第12話 止めれば一億
午前三時。
地下鉄運行本部との緊急会議が始まった。
議題は単純だった。
朝、この駅を開けるか。
「全線停止はあり得ません」
運行本部の担当者が言う。
「この区間を始発から二時間止めれば、振替輸送込みで直接損失は最低一億。社会影響はそれ以上です」
冬真はモニター越しに数字を見る。
一億。
自分の年収を三十回積んでも届かない。
「でも開けて人が死んだら?」
御厨が聞く。
「だから判断をお願いしています」
視線が冬真へ来る。
胃が重くなった。
「俺?」
御厨が平然と言う。
「呼ばれたのはお前だ」
「C級はまだ閲覧だけです」
「現場意見は言える」
新田がリモートで割り込む。
『久世。怖いのは分かる。でも“何となく危ないから止める”はもう卒業』
「分かってます」
『止めるなら、どこを、何分、何のために止めるか言いなさい』
冬真は駅図面を見る。
異常が出ているのは一つの改札。
足跡は一番古い連絡通路へ向かう。
ホーム全体ではない。
十七年前の避難記録。
火災時、避難対象は百二十七人。うち百二十六人がA出口へ誘導された。
残る一人の職員は、途中で別の出口へ回された。
避難したのは百二十七人。だが今、改札ログは百二十八を示している。
「一億はいらない」
冬真が言った。
「何?」
「全線を止める必要ないです」
図面を指す。
「この連絡通路だけ。始発前に七分ください」
「七分で何をする」
「百二十八人目を、外に出す」
説明としては最悪だと思った。
でも御厨は立ち上がった。
「場所を示せ」
運行本部の担当者がまだ迷っている。
新田が言った。
『七分なら、私が会社として意見書に乗せる』
「失敗したら?」
冬真が聞く。
『一緒に怒られる』
「それだけ?」
『失敗した時の話は、成功させてから考えなさい』
通話が切れた。
冬真は少し笑った。
残業は嫌いだ。
責任も嫌いだ。
でも、誰かと分けられる責任なら、立っていられる。
一億という数字には、まだ足がすくむ。けれど新田は七分なら意見書に乗せると言ってくれた。
冬真は端末を伏せた。自分の判断を、逃げずに現場で確かめるしかない。
由奈が言った。
「課長、最近久世さんの扱い雑になりましたね」
「前から」
「信用が増えると説明が減るタイプなんですかね」
冬真は少し考えた。
それなら悪くない。
全部教えてもらう立場から、自分で決める立場へ移っているだけかもしれない。
◇ 七分
午前四時五十六分。
始発準備が始まる。
冬真たちは旧連絡通路前に立っていた。
封鎖時間は七分。
四時五十八分から五時五分まで。
それを越えれば、始発運行に影響が出る。
「七分で終わらなかったら」
由奈が聞く。
「延長する」
「さっき格好よく七分って言ったのに」
「人命より格好優先したら終わりだろ」
御厨が笑った。
「それでいい」
四時五十八分。
旧通路のシャッターが開く。
中は工事用パネルで半分塞がれていた。
十七年前の火災後、動線変更で使われなくなった場所だ。
冬真が一歩入る。
頭の奥が重くなる。
残っている。
「ここ」
壁際に古い非常口サインがある。
矢印は右を指している。
現在の出口は左。
「昔の誘導表示?」
由奈が資料を確認する。
「火災の翌年に変わってます」
冬真は十七年前の避難記録を思い出す。
百二十六人は右へ。
一人だけ職員が左へ行き、機械室を確認してから退避。
記録上、その職員は避難完了欄に二重登録されていた。
一人なのに、二人分。
「百二十八人目って、人じゃない」
「じゃあ?」
「二重に残った“避難した結果”」
改札の入場数が増え続ける理由。
出ていく結果を、入場として処理している。
「どう閉じる」
御厨が聞く。
冬真は古い矢印を見る。
「一回、昔の通りに避難を終わらせる」
「誰が」
「俺たち」
由奈が時計を見る。
「あと五分です」
冬真たちは右へ走った。




