第85話 市長の答え
桐森市長は逃げなかった。
「知っています」
冬真が聞く前に言った。
「全てではない。だが、中心部の異常を外へ逃がす仕組みがあることは知っていました」
「なんで止めなかった」
「止めた時の試算を見たからです」
大型商業区で三百人規模。
病院停止。
駅閉鎖。
避難所不足。
市長は資料を押し出す。
「私は市全体を守る立場です」
冬真は黙る。
悪人の答えではなかった。
だから面倒だ。
「旧住宅区の人は市民じゃない?」
「そういう意味ではない」
「結果はそうなってる」
市長の顔が少し固くなる。
「あなたならどうします」
冬真はすぐ答えなかった。
全部切る。
言うのは簡単だ。
切った後、本当に三百人死んだら。
その責任から逃げられない。
「今夜までください」
市長が頷いた。
「待ちます」
市長室の窓からは、事故ゼロを掲げた中心街が見えた。人が歩き、店が開き、観光バスが停まる。市長が守りたい景色は具体的だった。
「私が止めれば、この景色が壊れる可能性がある」
「旧住宅区はもう壊れてる」
「分かっています」
市長の返事が早かった。冬真は少しだけ言葉を失う。知らないのではない。知っていて選んだ。
「十一人の名前、言えます?」
市長は三人まで言えた。四人目で止まった。
冬真は責めなかった。自分もさっきまで十一人を数字でしか知らなかった。
「今夜までに、別のやり方考えます」
「あるんですか」
「まだない」
「それでも?」
「あるまで探す」
自分で言って、若いと思った。でも、その若さをまだ捨てたくなかった。
市長は、机の引き出しから古い写真を一枚出した。豪雨災害の時の避難所。若い頃の自分も写っている。
「私は、助けられない人数を数える仕事を何度もしました」
声は落ち着いていた。
「だから“全員救う”と言う人を、昔ほど信用しません」
冬真は写真を見た。
「俺、全員救うって言いました?」
「顔に書いてあります」
「それは初めて言われた」
「若い」
「二十四なんで」
市長が苦く笑う。
「羨ましい」
鷹取と同じ言葉だった。冬真は少し嫌な気分になる。若さを“まだ現実を知らない”という意味で使われたくない。
「じゃあ、若いまま別の答え出します」
市長は笑わなかった。
「出してください」
その返事で、冬真の逃げ道が一つ消えた。
市長との話が終わった後、冬真は廊下で立ち止まった。窓の外に中心街の明かり。ここを守りたい気持ちも分かる。それを分かった上で、旧住宅区へ押しつけるのは違うと言わなければならない。
月島が横に来る。
「市長の理屈、理解できます?」
「かなり」
「それでも反対?」
「理解できるから余計に」
悪意だけなら切れば終わる。合理的な選択は、切った後に別の責任が残る。
冬真はスマホに新田から届いたメッセージを見る。
《無理に英雄になるな。代替案作れ》
「見透かされてる」
「誰に?」
「嫌な上司」
冬真は返信する。
《分かってます》
すぐ《その返事信用できない》が来た。
その夜、冬真はコンビニで貯まっていた二千三百円分のポイントを初めて使った。あの少女が「死んだらもったいない」と笑った顔が浮かぶ。




