第108話 帰国便は飛ばない
港の貨物ヤードでは、存在しない浸水を示す赤い警報が、コンテナ番号を一つずつ飲み込んでいた。
実際の地面は乾いている。それなのに自動搬送車は水没扱いの区画を避け、出口のない通路へ向かっていく。
「止めてください。作業員が一人、通路の向こうにいます」
林が日本語で叫んだ。
「俺が出す」
御厨は柵を越え、作業員へ手を振った。避難する足を一歩でも間違えれば、無人搬送車に挟まれる。
冬真は移動し続ける黒線へ手を伸ばした。
「留因」
指先の奥が焼ける。線は止まったが、終わったわけじゃない。御厨が作業員を抱えて通路を抜け、林の班が搬送装置を手動停止へ切り替える。
「制御元、旧港湾契約の終了記録です!」
林の声がイヤホンに飛び込んだ。残因の向こうで、白い一点がようやく見える。
「御厨さん、出た?」
『出た。切れ』
「ここで終わりだ」
断因。
赤い警報が一枚ずつ消え、構内の搬送車が静止した。残っていたのは、御厨が作業員へ水を渡す音だけだった。
能力だけなら冬真のものだ。九十秒を使える時間へ変えたのは、林と御厨と現地班だった。
林の端末が震えた。港の終了表示の下に、市中心部の商業ビルから新しい報告が重なっている。
『B2の水没判定、まだ解除されていません。電力も保険の自動停止も、そのままです』
冬真はあのロビーにいた客と、食材の箱を運び出していた店員を思い出した。
「港の線を切っても?」
『少なくとも、ビルの表示は戻っていません』
林は報告を送ってきた管理会社へその場で電話をかけた。何度か短く相づちを打ち、聞き終えてから冬真に向き直る。
『地下二階は立入禁止のまま、現地の設備班が確認を続けます。店も今日の再開はできません。明日の状況は私が受け取ります』
「頼む。今の俺には、あそこを切る場所が見えてない」
林は頷き、端末の報告を閉じずに残した。
港では、今できることを終えた。冬真たちは予定の帰国便に間に合うよう空港へ向かった。
そして帰国便が欠航した。
「何で」
冬真は出発案内を見上げる。
機材故障。
怪異ではない。
「切れませんね」
林が少し嬉しそうに言う。
「普通の故障に断因使えたら便利なんですけど」
「使うな」
御厨に止められた。
ホテルへ戻る途中、林は駅前で足を止めた。
「次に来る時は観光で」
「次ある前提?」
「事故で来ないなら」
「それはそう」
冬真は少し考える。
「マーライオン見てない」
「そこですか」
「シンガポール来たのに」
御厨が横から言う。
「仕事だ」
「一時間くらい」
「欠航しなきゃ今頃空港だった」
「怪異じゃなく機材故障に予定潰された」
林が笑う。
「普通のトラブルの方が強い時あります」
林は改札へ向かい、振り返らず手だけ上げた。
その言葉は妙に残った。
能力があっても、飛行機は直せない。
人間の予定は怪異以外にも簡単に崩れる。
航空会社が用意したホテルへ戻る。
由奈へ連絡すると笑われた。
『海外出張、延長ですね』
「手当つく?」
『そこ聞くと思った』
「大事」
『新田課長がもう確認してます』
「さすが」
エレベーターを待っている間、冬真のスマホに知らない番号からメッセージが届いた。
英語。
《YOU HELD IT.》
続けて日本語。
《九十秒。思ったより長い》
冬真の笑顔が消えた。
「御厨さん」
「何だ」
「見られてた」
次のメッセージ。
《断因だけなら怖くなかった》
添付画像。
港で黒線を掴んでいる冬真の背中。
現場関係者しか入れない位置から撮られていた。
「林さんに確認を頼みます」
冬真は写真を林へ転送した。現場の立入記録なら、林の班に残っているはずだ。




