第54話 雨の中の乾いた男
男は排水会社の元社員だった。
死因は急性心不全。
外傷なし。
「また普通に死ねるやつか」
御厨が言う。
「普通に死ねるから面倒なんですよ」
冬真は男の靴を見る。
泥がついていない。
現場はぬかるんでいるのに、靴底まで乾いている。
由奈が古い勤務記録を持ってきた。
「この人、七年前の廃止作業責任者です」
「雨量計を止めた人?」
「正確には、最後に“監視終了”を入力した人」
冬真は屋上の雨量計を見た。
ゼロ。
記録上、この施設ではもう雨を監視しない。
でも設備そのものは残った。
雨が降る。
監視はしない。
結果だけが未処理になる。
黒い線が、雨量計から男の足元へつながっていた。
「濡れなかったんじゃない」
冬真が立つ。
「この人だけ、記録上“雨の外”にされた」
由奈が元社員の自宅へ連絡すると、妻は「昨日まで普通だった」と繰り返した。朝七時十分、「会社から呼ばれた」と言って家を出たのが最後だった。
「誰からの電話?」
「通話履歴には残ってません。会社側も誰もかけていないそうです」と由奈。
原因のない呼び出し。冬真の嫌いな形だ。
「会社じゃなくて、設備に呼ばれた?」
由奈が言う。
「言い方は怖いけど、近い」
雨量計の側面に、七年前の点検シールが残っていた。《監視終了確認》。署名は倒れた男本人。
自分で終わらせた仕事に、七年後呼び戻された。
「こういうの、恨みとかじゃないんですよね」
由奈が言う。
「怪異に感情があると決める方が危ない」
冬真は水の増え方を見る。
「ただ、未処理が残ってる。それだけでも人は死ぬ」
冬真は雨量計の横に残る古い点検票を撮影した。七年前の終業印。その朱色だけが雨に濡れず、妙に鮮やかだ。
御厨が死者の上へシートを掛ける。
「家族には何て言う」
「今は急性心不全。それ以上は調査中」
「恨まれるぞ」
「慣れたくないな」
「慣れるな」
短い言葉だった。冬真は頷かず、点検票をもう一度見た。答えを急ぐことと、遺族を待たせないことは同じではない。そこも仕事の難しさだった。
その時、由奈の携帯が鳴った。
東京で濡れ続けていた十二人のうち、一人が意識不明。埼玉でも二人倒れた。千葉の水たまりが、目の前で一段深くなる。
御厨が時計を見る。
「久世。あと何分ある」
冬真は黒い線の震えを見た。
「五分」




