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星屑の値段  作者: tm
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第3章「石の口が語る」/一 白灯

 雨は、昼過ぎから降りはじめた。

 辺境の雨は、王都の雨とは違う。王都の雨は石畳を叩いて流れていくが、ここの雨は土に染みて、土を泥に変え、泥を足首まで這い上がらせる。一刻も歩けば、長靴の中まで水が入ってくる。二刻歩けば、もう自分の足がどこまでで、泥がどこからなのか分からなくなる。

 マリカ・アシュは、その泥の中を三刻歩いていた。

「止まるな」

 振り返らずに言った。

 後ろで、小さな足音が一度だけ乱れて、また揃った。

「……すみません」

 か細い声が返ってくる。今日だけで、たぶん四十回は聞いた言葉だ。

 マリカは舌打ちをしかけて、やめた。舌打ちをすると、後ろの娘はもっと小さくなる。小さくなると、歩みが遅くなる。遅くなると、追いつかれる。

 理屈で、舌打ちをやめた。そういうことにしておいた。

 イオリ、という名の娘だった。

 十四歳。痩せて、黒髪で、その黒髪は根元から先へ行くにつれて色が抜け、毛先はほとんど硝子のように透き通っている。いまは雨避けの頭巾を深くかぶらせているから、その毛先は見えない。見えない方がいい。

 足は裸足だった。

 靴は与えた。三日前、依頼を受けたその日に、辺境の町の革屋で一番小さいものを買ってやった。娘は礼を言って受け取り、半日だけ履いて、それから荷袋にしまった。

「靴だと、地面が分からないんです」

 と、娘は言った。申し訳なさそうに。

 マリカは、分からなくていいだろうと言いかけて、やめた。この娘が「分からない」ことを恐れる理由を、そのうち聞くことになるだろうと思ったからだ。まだ聞いていない。聞く気もない。仕事は、荷を運ぶことで、荷の身の上を聞くことではない。

 そう決めて、三日が経った。

 決めたことが、少しずつ泥に沈んでいく気がしている。


          ◆


 依頼が来たのは、辺境の宿場町ブレスの、赤鎖の出張所だった。

 出張所といっても、宿の二階の一室を借りているだけである。王国の辺境では、自由都市同盟の傭兵ギルドは表立って看板を出せない。出張所の窓口には、ドミニク・レイルの書いた依頼書が、封をされて届いていた。

 ドミニクは、マリカの依頼だけは自分で選ぶ。その理由を訊いたことはない。訊けば答えるだろうが、答えを聞いたら、次から断りにくくなる気がした。

 依頼書は、短かった。


 ——十四歳の少女一名の護送。行き先はカルネイア本部。依頼人は匿名。報酬は通常の四倍。前金半額。追手は聖典教会の聖遺回収隊と推定。


 そして末尾に、ドミニクの字で一行。


 ——君が断っても、私は驚かない。


 マリカは、その一行を読んで、依頼書を受け取った。

 四倍の報酬に目がくらんだわけではない、と思いたい。ドミニクが「断っても驚かない」と書くときは、断ってほしくないときだ。それくらいは、二年の付き合いで知っている。

 そうして預かった荷が、裸足の娘だった。


          ◆


「マリカ」

 低い声がした。

 前を歩いていた男が、足を止めていた。

 クロウである。

 黒髪に、白く抜けた一房。日焼けした頬に、古い傷がいくつも走っている。雨に濡れても、表情が少しも変わらない。三年前、大崩落の落下地点でマリカが拾った男だ。拾ったときは死体だと思った。触ってみたら温かかったので、担いで帰った。それ以来、なぜか一緒にいる。

「どうした」

「右の林。三つ」

 マリカは、右を見なかった。

 代わりに、自分の右肩に意識を向けた。

 革鎧の下、肩の骨の上に刻んだ紋が、じわりと熱を持つ。紋名、烙印。一度触れた相手の居場所を、三日間だけ追うことができる。

 二日前、宿場町の外れで、聖遺回収隊の隊長とすれ違った。白い外套に、教会の印を刺繍した男だった。すれ違いざまに、マリカはよろけたふりをして、その男の肩に手をついた。すみませんね、と頭を下げた。男は汚いものを払うように肩を払い、そのまま行った。

 払っても、無駄だ。烙印は、服の上からでも付く。

 意識を向けると、瞼の裏に、ぼんやりとした光点が浮かぶ。方角と、おおよその距離。光点は、ここから西へ、半里ほど。昨日より近い。それも、ずっと近い。

「隊長は、半里後ろ」

 マリカは言った。

「林にいるのは、先遣か。斥候だね。三人なら、まあ」

「斬るか」

 クロウが訊いた。

 訊き方が、晩飯の献立を訊くのと同じだった。

「斬らない」

 マリカは即答した。

「斬ったら、隊長が本気になる。本気になった教会は、しつこいよ。三人斬って、三十人に追われるのは割に合わない」

 クロウは、しばらく右の林を見ていた。それから、頷いた。

「分かった」

 それだけだった。この男は、斬れと言えば斬るし、斬るなと言えば斬らない。命令を受けることに、慣れすぎている。どこでそれを覚えたのか、本人も知らない。

 マリカは、後ろを振り返った。

 イオリが、泥の中に立っていた。頭巾の下で、顔が青い。自分の両腕を、身体に巻きつけるように抱いていた。

「イオリ」

「……はい」

「寒いか」

「大丈夫です」

 嘘だ、とマリカは思った。唇が紫色になっている。

 だが、それだけではなかった。

 頭巾の陰、頬の端が、ほんのわずかに光っていた。雨雲の下の薄暗がりで、蛍のような、淡い光。

 星の子の肌は、日に当たると光る。そう聞いていた。日に当たらなくても、身体が弱ると、中に宿した星屑が勝手に明るくなるらしい。それは、夜の林の中では松明を掲げているのと同じことだ。

「……すみません」

 娘は、マリカの視線に気づいて、頬を手で覆った。

「止めようとしてるんですけど、止まらなくて」

「謝るな」

「でも」

「あんたが光るのは、あんたのせいじゃない。雨のせいだ。寒さのせいだ。三日も泥を歩かせた、あたしのせいだ」

 イオリは、何か言いかけて、口を閉じた。

 マリカは、自分の外套を脱いで、娘の頭からかぶせた。革の外套は重く、濡れていて、娘の身体がその下にすっぽりと隠れた。

「前金の分は、あたしが雨に濡れる」

 娘は、外套の下から、マリカを見上げた。

 虹彩に、星屑と同じ光の粒が浮かんでいた。小さな夜空が、二つ、そこにあった。

「……ありがとうございます」

「礼もいらない。それも前金に入ってる」

 マリカは前へ向き直った。

「クロウ。この辺に、夜を越せる場所は」

「一つある」

 クロウは、北を指した。

 雨の向こうに、丘がひとつ見えた。丘の上に、低い石造りの建物が長く横たわっている。窓がいくつも並び、その幾つかに、ぼんやりと灯が点っていた。

 屋根の上に、教会の印を掲げた鐘楼があった。

「療養院だ。白灯っていう」

「教会の施設じゃないか」

「そうだ」

 クロウは、顔色ひとつ変えずに言った。

「だから、教会の犬は、あそこを探すのを嫌がる」

 マリカは、丘の上の灯を見た。

 療養院。星蝕患者の、最後の行き場所。

 元従軍看護婦として、彼女はそういう場所をいくつも知っていた。知っていて、なるべく近づかないようにしてきた。近づくと、自分がなぜ軍を捨てたのかを、思い出す羽目になるからだ。

 だが、クロウの言うことには理があった。

 聖遺回収隊は、教会の中でも荒事専門の連中だ。彼らは星屑を回収する。星蝕患者は、回収の対象ではない。むしろ、触れたくないものだ。星蝕は伝染しないと、教会自身が説いている。それでも、透き通った腕や、軋む顔を見て平気でいられる者は少ない。回収隊の男たちが療養院の寝台の間を歩き回り、一つずつ毛布をめくって確かめる姿は、どうにも想像しにくかった。

「……一晩だけだ」

 マリカは言った。

「夜明け前に出る。追手を撒いたら、それでいい」

「分かった」

 クロウは頷き、丘へ向かって歩き出した。

 マリカは、外套の下の娘の肩を押した。

「行くよ」

「はい」

 小さな裸足が、泥を踏んだ。

 右肩の紋が、また熱を持った。瞼の裏の光点が、ほんの少し、こちらへ動いた気がした。

 マリカは、左耳の金環に指で触れた。

 十九個。賞金首を一人獲るたびに、一つずつ増やしてきた。これは獲る仕事ではない。運ぶ仕事だ。だから、無事に運び終えても、環は増えない。

 増えない仕事の方が、なぜか重い。

 マリカ・アシュは、それが気に入らなかった。


          ◆


 療養院の門を叩くと、中から女の声がした。

「開いてますよ。鍵なんて、とっくに壊れてます」

 押すと、門は重たげに軋んで開いた。

 玄関の広間に、修道女がひとり立っていた。

 小柄で、丸みのある体つき。頭巾を深くかぶり、修道服の裾は膝まで泥で汚れている。片手に燭台、もう片手に、湯気の立つ手桶を提げていた。どこかの病室へ運ぶ途中だったらしい。

 修道女は、三人を順に見た。

 濡れ鼠の賞金稼ぎ。表情のない剣士。そして、重たい革の外套にくるまれた、小さな影。

 その影の、外套の裾から覗いた裸足の爪先が、薄く光っていた。

 修道女の目が、そこで止まった。

 ほんの一瞬だった。それから、何事もなかったように顔を上げた。

「院長のハンナ・ベルクです。寝台は空いてません。床なら、どこでもどうぞ。濡れたものは、厨房の竈の前に。それから」

 彼女は、手桶を少し持ち上げてみせた。

「わたし、これから東棟の三号室に行かなきゃいけないんです。話は、あとで」

 それだけ言って、ハンナは広間の奥へ歩いていった。

 マリカは、その背中を見送った。

 何も訊かなかった。どこから来たのかも、誰に追われているのかも、外套の下の娘が何なのかも。見た上で、訊かなかった。

「……話が早い女だね」

 マリカは呟いた。

 クロウは、何も言わなかった。


          ◆


 竈の前で服を乾かし、イオリに湯を飲ませ、厨房の隅で眠らせた。娘は横になった途端、糸が切れたように眠った。外套の下で、頬の光がゆっくりと鈍くなっていく。体温が戻ってきたのだろう。

 クロウは、厨房の戸口に座り込んで、外の雨を見ていた。見張りのつもりらしい。頼んではいない。いつものことだ。

 マリカは、眠れなかった。

 眠れない理由は、分かっていた。

 療養院の夜は、静かではない。

 壁の向こうから、呻き声が聞こえる。一つではない。いくつもの声が、低く、高く、途切れては繋がり、繋がっては途切れる。寝台の軋む音。誰かが誰かの名を呼ぶ声。そして、その合間に、何か硬いものが擦れ合う、かすかな音。

 結晶化した関節が、寝返りのたびに立てる音だ。

 マリカは、その音を知っていた。王国軍の野戦病院で、何百回と聞いた。

 彼女は、立ち上がった。

「どこへ行く」

 クロウが、振り向かずに訊いた。

「便所」

「右の廊下の奥だ」

「なんで知ってるんだよ」

「匂いで分かる」

 マリカは、便所には行かなかった。

 廊下を東へ歩いた。呻き声の多い方へ。


          ◆


 東棟の病室は、細長い部屋に寝台が二列に並んでいた。二十床ほど。燭台がひとつだけ、部屋の中央に置かれている。

 その薄暗がりの中に、ハンナがいた。

 奥から三番目の寝台の脇に膝をつき、そこに寝ている老人の手を握っていた。

 老人の手は、手首から先が透き通っていた。燭台の明かりが、その透けた指を通って、床に淡い影を落としている。老人は歯を食いしばり、喉の奥から、獣のような声を漏らしていた。

 星蝕の痛みは、結晶化そのものではない。

 結晶と、まだ生きている肉との境目が痛む。境目が進むたびに、生きた神経が石に食われていく。その痛みは、野戦病院の軍医たちの言葉を借りれば、「焼けた針を骨に沿って一本ずつ差し込まれる」ようなものだという。

 ハンナは、老人の手を、両手で包んでいた。

 その掌に、紋があった。

 燭台の光では、形まではよく見えない。ただ、掌の中央から、ぼんやりとした、蝋燭の芯のような橙の光が滲み出していた。その光が、老人の透けた指へと、ゆっくり流れ込んでいく。

 老人の呻き声が、少しずつ、小さくなった。

 食いしばっていた歯が、緩んだ。喉の奥の声が、長い息に変わった。やがて、老人は目を閉じ、寝息を立てはじめた。

 ハンナは、それでもしばらく手を離さなかった。

 離したとき、彼女は自分の掌を見下ろした。

 マリカも、それを見た。

 修道女の掌は、白く濁っていた。

 透き通っているのではない。濁っている。牛乳を垂らした水のように、皮膚の下が白く曇り、そこだけが体温を失ったような色をしている。その濁りは、掌だけではなく、指の付け根から手首の方へと、滲むように広がっていた。

「見てたんですか」

 ハンナが、振り向かずに言った。

「……悪いね」

「別にいいですよ。見て面白いものでもないでしょうけど」

 修道女は立ち上がり、膝の埃を払った。

「灯芯っていう紋です。痛みを、何刻か、先に送れる。治すんじゃありません。先送りです。明日の朝には、あのおじいさんはまた痛がります。そしたら、また握ります」

「送った痛みは、どこへ行くんだ」

 マリカは訊いた。

 訊いてから、訊くべきではなかったと思った。答えは、目の前の掌に書いてある。

 ハンナは、少しだけ笑った。

「どこへも行きませんよ。わたしの手に溜まるだけです」


          ◆


 厨房に戻る前に、マリカは東棟の残りの寝台を、ハンナと一緒に回った。

 頼まれたわけではない。気がついたら、修道女の後ろについて、手桶を持っていた。汚れた包帯を剥がし、湯で拭い、新しい包帯を巻く。結晶と肉の境目は、特に丁寧に。そこが一番、膿みやすい。

 手が、勝手に動いた。

 五年ぶりだった。それなのに、指は包帯の巻き方を少しも忘れていなかった。

「看護の心得があるんですね」

 ハンナが言った。

「昔、ちょっとね」

「軍ですか」

「……なんで分かる」

「包帯の端を、内側に折り込むでしょう。あれ、軍の巻き方なんです。修道院では、外に結びます。外に結んだ方が、次の人がほどきやすいので。軍では、ほどけない方が大事なんですよね。患者が走るから」

 マリカは、自分の手元を見た。

 確かに、折り込んでいた。

「……逃げたんだよ」

 口が、勝手に動いた。

「星蝕の兵を、戦力外だって置いてけって命令が出てさ。置いてけって言われたの、三十人くらいいたかな。あたしは、置いてかなかった。そしたら今度は、あたしが置いてかれた。だから逃げた。それだけ」

「それだけ、ですか」

「それだけだよ」

 ハンナは、何も言わなかった。

 ただ、次の寝台の患者の包帯を、マリカに渡した。

 外に結ぶやり方で巻いてみた。慣れないので、少し不格好になった。


          ◆


 夜半、二人は厨房の竈の前で、酒を分けた。

 ハンナが、戸棚の奥から出してきた安い蒸留酒である。修道院の備品台帳には「消毒用」と書いてある、と修道女は悪びれずに言った。

 イオリは、まだ眠っていた。クロウは、戸口で同じ姿勢のまま雨を見ていた。

「この院だけで、二百四十床あります」

 ハンナが、杯を傾けながら言った。

「去年は百八十でした。その前の年は、百五十。毎年増えてます。教会の本部には、毎年、報告書を出してるんですけどね。患者が増えてます、薬が足りません、って」

「返事は」

「来ますよ。毎年、同じ返事が。『聖遺の配分は、全国の状況を鑑みて適正に行われている』」

 ハンナは、杯を空にした。

「雫級の星屑を、月に四十粒。それが、この院に配られる薬の全部です。二百四十人に、四十粒。砕いて、薄めて、薄めて、それでも一人に行き渡るのは、十日に一度。残りの九日は、わたしの手です」

「効くのか。その薬は」

「効きますよ。飲ませて四半刻もすると、濁りかけた指の、白いところが薄くなる。曲がらなくなってた関節が、また少し曲がるようになる。痛みも引く。……透けきったところは、戻りませんけどね。戻らないけど、濁りが止まってる間は、それ以上は進まない」

 ハンナは、竈の火を見たまま言った。

「ただ、効くのは、半日です。毎日、朝と晩に飲めば、たいていの人は、寝台から起き上がって暮らせる。十日に一度だと、九日のあいだに、薄めた分がまた濁る。濁って、その先まで透ける。——ここの人たちは、薬が足りなくて透けていくんです。星蝕だからじゃなくて」

 彼女は、濁った掌を、竈の火にかざした。

 火の色が、白い濁りの中で、橙に揺れた。

「……痛くないのか」

「痛いですよ」

 ハンナは、あっさりと言った。

「最初の頃は、夜も眠れませんでした。今は、慣れました。慣れるんです、人間って。慣れちゃいけないものにも」

 マリカは、自分の杯を見下ろした。

 酒は、ほとんど減っていなかった。彼女は酒に弱い。弱いのに、飲む。今夜は、なぜか一口目から喉を通らなかった。

「わたしの先生がね」

 不意に、ハンナが言った。

「昔、言ってたんです。星屑は、民の手に触れさせちゃいけないって。触れさせずに、必要なところへ、確実に届けるんだって。わたし、子どもの頃、それを聞いて、この人は正しいと思いました」

「今は」

「今も、正しいと思ってますよ」

 ハンナは、空の杯を指で回した。

「正しいことを言ってた人が、どこで間違えたのか。それが分からないから、わたしはここにいるんだと思います。一番、患者が多いところに」

 それ以上、修道女は先生の話をしなかった。

 マリカも、訊かなかった。

 代わりに、ハンナは、厨房の隅で眠る娘の方へ目をやった。外套の下で、頬の光はもう、ほとんど消えていた。

「あの子のことは、訊きません」

「助かるよ」

「訊いたら、わたし、報告しなきゃいけなくなるので。わたし、一応、教会の人間ですから」

 ハンナは立ち上がり、杯を戸棚に戻した。

「ただ、一つだけ」

「なに」

「最奥の礼拝堂には、行かないでください」

 修道女の声が、初めて、少しだけ硬くなった。

「あそこには、うちの院で一番古い患者がいます。わたしの手じゃ、もうどうにもならない人です。……たまに、人を見て、変なことを言うんです。言われた人が、あとで眠れなくなるようなことを」

「予言ってやつか」

「本人は、そう思ってないみたいですけど」

 ハンナは、燭台を手に取った。

「それに、あの人のところには、たまに、別のお客さんが来るんです。紫の目をした人が。……鉢合わせたら、困るでしょう」

 そう言って、修道女は厨房を出ていった。

 泥で汚れた裾が、廊下の暗がりに消えた。

 マリカは、竈の火を見ていた。

 戸口で、クロウが、ほんのわずかに顔をこちらへ向けた気配がした。

「聞いてたか」

「聞こえた」

「礼拝堂には近づくなよ」

「分かった」

 クロウは、また雨の方を向いた。

 マリカは、飲めなかった杯を、竈の縁に置いた。

 右肩の紋に意識を向ける。瞼の裏の光点は、西へ、四半里。雨宿りでもしているのか、日暮れから動いていない。

 夜明けまで、あと二刻。

 彼女は壁に背を預け、目を閉じた。

 壁の向こうで、誰かがまた呻きはじめた。

 だから、石の床を踏む裸足の小さな足音が、廊下の奥へ遠ざかっていくのを、マリカはそのとき、聞き逃した。


マリカ・アシュ

年齢: 27

所属: 無所属(傭兵ギルド登録)

肩書き: 賞金稼ぎ

外見: 日焼けした肌に、鼻梁を横切る傷。癖のある黒髪を雑に結んでいる。実用一辺倒の革鎧と、背に負った幅広の直剣。左耳に賞金首の数だけ増える金環(現在十九個)。


イオリ

年齢: 14

所属: 無所属

肩書き: 「星の子」

外見: 黒髪に、根元から先へ向かって透明になっていく毛先。虹彩に星屑と同じ光の粒が浮かんでいる。痩せていて、日に当たると肌が薄く発光する。裸足を好む。


ドミニク・レイル

年齢: 35

所属: 自由都市同盟カルネイア/傭兵ギルド「赤鎖(せきさ)」

肩書き: 斡旋人

外見: 細身の長身、隙のない仕立ての外套。撫でつけた黒髪と、いつも同じ角度で保たれた微笑。左手の手袋の下に、依頼の数だけ増えていく刻み傷がある。


クロウ

年齢: 不詳(外見30前後)

所属: 無所属

肩書き: 流れの剣士

外見: 黒髪に、白く抜けた一房。日焼けした肌に無数の古傷。左の掌に、誰の様式とも一致しない紋が刻まれている——人間のものでも、ドワーフのものでも、魔族のものでもない。目つきが静かすぎて、逆に怖い。


ハンナ・ベルク

年齢: 33

所属: 聖典教会/辺境療養院「白灯(はくとう)」

肩書き: 院長・修道女

外見: 赤毛を短く刈り込み、頭巾で隠している(患者に髪を掴まれることが多いため)。丸みのある体つきと、荒れきった手。修道服の裾はいつも泥で汚れている。


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