第71話 指名
国家級合同案件の指名通知は、会社の代表メールではなく冬真個人に届いた。
「ついに会社飛ばしましたね」
由奈が言う。
「喜んでいい?」
「主任に聞いてから」
新田はメールを見て、最初に給与規程を開いた。
「指名案件手当、現行だと安いな」
「そこから?」
「そこからだ。国が呼ぶなら国の値段で働け」
冬真は少し笑った。
以前なら、呼ばれたこと自体で満足したかもしれない。
今は違う。
「じゃあ交渉してください」
「言われなくてもする」
月島から追加連絡。
次の案件は霞が関。
会議名は《擬似終端事象に関する緊急検討》だった。
冬真は画面を閉じる。
「名前長い」
「役所ですから」
「短くしてくれたら一万円安くしてもいい」
「その値引き誰が頼んだんですか」
その日の午後、新田から条件提示が来た。
年収換算五百二十万円。
冬真は数字を二度見した。
条件交渉の席で、新田は国側の担当者に一歩も引かなかった。危険度S相当の現場へ民間社員を指名するなら、待機時間まで業務として扱え。移動費だけでなく拘束手当をつけろ。事故後の健康診断も国負担。
冬真は横で聞きながら、少しだけ居心地が悪かった。自分の値段を他人が真面目に交渉している。
「高く売られてる気分」
「安売りされるよりいいだろ」
新田は資料から目を上げない。
「あなたが強いのは分かった。強い人ほど会社は都合よく使いたがる。それを止めるのが私の仕事」
冬真は返事を一拍遅らせた。
「……ありがとうございます」
「素直に言うと気持ち悪いな」
「取り消します」
国家指名という肩書きより、その会話の方が冬真には妙に残った。
国側の契約担当は、最初「現行規程では」と三回言った。新田は四回目に「現行規程で人が死なないならそれでいいです」と返した。部屋が少し静かになる。
冬真は横で笑いそうになって耐えた。新田はルールを嫌っているわけではない。ルールを理由に人へ負担を押しつけるのが嫌いなのだ。
交渉後、廊下で冬真が言う。
「俺の給料のために国と喧嘩した?」
「違う。会社の単価のためだ」
「夢がない」
「会社員の給料は会社の単価から出る。夢より大事」
その現実的な答えが冬真は好きだった。強くなれば待遇が変わる。その当たり前を、本当に当たり前にしてくれる人間がいる。




