第103話 日本語で終わらせる
二時十六分五十秒。
ホームには冬真、御厨、林の三人だけが残った。
現地消防は階段上。
医療班は改札外。
「十秒」
林が言う。
冬真は手袋を外した。
「何で外すんです?」
「癖」
「合理的な理由は?」
「ないです」
御厨が笑う。
「そういうのもある」
二時十七分。
空気が変わった。
音が一つ減った。
空調は動いているのに、風の音だけが消える。
次の瞬間、冬真の靴下が冷たくなった。
「来た」
床は乾いている。
ズボンの裾だけが濡れていく。
水が存在せず、濡れた結果だけが人間へ付着している。
残因が一斉に濃くなる。
「出口二七二」
冬真は表示板を見る。
そこから伸びる黒線を追った。
線路の向こう。
保守用扉。
さらにその先。
終点が見えた。
「行く」
御厨が先に動く。
「俺が前」
「分かってます」
二人で扉を抜けた。
狭い保守通路の奥に、黒い樹脂バンドが落ちている。
日本で見たものと同じ。
ただし番号は違った。
SG-TM-02。
冬真が触れた瞬間、白い点が浮かぶ。
見切った。
「ここで終わりだ」
林が後ろから叫ぶ。
「English?」
「いらない」
冬真は断因を落とした。
黒線が切れる。
濡れていた裾から、一滴だけ床へ水が落ちた。
今までなかった水が、最後に初めて現実へ戻る。
空調の音が戻った。
林がしばらく黙っている。
「今、何と言った?」
「ここで終わりだ」
「意味は?」
「終わらせる時に言うだけです」
「必要?」
「気分です」
御厨が肩をすくめた。
「こいつ、海外でも変わらんな」
冬真はSG-TM-02を拾った。
終わった。
でも、腕時計から伸びる別の黒線だけは消えていない。
断因の直後、林はすぐ現場確認へ走った。
冬真はその場に残り、濡れていたズボンの裾を触る。
もう冷たくない。
なのに靴の中だけ不快に湿っている。
「着替え持ってきたか」
御厨が短く聞いた。
「ホテル」
「現場用」
「ない」
「海外なめてる」
「そこまで?」
「靴下は二足持て」
「何で御厨さん、そういう生活知識だけ具体的なんですか」
「救助隊なめんな」
林が戻ってくる。
「全計器、正常。医療班も問題なし」
仕事の声だ。
でも最後に、少し笑った。
「本当に終わるんですね」
冬真はその言い方に、初めて海外へ来た実感を持った。
自分には当たり前になりつつあることを、知らない場所で初めて見た人がいる。
冬真たちの乗った車は、空港ではなくシンガポールの市街へ向かっていた。




