第10話 閉じる条件
都局、消防、建物所有者、設備会社。
四者立会いで、古い設備台帳の訂正が行われた。
ただ紙を書き換えるだけではない。
現場で切断済み配管を確認し、旧経路を物理的に完全封鎖。新しい図面番号を発行し、消防設備図、賃貸管理図、保険評価資料まで同一状態へ更新する。
「こんなので止まるのか」
御厨は半信半疑だった。
「俺もです」
「自信持て」
「持てる材料がない」
冬真は最後の更新時刻を待った。
午後四時三十二分。
消防設備データベースの旧図面が失効。
同時に、配管井の奥から鳴っていた通知音が止まった。
空気が変わる。
冬真の頭の奥にあった薄い圧迫感が消えた。
冬真の視界で、玄関、配管、不在票、再配達記録を結んでいた黒い筋が一本に収束した。
終了点は、古い郵便受けの内側。
冬真は手を入れ、錆びた金属板へ指を当てる。
「断因」
ぱき、と誰にも聞こえない音がした。
空室に残っていた呼吸音が途切れ、壁の内側を這っていた気配が消える。
「……閉じた」
「分かる?」
「はい」
御厨が鉄板を叩く。
何も起きない。
管理会社の担当者が安堵の息を吐いた。
「これで募集再開しても?」
冬真は少し考えた。
「D級監視を三十日。再発なしなら」
「今日からじゃ駄目なんですか」
「二人死んでます」
担当者は黙った。
新田が横から言う。
「三十日分の空室損失、うちの追加調査契約に含めて相談できます」
その一言で話が現実に戻る。
冬真は少し笑った。
怪異を閉じても、家賃は閉じない。
帰り際、御厨が言った。
「久世」
「はい」
「今の、使えるな」
「何が」
御厨は閉鎖済みになった表示を顎で示した。
「怪異を殴らずに終わらせるやつ」
「殴れる人はそういう言い方するんですね」
「お前は殴れないからな」
冬真は焼けた壁を見た。
「事実ですけど腹立つ」
御厨が笑った。
冬真は気づいた。
最初の現場では、この男が笑うところを想像できなかった。
関係も、少しずつ更新されている。
設備台帳を訂正するためだけに、四社と二部署の承認が必要だった。
由奈が申請画面を見てうんざりする。
「怪異を倒す方が早そう」
「倒せるならな」
「御厨主任、出番です」
「書類は殴っても通らない」
御厨が本気で嫌そうな顔をした。
冬真は少し笑った。
異常を閉じる条件が“記録を現実に合わせる”なら、この面倒な承認も退魔の一部だ。
誰か一人が勝手に図面を書き換えても意味がない。
消防も、所有者も、管理会社も、設備会社も、同じ現実を採用する。
全員の記録が揃った時、初めて古い結果が居場所を失う。
面倒だが、社会で怪異を終わらせるというのは、たぶんこういうことだった。
◇ 未終結
二〇七号室の案件が正式に閉じた翌週。
冬真の社員証に、一日限定のC級資料閲覧権限が付いた。
「報奨ですか」
「研修」
新田はそう言った。
「どっちでもいいです」
「浮かれないで。閲覧だけ。保存、印刷、外部送信は禁止」
「分かってます」
冬真は端末の前に座った。
検索欄へK-0317。
今度は、一覧が開いた。
十七件。
北区マンション。
中野区共同住宅。
商業施設。
学校。
地下鉄設備。
病院。
種類も場所もばらばらだった。
共通するのは、古い暫定復旧コードだけ。
冬真は一件ずつ開く。
事故概要。
復旧日。
認定等級。
そして、これまでD級画面では表示されなかった項目。
因果閉鎖確認。
ほとんどの案件は「済」。
K-0317の十七件だけ――
未確認。
なのに復旧状態は、全件「完了」。
「どういうことです?」
由奈が横から覗く。
「システム上、矛盾してます」
「昔は因果閉鎖確認が必須じゃなかった」
新田が後ろから答えた。
「だから復旧完了だけ先に立った」
冬真は十七件目を開く。
水無月ホテル事案。
発生日、八年前――二〇一八年二月。白昼断層の四か月前に起き、制度整備後に旧事案として遡及登録された記録だった。
自分の名前が「生存者」の欄にある。
指が止まった。
その下に見慣れない赤字表示。
復旧完了。
因果閉鎖未確認。
さらに、システムが後年自動付与した補助フラグ。
未終結候補。
冬真は椅子の背にもたれた。
八年間、自分はあの事故から生き残ったと思っていた。
でも事故の方は、自分から終わっていなかった。
画面右下に、新規事案通知が点滅した。
場所。
東京都内某地下鉄駅。
内容。
終電後の改札で、存在しない乗客の入場記録が増え続けている。
暫定関連コード。
K-0317。




