第二話 灰色の二人
酒場の笑い声が、ようやく落ち着き始めた頃だった。
ツキヤミは受付台の向こうから、まずミハルへ、それから全身鎧の戦士へと視線を移した。
「リシェルさん。改めてご紹介します」
リシェルが、兜の奥からツキヤミを見る。
「こちらは、今日冒険者登録をなされたミハルさんです。職業は僧侶」
「ミハルです。よろしくお願いします」
ミハルが頭を下げると、リシェルもわずかにうなずいた。
「リシェルだ」
「こちらのリシェルさんも、同じEランクの戦士です」
「三年目だけどな!」
酒場から野次が飛んだ。
何人かが笑ったが、リシェルはそちらを見もしなかった。
ツキヤミも気にした様子を見せず、二人を交互に見た。
「私は、お二人が組めば、よい仕事ができるのではないかと思っています」
「私と、こいつが?」
リシェルの兜が、わずかにミハルの方を向く。
「はい。戦士と僧侶であれば、一人では受けにくい依頼も受けられます。Eランクでも、多少条件のよい仕事を回せるでしょう」
ツキヤミが柔らかく微笑む。
口調は、あくまで受付としての実務的な提案だった。
けれど、その金色の瞳は、二人の間にある何かを確かめるように、静かに行き来していた。
「どうでしょう?」
リシェルはすぐには答えなかった。
「組むこと自体に異論はない」
しばらくして、そう言った。
「だが、都合のいい依頼が、そう簡単に来るとも思えない」
「それは、もちろんです」
ツキヤミはあっさり認めた。
「無理に依頼を作ることはできません。条件の合うものがあれば、お二人へ声をかけます」
「分かった」
リシェルが答える。
ミハルも続けてうなずいた。
「お願いします」
「では、決まりですね」
ツキヤミは満足そうに登録用紙を片づけた。
そこで会話は終わるかと思ったが、リシェルはその場を動かなかった。
兜の奥から、ミハルを見ている。
「一つ、聞いてもいいか」
「はい」
「どうして、私を強いと思った?」
酒場の何人かが、またこちらへ耳を傾けた。
先ほどあれだけ笑われた言葉である。ミハルも、聞かれるだろうとは思っていた。
それでも、答えは考えていなかった。
「……分かりません」
リシェルが黙る。
「理由は、説明できません。でも、そう思いました」
「戦うところも見ていないのに?」
「はい」
「剣を扱ったことは?」
「ありません」
「冒険者の戦いを見たことは?」
「それも、ありません」
リシェルはしばらく何も言わなかった。
兜に隠れているため、どんな表情をしているのかは分からない。
「そうか」
やがて、それだけ答えた。
責めるでも、笑うでもなかった。
今度は、リシェルがミハルの左手首を見る。
巻かれたばかりの灰色の認証帯。
「もう一つ」
「はい」
「なぜ、十八歳で登録した?」
ミハルは少しだけ言葉に詰まった。
「師に、旅へ出るよう言われたのが十八歳だったんです」
「普通は十五歳で進路が決まるだろう」
リシェルの言うとおりだった。
十五歳になれば、教会本部へ進む者、各地の教会へ赴任する者、冒険者として旅へ出る者。それぞれの道を選ぶのが普通だった。
「……普通は、そうなんですが」
ミハルは曖昧に答えた。
それ以上をどう説明すればよいのか、自分でも分からなかった。
リシェルも、詳しい事情を尋ねようとはしなかった。
「そうか」
また短く答える。
それからツキヤミへ顔を向けた。
「依頼があれば、声をかけてくれ」
「承知しました」
リシェルは踵を返し、重い足音を残してギルドを出ていった。
その背中を見送りながら、ミハルは自分の手首へ目を落とした。
同じ灰色。
ただ、それだけで二人が仲間になったわけではない。
それでも、何かが始まったような気はした。
◇
すぐに、二人へ回せる依頼が見つかったわけではなかった。
ミハルは数日間、ギルドで新人向けの講習を受けることになった。
講習を担当したのは、酒場の奥にいつも座っている隻腕の男だった。
年齢は五十歳ほどに見える。
日に焼けた顔には古い傷がいくつも残り、右の袖は肩から先が空になっていた。
初めて二階の講習室へ入ったとき、ミハルは思わずその袖へ目を向けてしまった。
「気になるか」
男が言った。
「すみません」
「別に謝ることじゃねえ。冒険者をやってりゃ、こうなることもある」
ぶっきらぼうな口調だった。
しかし、怒っているわけではなさそうだった。
講習では、まず冒険者ギルドの基本的な仕組みを教えられた。
冒険者は、登録した支部に所属する。
支部にはそれぞれ管轄があり、その範囲にある町や村、街道、森などで発生した依頼を扱う。
魔物の討伐だけではない。
採取、護衛、捜索、荷運び、壊れた柵の修繕。住民から持ち込まれる仕事の多くが、依頼掲示板へ貼り出される。
依頼には推奨されるランクが定められており、原則として自分のランクを超える依頼は受けられない。
説明を聞きながら、ミハルは何度も内容を書き留めた。
「ここまでは覚えたか」
「はい」
「じゃあ、最後だ」
男は机の上に置かれた紙を、残された左手で脇へ押しやった。
「依頼書に書いてあることと、現地の状況が違うことがある」
「違う?」
「三頭と聞いていた魔物が十頭いる。いないはずの上位種がいる。橋が落ちている。村人の話が食い違っている」
男の声が少し低くなる。
「そういうときは、どうする」
ミハルは考えた。
「状況を確認して……できるなら依頼を続けます」
「違う」
即座に否定された。
「戻るんだ」
「でも、依頼を途中で放棄することになります」
「放棄じゃねえ。報告だ」
男は空になった右袖を揺らした。
「依頼書にない異常があったら、無理に完遂しようとするな。支部へ戻って報告しろ」
「戻っている間に、被害が出ることもあるんじゃないですか?」
「ある」
男はあっさり答えた。
「それでも、何も考えず突っ込んで、お前まで帰ってこなくなれば、探す人間が一人増える」
その言葉に、ミハルは酒場の赤ら顔の男を思い出した。
怪我して帰れなくなったら、迎えに行くのは俺たちなんだ。
あれは冗談ではなかったのだ。
「同じ支部の連中は、競争相手でもある。だが、その前に仲間だ」
男は言った。
「この支部の管轄で誰かが戻らなければ、探しに行くのも同じ支部の連中だ」
ミハルは小さくうなずいた。
「なら、最後に一番大事なことを教える」
男は残された左手を机へ置いた。
「冒険者は、強い奴から生き残るんじゃねえ」
ミハルは顔を上げた。
「帰ってきた奴が、生き残るんだ」
「帰ってくる……」
「依頼書と話が違ったら、迷わず戻れ」
男は空になった右袖をさすった。
「依頼はまた受けられる。だが、死んだら終わりだ」
「……はい」
「強くなることより、帰ってくることを考えろ。それが新人のお前に教える、一番大事なことだ」
そう言って、男は講習の終了を告げた。
講習室を出る前、ミハルは一度だけ振り返った。
男はもう、何事もなかったように次の書類を見ていた。
空になった右袖だけが、机の脇で静かに揺れていた。
◇
その数日間、リシェルもギルドに顔を出していた。
ただし、大きな討伐依頼を受けた様子はなかった。
ある日は、町外れで動かなくなった荷車を直しに行った。
また別の日には、雨で崩れた村道へ石を運んだ。
どれも、酒場の冒険者たちが喜んで受けたがる仕事ではなかった。
「相変わらずだな、灰色様」
赤ら顔の男が声をかけると、リシェルは短く答えた。
「困っていたからな」
それだけだった。
リシェルが戻ってくるたび、鎧には新しい泥や細かな傷が増えていた。
それでも、報酬は多くないらしい。
食事を頼むときも、硬貨を何度も数え直していた。
ミハルは講習の合間に何度かその姿を見かけたが、声をかけることはできなかった。
◇
登録から五日目の昼だった。
講習を終えたミハルが一階へ降りると、受付でツキヤミとリシェルが話していた。
「ミハルさん。ちょうどよいところへ」
ツキヤミに呼ばれ、ミハルは受付へ近づいた。
受付台の上には、一枚の依頼書が広げられている。
「お二人へお願いしたい依頼があります」
「どんな依頼ですか?」
「村の近くに現れた、狼鬼の討伐です」
狼鬼。
名前だけは、教会の講義で聞いたことがあった。
狼に似た魔物で、成体は虎ほどの体格になる。頭部には角が生え、数頭で群れを作る。
「目撃された場所は、この支部から半日ほど歩いたところにある、ベルク村の近くです」
ツキヤミが地図の一点を指した。
「村の家畜が二頭襲われています。今のところ、人への被害は報告されていません」
「数は?」
リシェルが尋ねた。
「三頭と報告されています」
その答えを聞き、酒場の何人かがこちらを見た。
「狼鬼か」
「初仕事には、少し重いんじゃないか?」
「リシェルが一緒なら何とかなるだろ」
赤ら顔の男が酒杯を置いた。
「狼鬼は隠れて襲ってくることもある。油断するなよ」
「分かっている」
リシェルが答える。
ツキヤミは依頼書へ視線を戻した。
「本来であれば、もう少し上のランクへ回してもよい依頼です」
「それを、なぜ私たちに?」
「村が十分な報酬を用意できなかったためです。狼鬼は一頭五百リルほどが相場ですが、今回は支部からも一部補填し、報酬は九百リルとなります」
「九百……」
ミハルが小さくつぶやいた。
「Eランクの依頼にしちゃ悪くねえ」
酒場から声が飛ぶ。
「三頭相手だと考えりゃ、安いがな」
ツキヤミが説明を続ける。
「狼鬼の角と毛皮は討伐者の取り分です。無事に持ち帰れれば、その分は補えます。」
リシェルは依頼書を見つめた。
「私は受けたい」
そう言ってから、ミハルを見る。
「だが、お前にとっては初めての依頼だ」
「はい」
「狼鬼は、大猪より危険だ」
兜越しの声は落ち着いていた。
「無理に私へ合わせる必要はない」
ミハルは依頼書へ目を落とした。
狼鬼がどれほど恐ろしい魔物なのか、まだ実感はなかった。
それでも、初めての依頼を前にして、胸が弾むだけではない。
講習室で見た、隻腕の男の空になった袖が頭に浮かんだ。
帰ってきた奴が、生き残る。
それでも、ここで足を止めたままでは、冒険者にはなれない。
「行きます」
ミハルは顔を上げた。
「僕がどこまで役に立てるかは分かりません。でも、行きたいです」
リシェルは、しばらくミハルを見ていた。
「分かった」
ツキヤミが依頼書を二人の前へ差し出す。
「では、お二人での共同受注として登録します。報酬の分配は半分ずつでよろしいですか?」
「ああ」
「はい」
二人は、それぞれ依頼書へ名前を書いた。
リシェル。
ミハル。
二つの名前が、同じ依頼書へ並ぶ。
「準備を整えたら出発してください。ベルク村までは徒歩で半日ほどです。到着は夕方になるでしょう」
「今日は村までだ。詳しい話は着いてから聞く」
リシェルが言った。
「分かりました」
ミハルは小さな荷物を背負い直した。
リシェルが先に入口へ向かう。
重い木の扉が開き、昼の光がギルドの中へ差し込んだ。
全身鎧の戦士が、一歩先に外へ出る。
ミハルも、少し遅れてその後を追った。
二人の左手首には、同じ灰色の認証帯が巻かれていた。




