第2章「三番目の娘」/三 茶の温度
招きは、三日後の朝に届いた。
封筒は白く、封蝋には聖典教会の印が押されていた。文面は短い。本日午後、王宮礼拝堂の控えの間にて、茶を一杯ご一緒いただければ幸いです。署名は、オルグレン・ハイド。
侍女が封筒を差し出したとき、その手がかすかに震えていた。大司祭が第三王女を名指しで茶に招くなど、侍女の知る限り初めてのことだったのだろう。セラフィナ自身の知る限りでも、初めてだった。
「お断りいたしましょうか」
侍女が、小さな声で言った。
「お加減が優れないと、お伝えすれば」
「いいえ」
セラフィナは封筒を受け取り、微笑んだ。
「大司祭猊下にお茶をいただけるなんて、光栄なことですわ」
微笑みながら、彼女は考えていた。
書庫の夜から、三日。詠紋院を訪ねてから、二日。
早い、と思った。
◆
王宮礼拝堂は、本殿の南側、王家の私的な祈りのために建てられた小さな聖堂である。
その控えの間は、さらに小さかった。窓がひとつ、暖炉がひとつ、卓がひとつ。壁には色褪せた聖画が一枚掛かっていて、大崩落の日に天から光が降り、人々がそれを跪いて受けている図が描かれている。
オルグレン・ハイドは、卓の向こうで立ち上がって彼女を迎えた。
「殿下。お越しいただき、ありがとうございます」
痩身の老人だった。白髪をきれいに撫でつけ、深い紺の法衣を纏っている。祭礼の日に大聖堂の壇上で見る姿より、ずっと小さく見えた。声は低く、聞き取りやすく、耳の奥にやわらかく沈んでいく。
そして、両手には白い絹の手袋。
「どうぞ、お掛けください。茶は、私が淹れましょう。この部屋に人を入れたくないので、侍者は下がらせてあります。ご不便をおかけします」
「とんでもございません」
セラフィナは腰を下ろした。オルグレンは、暖炉の脇の小卓から銀の湯沸かしを取り、陶器の茶器に湯を注いだ。
その手つきを、セラフィナは見ていた。
手袋の指は、茶器の取っ手を正確に摘まんでいた。湯を注ぐ角度も、蒸らす時間も、よく訓練されていた。ただ、指の関節が、一度も曲がらなかった。取っ手を摘まむときも、蓋を持ち上げるときも、指はまっすぐ伸びたまま、手首の角度だけで器用にすべてをこなしていた。
「北の高地で摘まれた茶です」
オルグレンは、茶碗を彼女の前に置いた。
「少し渋みが強いので、お嫌でしたら蜂蜜を」
「このままで、いただきますわ」
セラフィナは、茶碗に手を添えた。
熱かった。湯気が、窓からの光の中で白く揺れている。
口はつけなかった。オルグレンもまた、自分の茶碗には手を伸ばさず、ただ卓の上で両手を重ねた。白い手袋が、二枚の折り畳まれた紙のように見えた。
「昨年の冬至の典礼で、殿下が読み上げられた聖句を覚えております」
大司祭は、世間話のように言った。
「第四詩篇の十二節。『数えられたものは、天に還る』。あの節を選ばれる方は珍しい。多くの方は、光と恵みを歌う節をお選びになります」
「好きな節ですの」
「私もです」
オルグレンは、微笑んだ。
「数えられたものは、天に還る。……裏を返せば、数えられないものは、地上に残る。私は、あの節をそう読んでおります」
セラフィナは、茶碗の縁を指でなぞった。
湯気が、少しずつ細くなっていく。
「殿下は、数えるのがお好きだと伺いました」
来た、と思った。
顔には何も出さなかった。出さなかったはずだ。
「整理が好きなのです。書庫の目録を作り直したことがございます」
「存じております。見事な目録でした。三代前の料理番の日誌まで、きちんと分類されていた」
オルグレンは、ゆっくりと頷いた。
「そして、九十八年から百十四年までの奉呈写本も、きちんと棚に揃っている。閲覧の記録によれば、殿下はこの三年のあいだに、あの写本の十七年分の頁を、合わせて四十一回、お手に取られた」
窓の外で、鳩が羽ばたいた。
セラフィナは、茶碗から指を離した。
「猊下は、書庫の閲覧記録までお読みになるのですか」
「私が読むのではありません。私の机に届くのです」
大司祭は、少しも悪びれずに言った。
「教会は、星屑に関わるすべての記録について、誰がいつ触れたかを把握するよう努めております。殿下が三年前、星屑に関わる報告の写しを書庫へ回すよう目録係にお頼みになったことも。——お気を悪くなさらないでください。それが私の職務です」
「気を悪くなど」
セラフィナは、微笑んだ。
「むしろ、安心いたしましたわ。わたくしの整理を、どなたかが見ていてくださったのですね」
オルグレンは、その微笑みを、じっと見ていた。
柔和な目だった。祖父が孫を見るような、少し眩しげな目。その奥に何があるのか、セラフィナには読めなかった。読めないということ自体が、彼女にとっては珍しいことだった。
「殿下」
大司祭は、声を少しだけ落とした。
「あなたは、お父上に一番よく似ておられる」
「……姉たちの方が、よく似ていると言われます」
「お顔は、そうでしょう。ですが、陛下がお若い頃、私に最初に投げかけた問いを、あなたは今、私に投げかけようとしておられる」
オルグレンは、重ねていた手を、ほんの少しだけ動かした。
「数字が合わない。どこへ行ったのか。——陛下は三十年前、同じことを私にお尋ねになりました。そして私の答えを聞いて、この国の星屑の管理を、教会にお任せになった」
「どのようなお答えを」
「今日、殿下に申し上げることと、同じです」
大司祭は、卓の上の自分の茶碗を、手首の動きだけで少し脇へ寄せた。
「殿下。私はあなたを罰したいのではありません。あなたの問いは正しい。数字は合っていません。十七年分、四万二千百八十。よく足されました。一粒も違っておりません」
セラフィナは、動かなかった。
その数字を、彼女は誰にも言っていない。ミレイユ以外には。
——いや。
反故紙を、机に置いたまま書庫を出たことはない。隠しに入れて持ち歩き、詠紋院で見せ、また隠しに戻した。
だとすれば、この男は、同じ計算を自分でしたのだ。あるいは、計算するまでもなく、最初から知っていたのだ。
「ただ」
オルグレンは続けた。
「あなたが正しいままでいると、二万人が死ぬ。それだけの話です」
暖炉の薪が、小さく爆ぜた。
「二万人」
セラフィナは、その数字を繰り返した。
「今この瞬間、この国の療養院の寝台にいる星蝕患者の数です」
オルグレンは言った。声には、少しの誇張も、脅しの色もなかった。帳簿を読み上げる書記のような声だった。
「彼らの痛みを和らげ、結晶の濁りを薄める薬は、雫級の星屑を砕いて作ります。透けたものを戻すことはできませんが、進みを遅らせることはできる。あの寝台の者たちが、今日まだ口をきけるのは、その薬のおかげです。その星屑は、教会が配っています。教会が配れるのは、国中の星屑を教会が握っているからです。もし、あの十七年の数字が表に出れば、どうなるか。諸侯は教会の管理に疑いを持ち、自領の星屑を返せと言い出すでしょう。自由都市の商人は、それを買い叩きに来るでしょう。ドラガルドは、出荷を渋るでしょう。星屑の値は三倍になり、療養院への配分は真っ先に削られる。……痛みで死ぬ者は、星蝕で死ぬ者より早く死にます。殿下」
大司祭は、そこで言葉を切った。
「私は、看取ってきましたので、知っております」
大司祭は、壁の聖画に目をやった。天から降る光を、跪いて受ける人々。
「私が育った孤児院には、寝台が四十ありました。冬になると、そのうちの十ほどに、指や頬の透けた子どもが寝ていた。拾った星屑の欠片を、売れると思って握りしめていた子どもたちです。薬はありませんでした。星屑を砕いた薬は、当時は貴族のものでしたから」
白い手袋が、卓の上で静かに重なり直した。
「私は、その子たちの手を握っておりました。痛がって泣く子の手を、朝まで。……握ることしか、できなかったのです。ですから、決めました。星屑は、民の手に触れさせてはならない。触れさせずに、薬だけを、必要な者へ確実に届ける。そのためには、誰かが全部を握っていなければならない」
セラフィナは、その手袋を見ていた。
朝まで子どもの手を握っていたという手。今は、茶器の取っ手を摘まむときでさえ、関節ひとつ曲がらない手。
セラフィナは、茶碗を見下ろした。
湯気は、もう立っていなかった。
「それは」
と、彼女は言った。
「十七年分の星屑がどこへ行ったのか、というお答えになっておりませんわ」
「なっておりません」
オルグレンは、あっさりと認めた。
「お答えするつもりが、ないからです」
彼は、微笑んだ。心から、申し訳なさそうに。
「殿下が知れば、殿下は黙っていられない。私はあなたを、そういう方だと見ております。ですから、お話ししない。それが、あなたにとっても、二万人にとっても、最もよい選択だと私は信じております」
「わたくしが、調べるのをやめなければ」
「やめていただけると、信じております」
それ以上は、言わなかった。
やめなければどうなるのか。オルグレン・ハイドは、そこへは一歩も踏み込まなかった。罰も、脅しも、口にしなかった。ただ、逃げ場のない正論を卓の上に置き、あとは彼女が自分でその重さを量るのを、穏やかに待っていた。
セラフィナは、左の鎖骨に指をやりかけて、やめた。
この男の前で、あの癖を見せてはいけない。理由は分からなかったが、身体の方がそう判断した。
「そういえば」
大司祭は、話題を変えるように、少し声を明るくした。
「東の辺境伯から、殿下への縁談のお話が改めて来ていると聞きました。辺境伯のご子息は、真面目な青年です。前の二つのお話とは、違いましょう」
「三つです」
セラフィナは、言った。
「前のお話は、三つでしたわ」
「失礼。三つでしたか」
オルグレンは、少しだけ目を細めた。
「では、四つ目が良縁であることを、お祈りしております。辺境の空気は、書庫よりも身体によいと申しますので」
セラフィナは、立ち上がった。
「お茶を、ありがとうございました。猊下」
「一口も召し上がりませんでしたね」
「冷めてしまいましたので」
「そうですね」
大司祭も、立ち上がった。白い手袋の手を、胸の前で軽く組む。
「茶は、冷めます。淹れた者が、どれだけ気を配っても。……殿下、どうか、冷めないうちに、お決めください」
セラフィナは、礼をして、控えの間を出た。
礼拝堂の回廊を歩きながら、彼女は自分の足音を数えていた。十二、十三、十四。数えていないと、歩幅が乱れそうだった。
回廊の角を曲がり、誰の目もないことを確かめてから、彼女はようやく壁に手をついた。
膝が、笑っていた。
恐ろしかったのだ、と彼女は、そこで初めて気づいた。茶を勧められてから今まで、ずっと恐ろしかったのだ。それなのに、あの部屋の中では、それにすら気づいていなかった。自分の顔と同じくらい上手に、自分自身にも隠していた。
壁の石が、冷たかった。
左の鎖骨の下と、同じくらい冷たかった。
あの人は、嘘をひとつもつかなかった。
セラフィナは、そう思った。
数字を認め、答えないと認め、二万人の命を正確に数えた。誠実な人だった。一昨日のミレイユと同じくらい、あるいはそれ以上に、誠実だった。
そしてその誠実さで、彼女の問いを、丁寧に、茶碗の中に沈めようとした。
セラフィナは、壁から手を離した。
膝は、まだ少し震えていた。それでも、立てた。
——四つ目の縁談。
あれは、脅しではない。提案だ。王宮から、書庫から、帳簿から、彼女を遠ざけるための、この上なく穏当で、誰も反対できない提案。
前の三つは、自分で壊した。相手の醜聞を掘り当てて。
四つ目も壊せるだろうか。
壊すための時間は、どれだけ残っているだろうか。
三年十一ヶ月、と、秤の紋を持つ女の声が、耳の奥で繰り返した。
セラフィナは、ドレスの裾を持ち上げ、歩き出した。
足音を、また数えはじめた。
セラフィナ・ヴェルディナ
年齢: 19
所属: 聖王国ヴェルディナ王家
肩書き: 第三王女
外見: 淡い金髪を編み上げ、常に完璧に整えている。琥珀色の目。小柄で、公務用のドレスの重さにいつも密かに閉口している。左の鎖骨の下に、誰にも見せていない紋が一つある。
オルグレン・ハイド
年齢: 78
所属: 聖典教会
肩書き: 大司祭・聖遺管理局総裁
外見: 白髪をきれいに撫でつけた痩身の老人。柔和な微笑を絶やさず、声は低く聞き取りやすい。両手には常に白い絹の手袋——その下は、指先から肘の手前まで完全に結晶化している。




