電話のナンバー交換のときガラケーを出した男を「時代に置いていかれるぜ」と揶揄した。どうやら自分は、『今』という時代から取り残されつつあるらしいと思い、男は苦笑する。

 たまには街の空気を吸うのもいいかもしれない、仕事以外で『今』を再確認するのも悪くない。男はふとそう思い、外商を呼びつける代わりに自らブランド物の店舗とやらを見に行くことにした。


 深く考えることもなく男が出かけたその日は、世間にとっても休日だった。寒い日だというのに街はひどく賑やかで、それが男に場違いなところにいる気分を味わわせた。賑やかさから逃れるように目を空に向けると、そこには鈍い色の雲が広がっていた。

 通りを歩くうち、街が賑やかな理由が単に休日というだけではないことに男は気付いた。

 街頭放送から聞こえてくる、季節限定の定番音楽。あちこちのショーウィンドウに飾られた、雪に見立てた綿や白いモールと華やかな電飾を纏った作り物の樅の木。白い柔らかな飾りに縁取られた赤い服を着た人形。時には、路上で本物の人間が同じ服装でチラシを配っている。


 そういう季節か。

 もっとも、そんな季節だからコートが必要になった訳だが。

 自分に縁遠いそのイベントのことなど、出かけるときには男の頭にはまるで浮かばなかった。最後にクリスマスを意識したのはいつだったろうか。男は改めて、自分が場違いな存在だという事を実感した。


 部下に教えられたブランド店を数店巡る。ブランドイメージを崩さない程度の控え目さだが、どの店もクリスマスの飾り付けがなされていた。そして、年若い店員たちは、男が着ているコートの傷み具合を見て男を値踏みした。客として相手にする必要は無いと判断すると、男から視線を逸らす。

 何件目かの店で、年配の店員が男のコートの仕立てと生地の良さに気付き、近づいてきた。男は、その店でコートを買うことに決めた。確かな目の持ち主がいるなら、候補商品の選定も安心して任せられるだろう。

 何着か商品を見せられ、男は結局、今着ている物とよく似た、ステンカラーの目立たないグレーのコートを選ぶ。店員は華やぎを出すアクセントに、鮮やかな色のマフラーを一緒に勧めてきたが、男は丁重にそれを断った。男は人混みの中で意味なく目立ちたくはなかった。

 新しいコートを身に着け、古いコートは持ち帰ることにして店の袋に入れてもらう。その袋をショッパーと呼ぶらしいことを男は店員から教わった。今は、単に紙袋とは呼ばないらしい。男はそこにも時代の流れを感じながら、紙袋に納められた古いコートを受け取った。


 袋を手に提げ、男は店を出る。見上げた空には相変わらず鈍い色が広がっていた。街の賑やかさを拒むように、男は新しいコートと一緒に静寂を纏っていた。穏やかな立ち居振舞いと裏腹な鋭い視線は、職業柄身に付いたものだった。

 男はゆっくりと歩きながら、その鋭い視線で町を行く人の群れを眺める。家族連れ。若者のグループ。カップル。男と同じ年頃の女の集団もいた。旦那は家に置いてけぼりか、ここにも時代の変化がある訳だと男は着ぶくれした女達を見つつ思う。

 その視線に気付いた女が仲間に耳打ちし、女たちが皆、一斉に男を見た。すぐに視線を前に戻すと、女たちは何か話しつつ大きな声で笑った。自分が話題にされているらしいことは男にも想像がついたが、その内容までは想像出来なかったし、したくもなかった。


 通りを行くうちに、男は高校生くらいの少年少女のグループとすれ違った。若者達は寒さをものともしない格好で、賑やかにおしゃべりし、はじけるように笑った。その笑い声の一つに、男は思わず振り向いた。「時代に置いていかれる」と自分を揶揄した、あの懐かしい、小憎らしい少年の声。男は、ここにいるはずもない少年の名を若者達に投げかけた。

 見知らぬ男から知らない名前で呼び止められ、少年達が驚いて足を止める。そこにはやはり彼は、瀬央はいなかった。当たり前だ。


「ああ、済まなかったね、親戚の子とあんまり声が似ていたから」

 怪訝そうにこちらを見る彼らに、男──田之上はそう詫びた。彼らは顔を見合わせていたが、中の一人が「誰の声だろう?」と疑問を口にした。その言葉を皮切りに、「俺かな」「私かも」口々に言い始めた。そこに、気まずさを払拭しようとする『今時の若者』なりの気遣いが垣間見えて、田之上は少し嬉しくなった。

「知るかよ」

一人の少年が発した言葉が、瀬央と重なった。声だけでなく、口調も似ている。どこか投げやりで、皮肉を含んだ話し方。

「君の声だ、よく似てる。驚いたよ」田之上はその少年に言った。

「どこにいるんですか?」「え?」「その、こいつと似た声の親戚の子」

 最初に疑問を口にした少年が聞いてきた。おそらくグループでは、まとめ役のような立ち位置なのだろう。

 年若い彼らに、特に瀬央とよく似た声の少年には、その死を伝えることはためらわれた。

「空の向こうだ」少年の問いに、田之上はそう答えた。もっとも、瀬央の所業を思えば、行く先は空ではなく地の底かも知れないが。


「外国っすか」「すげ、いーなー」

 田之上の言葉を少し違う風にとらえて、彼らはそれをネタにまた話し始めた。短い別れの言葉を交わして、田之上と少年達のグループは再び、それぞれ反対方向へ歩き出した。

 数歩進んだところで、田之上は目の前に白いものが落ちてくるのを見た。寒い訳だ、と降り始めた雪を見ながら思う。


 降ってくる雪に、あの少年達が背後ではしゃいだ声を上げた。「うわ、来た」「どうりで寒い」「それはお前のカッコのせいだろ」「ねえ、積もるかなぁ?」「どうせなら、クリスマスイブに降ればいいのに」


 少しずつ遠ざかるその声に、今度は田之上は振り向かなかった。

 イブにも雪が降ればいいと田之上は思う。彼らが、またはしゃげるように。

2013年クリスマス・お正月企画投稿作品。

お楽しみ頂ければ幸いです。

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