第18話 間に合わない
二度目の異常は、昼間に起きた。
午後一時十二分。
十七階の消火設備が再作動。
同時に十九階の医療データセンターで電源警報。
「全館退避!」
御厨が無線を飛ばす。
ビル側が即座に反発した。
「十九階のデータセンターを落とせません! 近隣病院の画像診断データが――」
「人命優先だ」
「停止手順なしで落とせば医療側に影響が出ます!」
冬真は十七階の廊下を走った。
頭が痛い。
残因が強い。
床の水が上へ流れている。
古い消火区画が、現行システムへ重なろうとしている。
「全部止めなくていい」
冬真が言った。
御厨が振り向く。
「根拠」
「異常が伝わってるの、十七階から上下二フロアだけ。前回もそう」
「十九階は入ってる」
「だから十九を切らずに、十七の連動だけ切る」
設備技術者が首を振る。
「手動切離しには現地操作が必要です。旧機械室内」
「どこ」
「十七階北側」
そこは、今最も残因が強い場所だった。
冬真の視界では、三系統の黒い筋が一本に束ねられ、あたかも「一件の事故」であるかのように偽装されている。
冬真は思わず笑った。
「見つけた」
強い怪異ほど怖い。
だが、見切った瞬間だけは逆だった。
相手がA級でもS級でも、終了点が見えたなら冬真の仕事になる。
御厨が一歩出る。
冬真は腕を掴んだ。
「待って」
「時間ないぞ」
違和感がある。
機械室のドア。
開いた跡がない。
なのに中から水が出ている。
「正面から入るな」
「じゃあ?」
冬真は図面を見る。
隣の保守通路。
「裏から」
御厨は一秒だけ冬真を見る。
「了解」
もう理由を求めなかった。
二度目の警報が鳴る直前、冬真はビル一階のカフェで遅い昼食を取っていた。
サンドイッチ六百八十円。
「丸の内価格」
由奈が顔をしかめる。
「会社経費だろ」
「上限千円です」
「十分」
その時、館内放送が切り替わった。
避難準備。
店員の顔が一瞬で仕事の表情になる。
客はスマートフォンを持ち、出口を見る。
冬真は食べかけのサンドイッチを包んだ。
八億六千万の話をしていても、事故が始まる時はいつも突然だ。
「行きましょう」
由奈がもうタブレットを開いていた。
日常から現場へ切り替わる速さも、半年でずいぶん変わった。
◇ 切る場所
保守通路から旧機械室へ入った。
中は、水浸しだった。
ただし水は床へ落ちていない。
天井へ吸い上げられている。
御厨が声を低くする。
「触るなよ」
「分かってます」
旧連動盤。
三年前に無効化されたはずの回路ランプが点灯していた。
設備技術者が遠隔で指示する。
『端子B17-2を物理切離しできれば、上下階への連動は止まります』
御厨が盤へ近づく。
「待って」
冬真はまた止めた。
端子B17-2。
その横にB17-1。
現行図面では1が廃止、2が予備。
旧図面では逆。
「どっちを切ると、今の設備が止まる?」
『2です』
「旧設備なら?」
通信の向こうが沈黙する。
『……1です』
冬真は残因を見る。
この事故は旧仕様で動いている。
「1を切って」
『現行設備上は意味がありません』
「だから切る」
御厨が迷わず工具を入れた。
B17-1。
切断。
天井へ昇っていた水が、一斉に落ちた。
床へ。
普通の重力に従って。
警報が止まる。
『十九階、電源安定!』
無線から声が飛ぶ。
冬真は壁にもたれた。
頭痛がひどい。
御厨が肩を支える。
「立てるか」
「給料分は」
「そういう時まで金の話するな」
「現実確認です」
御厨が笑った。
冬真も少しだけ笑った。
八億六千万の事故の真ん中で、自分の月給を考えている。
それくらいが、ちょうど良かった。




