第23話 生き残った理由
水無月ホテル旧址。
再開発された街区には、当時の面影がほとんどなかった。
ホテルがあった場所にはオフィスビル。
非常階段があった辺りは公開空地。
昼休みの会社員がベンチで弁当を食べている。
「普通ですね」
由奈が言った。
「普通だから困る」
冬真は敷地を歩いた。
違和感はない。
一周。
二周。
何もない。
「外れ?」
御厨が聞く。
「分からない」
冬真は当時の図面を重ねる。
ホテルの非常階段。
現在のビルの搬入口。
位置がほぼ同じ。
地下へ下りる。
四番搬入口。
シャッター前に立った瞬間、冬真の耳にベルが鳴った。
ジリリリリ。
膝が止まる。
「ここ」
御厨が先へ出ようとする。
「待って」
冬真は目を閉じた。
八年前。
自分は非常階段を下り続けた。
でも一度だけ、違う場所へ出た。
外ではない。
ホテルのバックヤード。
そこに救助隊員がいた。
その隊員が、冬真を非常口から押し出した。
「俺、自分で出たんじゃない」
「救助されたんだろ」
「違う」
当時の記録では、救助隊は異常消失後に進入したことになっている。
冬真が出た時、まだ異常は続いていた。
なら、あの男は誰だった。
真壁が古い救助記録を確認する。
「該当者なし」
冬真の喉が乾く。
生き残った理由が、初めて分からなくなった。
数時間前、旧址へ向かう電車の中で、冬真は八年前のホテル周辺をストリートビューで見た。
今は高層ビルと公園。
当時あったコンビニも、ラーメン屋もない。
自分だけが時間を止めていたわけではない。
「怖い?」
御厨が隣から聞く。
「少し」
「帰る?」
「帰らない」
「じゃあ十分」
御厨はそれ以上聞かなかった。
励ましの言葉もない。
冬真にはその方が良かった。
過去と向き合うことを大げさな儀式にしたくない。
ただ現場へ行き、測って、見て、危険なら止める。
八年前のホテルも、今の自分にとっては一件の未終結事案だ。
そう言い聞かせられるだけで、少し歩きやすくなった。
◇ 一件目
四番搬入口は、夜間閉鎖後に調査することになった。
午後十一時。
御厨、冬真、由奈、都局現場班二名。
シャッターが上がる。
中は普通の荷捌きスペースだった。
白い蛍光灯。
コンクリート床。
配送用台車。
冬真が奥へ進む。
ベルは聞こえ続けている。
他の誰にも聞こえない。
「右」
壁沿いに歩く。
何もないはずの場所で、エレベーターの到着音がした。
チン。
壁が開いた。
扉ではない。
コンクリートそのものが二つに割れ、古いホテルの廊下が現れる。
由奈が息を呑む。
「これ……」
「水無月ホテル」
冬真は知っていた。
壁紙の色。
焦げた絨毯。
非常灯。
八年前のままだ。
「入るか?」
御厨が聞く。
冬真は廊下を見る。
強い残因。
でも“入るな”ではない。
「行けます」
御厨が先頭に立つ。
五人が入る。
背後の壁は閉じなかった。
それだけで八年前とは違う。
廊下の先。
七階非常口。
冬真が手を伸ばす。
その前に、扉の向こうから声がした。
『こっちだ』
八年前、自分を押し出した男の声だった。




