第32話 確認済証
足音は、止まると止まった。
歩くと一歩遅れてついてくる。
御厨が後ろにいる時は聞こえない。
冬真一人の時だけ。
「影みたいなもの?」
由奈が聞く。
「分からない」
家自体には強い残因がない。
代わりに、市が貼った安全確認済証の近くへ行くと違和感が増す。
玄関脇の小さなプレート。
特異災害影響確認済。
居住安全性に問題なし。
「これ、いつの制度?」
市職員が答える。
「二年前です。市独自の住宅安心事業で」
「都の制度じゃない?」
「補助事業です。都のガイドラインを参考に、市が認定しています」
冬真は認定手順を見る。
測定。
聞き取り。
履歴確認。
問題なし。
ただ一つ、最後の工程に独自項目がある。
『残留不安要因の解消確認』
「不安要因?」
「住民が感じる心理的不安も含めて安全宣言するためです」
冬真は眉を寄せた。
心理的不安を、行政が“解消済み”と判定する。
言葉として妙だった。
「確認済証が出た家、全部調べたい」
市職員の顔が固くなる。
「個人情報です」
「退去率だけでも」
「事業の評価に影響します」
御厨が横から言う。
「だから調べるんだろ」
市職員は黙った。
安全を証明する制度が、調査されることを嫌がっている。
冬真には、その方がよほど不安だった。
市の担当者は確認済証の説明を誇らしげにした。
住民の不安を減らす。
不動産価値の下落を防ぐ。
相談窓口の負担を減らす。
どれも目的としては悪くない。
「制度を作った人、善意ですよね」
由奈が言う。
「たぶん」
「また嫌なパターン」
「誰かが悪い方が楽だからな」
冬真は確認済証を指でなぞる。
問題なし。
この四文字は強い。
住民も、不動産会社も、行政も、次の判断をその四文字に乗せる。
もし間違っていた時、間違いも一緒に拡散する。
白昼断層の“出口”と少し似ている気がした。
正しいかどうかより、社会が同じ結果を採用すること自体に力がある。
◇ 怖くないことにした
確認済証を取得した住宅は百八十七件。
半年以内の退去、四十六件。
都平均の約三倍。
「偶然では厳しいですね」
由奈がデータを並べる。
さらに退去者への任意アンケートを取った。
共通する回答。
『理由は説明できない』
『事故はない』
『でも住みたくない』
冬真は一件の元住人と会った。
三十二歳の男性。
「市の人が来る前は、変な音がしてたんです」
「どんな?」
「夜中、天井からビー玉が転がるみたいな」
冬真は天井を見上げた。染みも亀裂もない。
「確認後は?」
「消えました」
「なら良くなった?」
男性は首を振った。
「音が消えたのに、もっと嫌になった」
「どうして」
「怖くないことにされたから」
冬真はその言葉を覚えた。
市の制度は、怪異を消していない。
“安全だと判断された結果”だけを強くしている。
住人が感じた違和感は、原因を調べられる前に無効扱いされる。
結果が原因を押し潰している。
「残因の逆?」
由奈が聞く。
「近い」
終わっていない事故では、原因が欠けた結果が残る。
ここでは、安全という結果を先に作ったせいで、原因が見えなくなっている。
冬真は初めて、自分の能力が“残ったものを見る”だけでは足りないと感じた。
消された原因を探さなければならない。




