第33話 市の数字
桐森市役所は調査拡大に消極的だった。
「重大事故は一件も起きていません」
担当部長が言う。
「安全確認事業の導入後、住民からの特異現象相談件数は七割減っています」
「退去は三倍です」
冬真が返す。
「転居には家庭事情もあります」
「四十六件全部?」
担当部長はすぐには答えなかった。窓の外では、市役所前の旗がほとんど動いていない。
「久世さん」
新田が低い声で呼ぶ。
「数字で殴るなら、最後まで数字でやれ」
冬真は一度口を閉じた。
腹は立っている。だが、腹が立ったから正しい数字になるわけではない。
「分かりました。では転居理由の内訳をください。家庭事情で説明できる件数と、相談履歴のある件数を分けます」
部長が初めて冬真を正面から見た。
喧嘩を売りに来た若者ではなく、逃げ道まで数字で塞ぐ調査員を見る目だった。
「統計的な因果はまだ」
正しい言葉だった。
だから厄介だ。
会議後、新田が冬真を止めた。
「喧嘩しない」
「してません」
「顔がしてた」
「数字を都合よく使ってる」
「向こうから見れば、あなたも退去率だけで制度を疑ってる」
冬真は黙った。
「証明して」
新田が言う。
「相手を悪役にする前に」
市役所の会議室を出たあと、冬真は自販機の前で缶コーヒーを買った。
由奈が隣に立つ。
「怒ってます?」
「少し」
「市の人に?」
「自分にも」
退去率が高い。それだけで制度を疑った。
市側は相談件数が減った。それだけで制度を評価した。
使っている数字が違うだけで、やっていることは似ている。
「だから元データ見る」
「はい」
「数字に腹立てる前に」
「課長みたいになってきましたね」
「やめて」
その夜、由奈が相談データの元ファイルを見つけた。
件数が七割減った理由。
安全確認済証を交付した住宅からの再相談は、自動的に「一般生活相談」へ分類され、特異現象相談の統計から外れていた。
「減ってない」
冬真は画面を見る。
「分類が変わっただけだ」
市が数字を改ざんしたわけではない。
制度通りに分類した。
また、誰も完全には嘘をついていなかった。
◇ 安全な家で死んだ人
調査開始から五日目。
初めて死者が出た。
確認済証のある戸建て。
四十代男性。
階段から転落し、死亡。
警察の初見は事故。
冬真は現場へ入った。
玄関脇の確認済証。
強い違和感。
階段の途中。
床に血痕。
そこより一段上に、靴の跡が二つある。
一人分ではない。
「娘さんが言ってた二人目」
由奈が呟く。
冬真は階段を上る。
一歩遅れて足音。
今度は自分だけではない。
御厨の後ろにも、もう一つ足音がある。
「増えてる」
御厨が振り返る。
誰もいない。
冬真は確認済証を外した。
その瞬間、家中から音が戻った。
天井を転がるビー玉。
壁を叩く音。
水道のない場所から水滴。
全部、住人が過去に相談した内容と一致していた。
「証明書が蓋だった」
冬真は言った。
怪異を消していたのではない。
“安全”という結果で押さえつけ、見えなくしていた。
蓋が強くなるほど、中に残ったものも強くなる。
死者が出るまで。




