第48話 船長の最後の記録
船長の私物記録が遺族の許可で開示された。
日誌。
二〇一八年六月二十一日。
『十一時四十三分。全系統から出口要求が集中。サーバー負荷では説明不能。座標二百七十一。』
『十一時四十七分。乗員退避。通信室に男一名。所属不明。』
『男、“最後を閉じるまで出るな”』
『十一時五十二分。全乗員退避確認。私は最後に出た。』
その次の行だけ、筆跡が乱れている。
『外に出たのに、まだ船内にいる。』
冬真は読み返した。
「どういう意味」
由奈も黙る。
船長は物理的には救助された。
でも“最後まで通信室に残った人”という結果が船内に残った。
しらせぎには今も、最後の一人が出ていない。
御厨が日誌の末尾を指で押さえた。
「残ってるのは、船長の退避記録か」
「船長は出た。なのに、船の中じゃ出てないことになってる」
冬真は紙の上の乱れた文字を見た。端末の二百七十二という数字が船長を指すかは分からない。だが、通信室に残った太い線は、この食い違いへ続いていた。
船長本人はもう亡くなっている。
救い出す人間はいない。
残っているのは結果だけ。
冬真は端末を見る。
やることは分かった。
問題は、どうやって八年前の船長を“退避完了”にするかだった。
船長の日誌は、遺族が大切に保管していた。
「父は、最後まで自分が何か残したと思っていたみたいです」
娘はそう言った。
「でも誰に話しても、災害後のストレスだって」
冬真は日誌を両手で受け取った。
「今回、正式な調査記録に入れます」
娘の目が少し赤くなる。
「八年も経って?」
「八年経ったから分かることもあります」
自分にも八年かかった。
当時おかしなことを言った人間の記録が、制度ができた後で意味を持つ。
過去を変えることはできない。
でも、過去の証言の扱いは変えられる。
冬真はそれも復旧の一種だと思った。
◇ 今いる人で終わらせる
「死者を救出するなんて無理です」
技術班が言った。
「死者を救出するんじゃない」
冬真は答える。
「記録を閉じる」
船長は二〇一八年に実際に船外へ出ている。
人間は助かっている。
欠けているのは、通信室から退避した“原因”だけ。
水無月ホテルと同じ構造。
「誰が船長を出したことにする?」
御厨が聞く。
「今いる人で」
冬真は船内へ入る。
旧通信室。
端末。
EXIT AVAILABLE。
271 / 272。
船長が最後に触った非常通信マイクが残っている。
冬真はマイクを持つ。
「しらせぎ船長、退避を確認します」
何も起きない。
「本人いないからな」
御厨が言う。
「分かってる」
冬真は日誌を思い出す。
『外に出たのに、まだ船内にいる』
必要なのは救助ではない。
外に出た事実と、船内記録を一致させること。
「船長の救助記録、読み上げて」
由奈が端末から読む。
収容時刻。
場所。
状態。
冬真は一つずつ通信室ログへ再入力した。座標。時刻。退避者数。最後の確認者。
三項目目で、御厨が横から覗いた。
「字、遅いな」
「人が真面目にやってる時に言います?」
「二十四歳の入力速度じゃない」
「現場でスマホ打つのと違うんですよ」
「貸せ」
「主任、ローマ字入力ですか?」
「悪いか」
「返してください」
由奈が後ろで吹き出した。八年前の最後を閉じる作業なのに、やっていることは地味だった。だからこそ冬真は、一文字も飛ばさなかった。
八年前の結果へ、八年後の正式記録をつなぐ。
最後に、御厨が確認者IDを入れた。
画面が変わる。
272 / 272。
冬真は息を止めた。




