第99話 ここで終わりだ
残り十秒。
臨時制御室となった会議室の壁一面に、四十三地点の監視状況が並んでいる。映像のない地点は位置図と数値だけだ。
地下道。
倉庫。
駅。
病院。
河川設備。
誰かの生活のすぐ隣に、八年間押し込められてきた異常。
冬真は制御盤へ手を置いた。
「全地点、最終確認」
返事が重なる。
御厨の声だけは最後だった。
『こっちはいい。退避経路も確保した』
「了解。そっちも無理しないで」
『お互い様だ』
「了解」
月島が時計を見る。
「開始」
冬真が最初に切ったのは怪異ではない。
終端設計室が八年かけて作った“転嫁関係”だった。
断因。
瞬間、四十三地点で押さえ込まれていた残因が一斉に戻る。
警報。
停電。
割れるガラス。
道路の亀裂。
存在しない階段。
『一番、出た!』
『十二番、予定より早い!』
『二十六、避難完了!』
音が重なっても、冬真は一件ずつ追わない。
四十三は、ひとつだ。
逆照。
偽の終点から過去へ戻る。
鷹取が横から古い設計行を指した。
「これです。《最小損失地点へ誘導》」
「原型、あなた?」
「私です」
「最悪」
「同感です」
鷹取の端末で、黒い腕時計と同じ認証記号が赤く点滅した。
「旧管理者が転嫁先を繋ぎ直そうとしている」
冬真には、認証の先へ伸びる細い線が見えた。逆照を伸ばせば、操作している人間へ近づけるかもしれない。
八年前、自分を外へ押し出した人と同じなのか。分からない。けれど知りたかった。
御厨の通信の向こうで金属が折れる音がした。
『こっちは持たせる。お前は閉じろ!』
冬真は認証へ伸びる線から目を外した。
「そっちは後だ。四十三を先に閉じる」
八年分の偽終端が一本の黒い配管みたいにつながる。
そこへ、東京湾側の表示が赤く点滅した。
『主任、未確認一件!』
由奈の声が通信に割り込む。
止めれば全体同期が崩れる。
進めれば、情報が欠けた一地点まで同時に開く。
鷹取が言う。
「止めるなら今です」
「映像」
『今来ます!』
倉庫のシャッターが半分開く。
その向こうに、本来あるはずのない海面が揺れていた。
人影はない。
構造崩壊まで推定二分。
分からない部分は残っている。
でも、何が分からないかは分かっている。
「続行」
月島が一度だけ冬真を見る。
何も言わず、全地点へ指示を流した。
冬真は四十三本の黒線を束ねる。
残因視。
逆照。
連鎖終端。
三つが一つにつながる。
視界の中心に、白い一点が浮かんだ。
今までで一番大きい。
なのに、見切った後の感覚はいつも同じだった。
終わるものは、終わる。
胸の奥が熱くなる。
怖い。
同じくらい、これを自分が終わらせられることが嬉しい。
その欲ごと握る。
「見切った」
冬真は白い一点へ断因を落とした。
「――ここで終わりだ」
四十三本が、根元から消えた。
端末の《旧管理者認証》も切断表示に変わった。さっき追いかけかけた細い線は、冬真の視界から消えていた。
制御室の照明が一度落ち、非常灯だけが赤く残る。
通信も一瞬、完全な無音になった。
次の一秒。
『一番正常!』
『五番、閉鎖解除!』
『二十二、負傷者なし!』
生きている人間の声が戻ってくる。
冬真は膝をついたまま数えた。
三十八。
三十九。
四十。
月島も同じ画面を見ている。
四十一。
四十二。
「四十三は?」
誰も答えない。
一秒が長い。
御厨の呼吸だけが回線に入っている。
やがてノイズの向こうから声がした。
『東京湾、正常確認。負傷者なし』
四十三。
冬真はその場で仰向けになりかけた。
月島に腕をつかまれる。
「寝るなら椅子で」
「優しい」
「床が邪魔です」
「やっぱり」
『久世!』
御厨の怒鳴り声。
「生きてます」
『なら返事しろ!』
「今しました」
制御室の誰かが笑った。
拍手は起きなかった。
まだ確認作業が残っている。
それでいい。
冬真は赤い非常灯を見上げた。
四十三件。
今度こそ、本当に終わった。




