6話「それは同調の契り、雪花の覚悟」
月から地上へ堕とされ、魔族が蔓延る森の中を彷徨う真白 茨月は、森の中で大きな湖を見つける。そこには自身を人霊だと称する踊り子、菊澱花 雪花と出会う。水を操り、その水を凍らせることもできる特殊な能力を持つ雪花は自身の能力を茨月に披露するが、突如表情を変え、氷の弾を茨月目掛けて放ったのだった。
「随分なご挨拶だな。どういうつもりだ。」
茨月は刀に手をかける。理由次第では斬る、と雪花に圧をかけるためだ。
緊迫した空気感の中、雪花は閉じた扇子で氷弾が飛んでいった先を指す。
「見に行ってご覧なさいな。」
刀を抜き、彼女の指す先ではなく目の前の女性を睨む茨月。後ろを向かせ、背後を狙うつもりかもしれないと警戒していた。
「安心して、もう標的は動けないはずだから。」
「…」
雪花は両手を後ろに組み、これ以上攻撃を続ける意思はないということをアピールする。
狙いはどうやら自分ではないらしい、彼女の言葉を信じ、茨月は黙って振り返り氷弾が飛んでいった場所へと向かう。そこにいたのは、彼が殲滅したはずの小餓鬼の生き残りだった。氷弾は小餓鬼の右手を貫き、身動きを封じるように木に刺さっていた。茨月は動けなくなり、抵抗することもない小餓鬼の首を無慈悲に刎ねた。そして、すぐに雪花の元へと戻ってきた。
「ね、私の言った通りだったでしょ?」
「…なぜ我を狙った。」
「狙いは最初から森からこちらの隙を伺っていたあの怪物ですわ。貴方には死にたくなかったら避けてって言ったじゃない?」
「最初から避けれると踏んでの一射だったと。」
雪花はふふっ、と微笑んだ。
「ご名答っ。えへっ。」
彼女の無邪気な笑顔を見て、茨月はある女性を想起し心臓が跳ねる。
くそっ、またあいつのことを思い出してしまう。
「…その顔をやめろ。次やったら斬る。」
「むぅ、乙女の笑顔をなんだと思っているのやら。分かりましたよ、もうしませんってば。」
ムスッと機嫌を悪そうにする雪花。なんだか掴めない人だなぁと茨月から距離を取る。
「なんだか、貴方は私に、その、星華さんだっけ?を重ねて見ている気がするのだけど。」
雪花から図星とも言える指摘を受け、茨月は少しの静寂の後、語り出す。
「…似ているのだ、少しだけ、な…」
「ふぅん…大切な人なのね。」
「我の全てだった。…少なくともあの月の中ではな。」
茨月は今までになく悲観に暮れた表情で語る。雪花はそれを聞き、悪いことを聞いちゃったかなと反省する。
ん?今なんと言った?彼女は彼の発言を再確認する。
「今、月の中って言った…?」
「ああ、言ったが…」
間違いではなかった。『月の中』、彼はそう言ったのだ。
雪花の表情は一気に暗くなり、目を細めて茨月を睨む。
「貴方、何者なの。教えなさい。」
雪花の周囲が冷たく凍りつく。そして湖の水が彼女の周りに集まり、瞬時に凍って無数の氷の刃を生成する。先ほどの氷弾と違い、今度は的確に照準は茨月に向けられてる。
今にも我が身を貫かんとする、脅しと取れるそれを見て、茨月も鞘から刀を抜く。
「…我は月より堕ちし者。月の武人だった者だ。」
「つまり、月の人間ね」
今までで一番低く、冷たい彼女の声に怯むことなく、茨月は「うむ」と頷く。
その刹那、雪花の周りに浮かぶ天然の凶器が一斉に目の前の月の人間目掛けて襲いかかる。
茨月は刀を一振りし、氷の刃を全て斬り砕く。彼女から敵意を感じた茨月は、刀の勢いを止めず、次の一振りで目の前の女性の首を狙う。
雪花は咄嗟に凝縮した水の塊を喉元に生成する。水の塊に刃が食い込むとその勢いは衰える。が、茨月が更に柄に力を込めると、水の塊は決壊し斬り破られる。だがその刃が首元に到達する前に大きく後退することで、雪花はギリギリでその斬撃を躱す。
茨月の刀技も、雪花の氷刃も、どちらも本気で相手の命を奪りにくるものだった。が、込められていた思いはそれぞれ違っていた。
雪花のそれは月の人間に対しての怒りや憎悪を感じさせるものであり、茨月のそれは目の前の脅威を振り払うための自己防衛のため、仕方のないものだった。
「貴方は、私からこれ以上何を奪おうというの!!」
「奪う…?何を言っている?」
「貴方達月の民は私の大切なものを奪うだけでは飽き足らず、私まで手籠めにするというの!?」
怒りからか、冷静な判断が出来なくなっているのか、能力を最大限発動した雪花の頭上に湖の水が際限なく集まってくる。それらは形を作りながら凍りつき、巨大な氷の剣となる。
それはこれまで彼女が氷で作り出してきた美しさと優雅さを感じる芸術的なものではなく、歪で、ただ憎悪のみを感じる醜い殺戮兵器だった。これが振り下ろされれば、茨月の武力をもってしても受け止めることは不可能であろう。ならば、取る手は一つだった。
「死になさいっ!!」
真っ直ぐ、凄い勢いで振り下ろされる氷の大剣を茨月は大きく左に避ける。氷の大剣は地面に打ち付けられ、その衝撃と水蒸気により霧が発生し、二人の視界は白く覆われる。
霧が晴れると、雪花の視界から茨月の姿は消えていた。辺りを見渡すが、ふと視線を落とすと彼女の首元に刀の刃が当てられていることに気づいた。彼はこの一瞬の間に、しかも視界が遮られている中、的確に背後を取っていたのだ。雪花の完敗だった。
「聞かせろ。月に住まう者から何をされたのか。」
「…貴方には敵いそうもないね。」
茨月は雪花に問う。純粋に自分が月から堕ちてきたと告げた瞬間に態度が変わった理由を知りたかったのだ。最初はこれ以上抵抗されても厄介だと、刀を下ろさなかったが、彼女が手を上げ、降伏宣言をしたのを確認すると、刀を鞘に収めた。
「…話しますわ。」
雪花はこれまでの生い立ちから、茨月に語っていく。
「私はこの辺りでは一番権力のある名家の元に産み落とされた人間だった。産み落とされた私を育ててくれたお母様、お父様はとても優しく、何不自由ない裕福な暮らしをさせてもらっていたわ。」
雪花は淡々と語っていく。話の節々でたまに見られる貴族のような気品のある口調が名家の出であることを裏付けていた。
「でも、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。」
雪花の声のトーンが一段下がる。
「突如、神を名乗る月の民が、私達一家を襲撃してきたの。家は燃え尽き、私以外の家族は全員殺された。」
「馬鹿な…!月の神が地上の民に危害を加えるなど、あってはならないことだ。」
「そうなのでしょうね。でも確かにあれは月の神を自称していたわ。」
月の神は、エルスの民に向けての加護を与えることはできても、危害を加えることはあってはならない。尤も、それを防ぐ役割であるのが月の衛兵だ。その長であった茨月ですら、聞いたことのない話だった。ましてや月の神がそのような愚行を働こうものなら月宮殿に住まう神々が感付かないわけがない。
だが、それを唯一、為すことのできる存在に茨月は心当たりがあった。
「…まさかな。」
名を出そうとするが、推測の域を出ないその存在を口にすることはなく、雪花に話を続けてくれと唆す。
「私は命からがら逃げ出し、この森へ逃げ込んだ。森には魔族という恐ろしい存在がいることはお母様から聞いていたけれど、幸いにも魔族に襲われることもなく、この湖まで辿り着いたの。」
「それはいつの出来事だ。」
「私が十の歳の頃だから、八年前くらいかな。」
「それからずっとここで暮らしているのか。」
「そうよ、湖のすぐ側に誰か分からないけど人間が使っていたであろう家があったから、勝手に住み着かせてもらっているの。これまでの暮らしから一変しちゃって大変だったけど、それももう慣れたわ。」
目の前の彼女は幼くして月の神に育ての親を殺され、一人でこの危険な森の中で暮らしていたと語る。茨月は雪花の生い立ちを知り、元月の民として、衛兵長としての自責の念に駆られていた。
「ねえ、貴方のことももっと詳しく聞かせてくれない?」
「我のことをか?何故だ。我はお前の家族を殺めた者達の関係者なのかもしれないのだぞ?」
「だからこそよ。私は貴方の素性を知る義務がある。でなければ、私は貴方をも恨んで生きていかなきゃいけなくなるじゃない。」
「…分かった、話そう。」
茨月は自分が月の衛兵長であったこと、月の力を支配しようとしたこと、月の神によって地上に落とされたこと、そして今は雪花と同じく月への復讐心を持っているということを話した。
「つまり、我も月の神には怨恨を抱いている。お前が我に危害を加えないのであれば、我もお前に干渉することはないと誓おう。」
「…分かった。腑に落ちないところはあるけど納得しましたわ。」
雪花の茨月に対する疑念や恨みは晴れた。この人は私と同じ、月への恨みがある人で、しかも私より遥かに強い人だ。この人と一緒に行動すれば。月への復讐が果たせるかもしれない。雪花の思考はそういう考えに至っていた。
「あの、提案があるのですけども…」
「何だ。」
雪花は若干照れ臭そうに腹の前で手を組み、改まった口調で茨月へ提案をする。
「貴方、いえ、茨月様の月の神への復讐劇に、私も加えていただけませんか。」
茨月は驚いた。てっきり自分の身の上を明かすことにより、彼女はこれ以上自分に関わってこない者だと思っていたからだ。
「良いのか。我と共に進むということは、月の全てを敵に回すことになるのだぞ。」
「構いませんわ。元より私は月の民を憎んでおります。その対象が広がったところで問題はありませんわ。それに…」
雪花はまた年相応の健気な笑みを見せながら両手を挙げた。
「私は貴方に敵いそうもありませんもの。」
彼女は茨月の強さに敬服していた。そしてそれは彼のような強者と一緒に月への復讐という夢を叶えたい、そのためならどんなことでもする、どんな結果になろうと構わないという覚悟の表れでもあった。
そして、それは茨月も感じていた。彼女の覚悟は本物だ、無碍にするわけにはいかない。そして自分の本気を持ってしても仕留めきれず、むしろ追い込まれかけたその戦闘能力の高さは評価せざるを得なかった。つまりは拒否する理由がなかった。
「いいだろう、我に従うというのであれば、付いてくるが良い。」
「ええ、これからよろしくお願いいたします、茨月様。」
こうして、雪花は茨月の従者として行動を共にすることになった。微笑みを見せる彼女の表情の上に、茨月は大切な存在だった女性を幻視する。
「(…星華、お前はまさか本当にこの世界にまだ…)」




