第36話 顔のない救助者
二〇一二年、湾岸倉庫火災。
当時は特異災害として扱われていない。
火災そのものは実在し、原因も電気設備のショートで確定していた。
問題は、避難者の一人だった。
倉庫奥で意識を失っていた作業員が、消防到着前に建物の外へ出ている。
救助者番号0。
そして現場カメラに、一枚だけ写真が残った。
冬真は拡大する。
煙の中に人影。
作業服でも消防服でもない。
白いシャツ。
黒いズボン。
顔だけが、ひどくぼやけている。
「カメラの故障?」
「同じ写真の周囲は正常です」
由奈が答える。
御厨が画面へ近づく。
「普通の男に見えるな」
「だから余計に嫌です」
冬真には、その姿に覚えがあった。
水無月ホテルで自分を押し出した男。
服装までは思い出せなかった。
でも立ち方が同じだ。
急いでいるのに、走っていない。
「この人、誰かを助けてるだけならいいんですけどね」
由奈の言葉に、冬真は写真を閉じなかった。
助けた結果だけが残る。
そのたびに、原因のない穴が一つ増える。
善意でも、穴は穴だった。
写真の人影を見た夜、冬真は帰宅してから腕時計を外して机に置いた。
自分のは安いスマートウォッチ。
黒い。
水無月ホテルの記憶に引っ張られ、しばらく触れなかった。
八年前の救助者も、こんな普通の時計をしていたのかもしれない。
特別な印ではない。
だから写真一枚から断定はできない。
冬真はスマートウォッチを再び腕につけた。
過去の記憶は、証拠より形を変えやすい。
覚えているから正しいとは限らない。
翌朝、由奈へ言う。
「写真と俺の記憶は別扱いで」
「了解。照合はするけど同一人物認定しない」
その一言で、少し安心した。
自分の傷が、調査結果を決めることは避けたかった。
◇ 七人目
救助者番号0の事案は、全部で七件。
被救助者は全員生存。
その後に共通する健康被害もない。
「本当に救世主だったりして」
由奈が言う。
「名前も残さず、人を助けて消える」
「格好いいですね」
「報告書上は最悪」
御厨が笑う。
七人目は現在六十八歳の女性だった。
二〇一九年、地下商店街で起きた特異停電。
「男の人?」
冬真が聞く。
女性は首を振った。
「女の人でしたよ」
三人とも固まった。
「顔は?」
「覚えてないねえ。若かったと思うけど」
「何て言われました?」
「“ここにいちゃ駄目”って」
同じ存在ではない。
少なくとも姿は固定されていない。
「救助する役割だけが同じ?」
由奈が呟く。
冬真は別の可能性を考えた。
顔がないのではない。
事故の中にいる人が、“助けてくれる誰か”として認識しているだけ。
ならこれは人ではなく、結果に形を与える現象かもしれない。
「救助者って、怪異側?」
御厨が聞く。
「まだ分からない」
「便利な言葉だ」
「主任も最近使うでしょう」
「感染した」
「治療します?」
「お前が原因なら隔離だな」
「労災出ます?」
「出ない」
「じゃあ感染したままでいいです」
笑ったあと、冬真は少し怖くなった。
もし怪異が、人を助けることを覚えたのなら。
逆も覚える可能性がある。




