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第29話 呼ばれたまま

十年前。


大規模停電で病院の一部が使えなくなり、地下三階の臨時区画へ患者を移した。


白昼断層の二年前。


まだ特異災害という概念が一般にはない時代。


停電は復旧。


患者も全員戻った。


翌年、地下三階は耐震改修で埋め戻された。


「じゃあ何が残ってる」


御厨が聞く。


冬真はナースコール記録を読む。


B3-12。


当時の患者一覧。


十二番ベッドだけ、移送完了時刻が空欄。


「患者は生きてる?」


由奈が調べる。


「はい。当時三十四歳、今四十四歳。退院済み」


「じゃあ未救出じゃない」


冬真は記録を見る。


患者は戻った。


でも誰が戻したか記録がない。


まただ。


結果はある。


原因がない。


水無月ホテルと同じ形。


「俺だけじゃなかった」


冬真が呟く。


「何が」


「原因なしで救出された人」


当時の患者へ連絡する。


冬真は「誰に助けられましたか」と手帳に書き、御厨へ見せた。


「無理なら俺が聞く」


「自分で聞きます。録音許可と、事実の確認から」


自分の八年間を押しつけないよう、一度息を整えてから電話をかけた。


男は電話口で長く黙ったあと、言った。


『誰かが来たんです』


「誰です?」


『救助隊の人だと思ってた。でも、顔が思い出せない』


冬真の指が冷たくなった。


八年前、自分を押し出した男。


同じ存在かもしれない。


◇ 顔のない救助者


四十四歳になった元患者、三宅聡と会った。


「変な話ですよ」


三宅は最初にそう言った。


「停電で真っ暗だった。ナースコールを何回押しても誰も来ない。しばらくして、男の人が来たんです」


「服装は?」


「救助服……だったと思う。でも後から写真を見ると違う気もする」


「顔は」


「覚えてない」


冬真と同じだった。


「その人、何て言いました?」


三宅は目を閉じる。


「“もう出ていい”」


冬真の背中が冷えた。


八年前。


自分が非常口から押し出された時も、似た言葉を聞いた。


『もう出ろ』


怪異が人を助けるのか。


それとも、別の誰かがいるのか。


御厨が質問する。


「その後、地下三階からどう出た」


「気づいたら一階ロビーでした」


移動の記憶がない。


冬真は残因を感じなかった。


三宅本人には何も残っていない。


残っているのは病院だけ。


「救助者が原因を作らず、結果だけ人を外へ出す」


由奈が小声で言う。


「善意ならいいんですけど」


冬真は答えなかった。


善意かどうかは、結果だけでは分からない。


「でも助かった人は、本物なんですよね」


由奈が言った。


「そこが面倒なんだよ」


「悪い怪異なら嫌えば済むのに」


「仕事が楽になるから?」


「気持ちが楽になります」


冬真は答えず、病院の白い床を見た。ワックスの光の中に、ベッドの古い車輪跡だけが薄く残っている。


誰かを助けたものを、危険だからというだけで切っていいのか。


終了点が見えた時、自分の手が迷わない保証はなかった。

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