第4話 入るな
ドアノブが二度、三度と回った。
御厨は無線で廊下の班員を確認した。
『こちら待機二名。四階廊下、異常なし』
つまり、廊下側には誰もいない。
なのにノブは回っている。
「開ける」
御厨が言った。
「入るな」
冬真は反射的に声を上げた。
御厨の手が止まる。
「理由」
冬真は玄関のたたきを指した。
埃の上に足跡がある。
大人の靴。
四人分。
全部、玄関から室内へ向かっている。
「出た跡がない」
「住人の古い跡かもしれない」
「退去後に清掃入ってます」
由奈が言った。
足跡は新しい。
それも、四人とも玄関から入ったところで消えている。
御厨が一歩下がった。
「外から来る音なのに、中へ入る結果だけ残ってる?」
「たぶん」
「たぶんで命令するな」
「じゃあ開けます?」
「開けない」
由奈が小声で言った。
「素直ですね」
「聞こえてるぞ」
その時、ドアが内側へ膨らんだ。
一度。
二度。
誰かが外から体当たりしている。
御厨が由奈を部屋の奥へ下がらせる。
「窓から出られるか」
「四階です」
「ロープはある」
冬真は首を振った。
「窓も入口です」
「何?」
「さっき開けた瞬間に呼吸が止まった。外とつながる場所が入口になるなら、窓を使うと同じことが起きる」
御厨が舌打ちする。
「じゃあ、どこから出る」
冬真は部屋を見回した。
玄関。
窓。
換気口。
全部が外と中をつなぐ。
だから駄目だ。
この異常が「入る」ことだけを繰り返しているなら、出口として使われた場所を探さなければならない。
空室の壁際。
古い押し入れ。
由奈が資料を見ながら言った。
「この建物、昔は二部屋を一つにしてたみたいです」
「いつ?」
「二十年前。四〇三と四〇四の間に通路があった」
冬真が押し入れを開ける。
奥の板だけが新しい。
その向こうに、塞がれた扉がある。
「これだ」
「御厨さん」
「壊すんだろ」
「話が早い」
御厨が工具を構えた瞬間、玄関ドアが大きく内側へしなった。
蝶番が一つ飛んだ。
時間はなかった。
押し入れの奥板を外す間、玄関ドアは何度も軋んだ。
由奈は工具箱を押さえながら、小声で数を数えていた。
「今ので八回」
「何で数えてる」
「後で報告書に書けるからです」
「怖さを仕事に変えるの早いな」
「仕事にしないと怖いままなので」
冬真はその言葉を覚えた。
自分が残因を“能力”ではなく仕事の言葉で扱いたがるのも、同じ理由かもしれない。
怪談として受け取れば、怖いだけだ。
事故として受け取れば、記録できる。比べられる。次に備えられる。
板が外れ、存在しない階段が現れた時、由奈は一度だけ息を呑んだ。
それでもタブレットの録画ボタンを押した。
「記録、開始します」
声は少し震えていたが、手は止まらなかった。
◇ 非常階段
塞がれた壁を抜けた先は、四〇四号室ではなかった。
薄暗い階段だった。
「図面にない」
由奈が呟く。
「昔も?」
「ありません」
御厨が懐中電灯を向ける。
階段は下へ続いている。
壁に階数表示はない。
冬真は振り返った。
壊したはずの壁が、もう塞がっている。
「進むしかないな」
御厨が言った。
三人で下りる。
一階分。
二階分。
三階分。
何段下りても踊り場の景色が変わらない。
白い壁。
赤い消火器。
非常灯。
由奈の呼吸が速くなる。
「またループ?」
「前と違う」
冬真は足を止めた。
非常灯の位置。
消火器の傷。
壁の染み。
完全に同じではない。
少しずつ古くなっている。
消火器の赤が褪せている。
非常灯のプラスチックが黄ばんでいく。
「下りるほど過去に近づいてる」
御厨が振り返る。
「止まったら?」
「分かりません」
「便利な能力だな」
「能力って言ってない」
「じゃあ何て呼ぶ」
冬真は一拍置いた。
「見る方が残因視。切る方が断因」
「二つあるのか」
「同じ能力です。見切れないものは切れない。見切ったものは――切れます」
「今さらそこ気にするか」
さらに下りる。
七つ目の踊り場で、階段の形が変わった。
壁にホテルの案内板がある。
水無月ホテル 7F。
冬真の足が止まった。
耳の奥で非常ベルが鳴る。
十六歳。
白く点滅する非常灯。
床に倒れた男。
自分だけが開けた非常扉。
喉が詰まる。
「久世」
御厨の声が遠い。
「戻れます?」
由奈が不安そうに聞く。
「……戻らない」
冬真は壁へ手をついた。
ここは過去ではない。
過去の結果が形になっているだけだ。
なら、この中にも一つだけ「まだ起きていないこと」がある。
冬真は案内板を見る。
非常口の矢印は左。
八年前、自分は左へ行った。
だから今回は右だ。
「こっち」
「根拠は」
御厨が聞く。
「俺が前に行かなかった方」
「それだけ?」
「それだけ」
御厨は数秒冬真を見たあと、右へ曲がった。
由奈も続く。
十歩先に、外の光が見えた。
三人が出た場所は、アパートの裏手だった。
時計を見る。
中にいたのは二十分以上の感覚だった。
現実では、三分しか経っていない。
御厨が深く息を吐いた。
「次から先に言え」
「何を」
「お前の地雷」
冬真は答えなかった。
御厨も追及しなかった。
それが少しだけ助かった。




