第104話 濡れていない水没
翌朝、シンガポール側は事故終了を発表した。
冬真はホテルの朝食会場でそのニュースを見た。
「終わってない」
パンを持ったまま言う。
由奈がビデオ通話の向こうで眉を上げる。
『昨日切ったんじゃないんですか』
「地下線は終わった」
『その言い方嫌なやつ』
「腕時計の線が残ってる」
御厨が隣からソーセージを一本取る。
「それ俺の」
「皿に五本ある」
「数の問題じゃない」
『朝から平和ですね』
「人のソーセージ取られてます」
『国家案件より小さい』
「生活では大きい」
林から連絡が入った。
市中心部の商業ビル。
地下二階に水没警報。
現場へ着くと、警報だけが鳴っていた。
水はない。
それなのに、エレベーター表示は《B2 FLOODED》。
監視カメラには、人々が胸まで水に浸かって歩く姿が映っている。
現実の床は乾いている。
「結果だけ先にある」
冬真が言う。
地下線と同じ。
ただし今度は人ではなく、機械と記録が“水没したこと”になっている。
保険システムも自動停止。
ビルの電力供給も切断。
テナントは営業不能。
怪異は人を殺していない。
街の機能だけを殺している。
「これ、切れば終わる?」
林が聞く。
「まだ」
黒線は複数の会社システムへ伸びている。
冬真は舌打ちした。
「事故の終わり方を、街の方が先に決めてる」
商業ビルのロビーには、営業停止を知らずに来た客が何人もいた。
警備員が頭を下げ続けている。
『水もないのに水没で休業って、説明できないですね』
由奈が画面越しに言う。
「俺でも説明できない」
「専門家」
「専門家ほど分からないって言う仕事です」
御厨が横で笑う。
テナントの飲食店から、廃棄になる食材の箱が運び出される。
怪我人はいない。
それでも損失は増える。
冬真は黒線を見る。
人が死なない怪異は軽いのか。
そんなことはない。
生活を止めるだけでも、事故は十分に人を削る。
だから“終わった”の判断を誰かが売買できることが、急に現実的な怖さを持った。
誰かが“終了”を利用している。




